帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第九 羇旅歌 (407)わたの原八十島かけてこぎいでぬと

2018-02-02 19:39:02 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第九 羇旅歌

 

隠岐国に流されける時に、舟に乗りて出で立つとて、

京なる人のもとに遣はしける     小野篁朝臣

わたの原八十島かけてこぎいでぬと 人にはつげよ海人の釣り舟

(隠岐国に流された時に、舟に乗って出で立つとて、京にいる人のもとに遣った・歌……沖のくにに、流された時に、ふ根にのりて、またも漕ぎ出たと、山ばの頂上にいる女の許に遣った・歌)(おののたかむらあそん)

(神の海原、八十島、かけて漕ぎ出たと、人々には、告げよ、海人の釣り舟……綿のをうな腹、多情の肢間かきわけ、またも漕ぎ出たと、女には告げよ、おんなの吊りふ根)。

 

 

「隠岐の国…沖のくに…奥のくに…おんなのせかい」「いでたつ…出で立つ…(再度)出で立つ」「京なる人…都にいる人々…山の頂上にいる人…山ばの頂上にいる女…絶頂に成った女」。

「わたの原…神の海原…綿の腹…おんなの柔腹」「八十島…多数の島…多情の肢間」「しま…島…肢間…おんな」「こぎ…漕ぎ…水かきわけ進む…をみなかき分け進む」「人…人々…女」「あま…海人…漁師…おんな」「釣り舟…(吾間の)吊りふ根…さね…おんなの核」。

 

流人の乗った舟が、出立したと、京の人々に告げてくれ、見知らぬ漁師よ――歌の清げな姿。

命も怒りも全てを捨てた男の、むなしい心の叫び。

 

綿のをうな腹、多情の肢間かきわけ、またも漕ぎ出たと、女には告げよ、おんなの吊りふ根――心におかしきところ。

この世で、出世欲なども命も捨て、思い切り、表出したエロス(性愛・生の本能)。

 

この歌についての、俊成の評は、「人には告げよ、と言へる姿心、たぐひなく侍るなり」。人々には告げよ…女には告げよと言った、清げな姿…心におかしきところ、類例はないのです。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)