帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (391)(きみが行くこしのしら山しらねども

2018-01-13 20:42:46 | 古典

            

                        帯とけの「古今和歌集」

                        ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

大江千古が、越へまかりけるむまのはなむけによみ

ける                            藤原兼輔朝臣

きみが行くこしのしら山しらねども 雪のまにまに跡はたづねむ

(大江千古が、越国へ出かけた餞別に詠んだと思われる・歌) (藤原のかねすけのあそん・中納言・紫式部の曽祖父)

(君が行く越国の白山、われは知らないけれども、雪のまにまにできる足跡たづねて行くだろう……我が貴身が逝く、越しの白けた山ば、経験ないけれども、君の白ゆきの間に間の跡尋ねて行くつもりよ)。

 

「きみ…君…貴身」「行く…ゆく…逝く」「こし…越…越国…山ば越す」「しらやま…白山…名高い山の名…名は戯れる。おとこ白ゆきの降った山ば…白けた山ば」「しらね…知らぬ…見たことがない…経験がない」「雪…ゆき…おとこ白ゆき」「まにまに…間に間に」「ま…間…おんな」「む…推量を表す…意思を表す」。

 

われは知らないけれども、名高い白山を見られる君が羨ましいよ、雪のまにまにできる君の足跡たづねて行くよ――歌の清げな姿。

我が貴身が逝く、越しの白けた山ば、経験ないけれども、君の白ゆきの間に間の跡尋ねて行くつもりよ。――心におかしきところ。

 

歌の清げな姿も、心におかしきところも、相手に快い思いをさせるように詠まれてある。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)