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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。
歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。
古今和歌集 巻第五 秋歌下 (252)
題しらず よみ人しらず
霧立て雁ぞなくなる片岡の 朝の原はもみぢしぬらむ
(題知らず) (読み人知らず・女の歌として聞く)
(霧が立って雁が鳴いているようね、片岡の朝の原は、紅葉してしまったでしょう……限り、断ちて、かりが無くなる、不満足なおとこの山ばの、浅の腹のうちは、も見じ、してしまったようねえ)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「霧…きり…限…限度」「立て…たちて…たちこめて…断ちて…絶ちて」「雁…かり…刈り・狩り…めとり…まぐあい」「なくなる…鳴くなる…鳴いているようだ…無くなる」「片岡…不満足な山ば…片側は涯になっていて急激に落ち込むおとこの山ば」「朝…あした…あさ…浅…あさはか…薄情」「原…はら…腹…腹の内…内心」「もみぢ…秋の色…厭きの気色…も見じ…もう見たくない」「見…覯…媾…まぐあい」「じ…打消しの意志を表す」「しぬ…してしまった…死ぬ…逝く」「ぬ…完了した意を表す」「らむ…推量を表す」。
霧たちこめて、雁が鳴いているのが聞こえる、片岡山の朝の原は、今頃・紅葉したでしょう。――歌の清げな姿。
これっ限りとなって、「かり」は無くなる、片おか山ばの浅はかなおとこの腹のうちは、も見じ、してしまったようねえ。――心におかしきところ。
よみ人しらずの歌が三首並べられてある。いずれも、宮廷の女官・女房たちが歌合の為に匿名で詠んだ歌と推定する。
その一首目は、おとこの性(さが)のはかなさを、心におかしく表現した歌のようである。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)