帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (202)秋の野に人松虫のこゑすなり

2017-04-15 19:09:51 | 古典

            

 

                        帯とけの古今和歌集

              ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 202

 

(題しらず)            (よみ人しらず)

秋の野に人松虫のこゑすなり 我かとゆきていざとぶらはむ

(詠み人知らず、男の詠んだ歌として聞く)

(秋の野に、人待つ・松虫の声がするようだ、我かなと、行って、さあ尋ねよう……飽き満ち足りたひら野に、男待つ、女の身の虫の声がしているようだ、我と共に逝ってしまったので、井さ、弔問しよう)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「秋…飽き…厭き」「野…ひら野…山ばでは無くなった処」「に…場所を示す・時を示す」「人松虫…人待つ女…松・待つ・泣く虫の言の心は女」「松虫…鈴虫のことという…鳴き声は、リリリリ―と聞こえる、かぼそい弱々しい声」「われかと…(待っている人は)我かと…我と共に」「と…一緒に…共に…共同の意を表す」「ゆきて…行きて…逝きて…逝ってしまって」「て…してしまった…完了の意を表す…ので…のに…原因理由を表す」「いざ…さあ…事を始めようとする時の発声…井さ…おんなさ」「さ…軽く念を押す意を表す…感動をもった(である)を表す」「とぶらはむ…尋ねよう…訪れよう…弔おう…(井も逝った)冥福を祈ろう」。

 

秋の野に人待つ松虫の鳴く風情。さあ、訪ねて行こう。――歌の清げな姿。

厭きたひら野にて、おとこ待つ女の声が聞こえるようだ、われと共に逝ってしまったのに、井さ、弔おう。――心におかしきところ。

 

井は有頂点に達し逝ったのだろうか、まだ何かを待っている。浅はかではかない男の希望的感触を言い出した歌のようである。このような男歌を二首挟み、再び、女歌が三首つづく。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)