帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (184) この間よりもりくる月の影みれば

2017-03-25 19:03:34 | 古典

             

 

                        帯とけの古今和歌集

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 184

 

題しらず            よみ人しらず

この間よりもりくる月の影みれば 心づくしの秋はきにけり

題知らず         (詠み人知らず・六首並べられてあるが、全て女の詠んだ歌として聞く)

(木の間より、漏れくる月の光、見れば、天の・趣向を尽くした、秋は来たことよ……此の間より、漏れくる・白つゆ、月人壮士の陰見れば、身と・心を尽くしはてた厭きは、来てしまったのねえ)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「この…木の…此の…わたしの」「間…言の心は女…端間…井間…おんな」「月…月人壮士(万葉集の歌語、更に昔の月の別名は、ささらえをとこ)…壮年の男…月の言の心は男」「かげ…影…光…陰…いんぶ」「見…目で見ること…覯…媾…みとのまぐあい(古事記にある言葉)」「心づくしの…心を込め趣向を凝らし尽くした…情念を尽くした」「こころ…心…趣向…情趣…情念」「秋…涼風・紅葉・虫の声など情趣ある季節…飽き(満ち足り)…厭き…嫌気」「に…ぬ…完了した意を表す」「けり…気付き・詠嘆の意を表す」。

 

木の間より、漏れくる月の光を見れば、天の心づくしの秋の風情になったことよ。――歌の清げな姿。

此の間より漏れくる、白つゆ、つき人壮士の陰見れば、情念尽くしの厭きは来てしまったのねえ。――心におかしきところ。

 

「よみ人しらず」の女歌の一群は、寛平の御時(古今集成立以前)、后より宮廷の女達に、歌合の為に匿名で歌を詠み献上するよう仰せごとがあって、集められた歌群と推定する。


 詠み人しらずの女歌の「心におかしきところ」に顕れるエロス(性愛・生の本能)は、面目を気にせず表出されてある。遠慮することなく満喫していいのである。歌の命である「エロス」は、いわば「煩悩」であるが、歌に詠まれれば即ち「菩提(悟りの境地)」であるという。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)