帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第三 夏歌 (159) こぞの夏なきふるしてし郭公

2017-02-24 19:10:25 | 古典

             

 

                        帯とけの古今和歌集

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

古典和歌は、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観に従って紐解き直せば、公任のいう歌の「心におかしきところ」即ち俊成がいう歌の深い旨の「煩悩」が顕れる。いわば、エロス(生の本能・性愛)である。

普通の言葉では言い出し難いものを、「清げな姿」に付けて表現する、高度な歌の様(表現様式)をもっていたのである。

 

古今和歌集  巻第三 夏歌 159

 

題しらず             よみ人しらず

こぞの夏なきふるしてし郭公 それかあらぬかこゑのかはらぬ

題しらず(この歌も、寛平御時后宮歌合の歌である)、よみ人しらず(男の歌人の歌として聞く)

(去年の夏に、鳴き古びた・鳴き衰え老いた、ほととぎす、そうではないのか、カッコーと鳴く・声が去年と変わっていない……来ぞの懐・来てよ慣れ親しんだ感情、泣き盛り衰えた、且つ乞う女、そうではないのか、盛んにカツコウと泣く声、相変わらずだことよ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「こぞ…去年…来ぞ…来てよ(巻頭の一首では、こそ、来る勿れと戯れていた)」「こ…来い(命令形)」「ぞ…強く指示する意を表す」「なつ…夏…懐…親しみ慣れた」「なき…鳴き…泣き」「ふるし…古し…老いし…衰えし」「郭公…夏に盛んに鳴く鳥…鳥の言の心は女…泣き声や名は戯れる。ほと伽す、且つ乞う」「声…カッコーと鳴く声…且つ乞うと泣く声」「かわらぬ…変わらない…(常に)変わらない…(嗄れもせず・勢い・激しさが)変わらない」

 

去年盛んに鳴いていたほととぎす、ではないのか、老いもせす、カッコーとお盛んに鳴くことよ。――歌の清げな姿。

来てよ、慣れ親しんだ感情の山ばと泣き続けた、且つ乞う女、ではないのか、泣き声は・変わらないなあ。――心におかしところ。

 

寛平御時后宮歌合で、合わされた左方の歌は、よみ人知らず(女房女官らが作った女の歌として聞く)

夏の夜は水やまされる天の川 流れる月の影しとどめぬ

(夏の夜は・梅雨時の夜は、水嵩増すのでしょうか、天の川、流れる月の、光が止まってしまったことよ……懐の夜は・親しみ慣れた感情の夜は、をみなや、高ぶり増さる吾間の川、流れる壮士の陰、留められないことよ)

 

「水…言の心は女」「あまの川…天の川…女の川…おんな」「あま…女…吾間…おんな」「川…言の心は女…おんな」「ながれる…移動する…(白つゆ)流れる」「月…月人壮士(万葉集の表記)…月の言の心は男…大昔(万葉集以前)の月の別名は、ささらえをとこ」「影…光…恵み…照るもの…陰…いんぶ…おとこ」「ぬ…(止めて)しまったことよ…完了した意を表す…(形及び白つゆ、留め)ないことよ…『ず』の連体形、打消しを表す」。

 

両歌とも夏の風物を詠んだ「清げな姿」をしている。女のエロス(生の本能・性愛)を表出した歌と、その女の性(さが)に驚嘆する男の歌の組み合わせである。歌合に出席の女たちは、歌の「心におかしきところ」を満喫しただろう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)