帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第二 春歌下(90)ふるさとと成りにしならの宮こにも

2016-12-05 19:05:52 | 古典

             

 

                        帯とけの「古今和歌集」

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。                                                                                                                                                                                                                                   

 

「古今和歌集」巻第二 春歌下90

 

平城帝の御歌

ふるさとと成りにしならの宮こにも 色はかはらず花はさきけり

平城帝の御歌 (平安京にて即位三年(806809)、事情により弟君に譲位され故郷の平城に移住されたという、その時の御歌と思われる)

 (古里となってしまった平城の都にも、色彩変わらず草木の花は咲いていることよ……古妻と共に成った寧楽の宮こにも、色情は変わらず、花々は咲いたことよ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「ふるさと…故郷…生まれ育った土地…古里」「里…言の心は女…さと…さ門」「と…変化の結果を示す…と共に…共同の意を表す」「なら…奈良…寧楽(万葉集での表記)…やすらかな快楽…ねんごろな快楽」「宮こ…都…京…山ばの頂上…快楽の極み…感の極み」「色…色彩…色情」「花…草木の花…草花の言心は女…木の花の言の心は男」。

 

久しぶりの旧都の花の風景と諸々の詠嘆すべき思い。こころざし破れて故郷に花あり。――歌の清げな姿。

古妻とのぼった、やすらかな楽しみの山ばの頂上に、色は変わらず花々が咲いたことよ。――心におかしきところ。

 

人の世にあった、事(出来事・事件)と、業(ごう・善悪諸々の行為)を彷彿させて心深い。そして、ただ今の寧楽の宮このありさままで、わずか三十一文字に、心に思う事が表現されてある。具体的事実は知らなくとも、その御心が聞く人の心に直に伝わる、和歌はそのような表現様式を持っていたのである。なお、翌年(810)出家されたという。

 

「古今和歌集」は、この御方の即位の年より百年目(905)に成立した。仮名序には次のようにある「かの御時よりこのかた、年は百年あまり、世は十継になむ、なりにける」。「世…代」「十継…平城、嵯峨、淳和、仁明、文徳、清和、陽成、光孝、宇多、醍醐天皇と継がれてきた平安時代初期の御世」。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)