帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (八十九と九十)

2012-05-08 00:01:01 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知らず、紀貫之の云う「言の心」を心得ないで、和歌の清げな姿のみ解き明かされて来た。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。言の心を紐解きましょう。帯はおのずから解け人の心根が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第一 春秋 百二十首(八十九と九十)


 春ごとに流るゝ川を花と見て 折られぬ水に袖や濡れなむ 
                                    (八十九)

(季節の春毎に、映して流れる川を花と見て、折れない川水に、衣の袖、濡れるでしょうか……春事に流れる女と男、お花とともに見て、折られぬをみなに、見たのに、身のそで濡れるでしょうか、濡れないでしょうが)。


 言の戯れと言の心

 「はるごと…春毎…春情事」「川を…女と男」「川…女」「花と…花として…花と共に…お花と一緒に」「花…木の花…おとこ花」「見…覯…まぐあい」「折られぬ…木の枝を折れない…身の枝を折れない…果てることができない」「折…逝」「みつに…水に…女に…見つに…見たのに」「水…女」「見…覯…まぐあい」「そでやぬれなむ…そで濡れるだろうか濡れない…身の端濡れるだろうか濡れない」「そで…袖…端…身の端」「や…疑問の意を表す…反語の意を表す」「なむ…きっと何々だろう…推量の意を表す」。

 


 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬもみぢなりけり 
                                     (九十)

(山を流れる小川に、風の架けたせき止め柵は、流れきれないもみじ葉だったことよ……山ばのをみなに、心風の架けたせき止めは、流れも耐えきれない、合えない、飽き色の端だったのだなあ)


 言の戯れと言の心

 「山…山ば」「川…女」「風…心に吹く風…山ばの風…飽き風…厭き風」「しがらみ…柵…流れを止めるもの…浮かれた心地をせき止めてしまうもの」「ながれも…流れも…流出も…汝涸れも…男の枯れ果ても」「も…強調する意を表す」「あへぬ…耐えられない…最後まで何々しきれない…合えない…和合できない」「もみぢ…もみじ葉…秋色の葉…飽き色の端…飽き色の身の端」「なりけり…何々だったのだなあ」。

 


 春歌は川面に映り流れる木の花を見物するありさま、清げな姿。歌は季節の景色、ただそれだけではないと貫之はいう。女の思いが見るものにつけて言葉になされてある。生々しい心の内を言葉の戯れに包んである。


 秋歌は山川の秋景色と聞くのは清げな姿。ただそれだけではないと、即ち「非唯春霞秋月」と、貫之はいう。男の思いが言の葉に成されてある。おとこのさがの自嘲とも聞こえる。

 


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。