娘が長い病闘の末に亡くなった。10年ほど前から自分が癌と分かっていたのかあらゆる治療を受けていた。病院まで小一時間車を運転し、或る時は治療が厳しく暫く休憩して戻っていた、今思えば事故も起こさずよく通ったものだ。
寒がりの娘であったが雪国に嫁ぎすっかり地元の言葉に馴染み皆から可愛されていた。入院が決まり見舞いに何べんも通ったが、何時もお茶を用意して待って居てくる優しい娘であった。
死を悟ったのか家は隅から隅までしっかりと整理し、遠くより学友、近親者の見舞いに感謝の言葉を繰り返し、酸素吸入をしながら親子孝行が出来なかったと云い、全員に有難う、ありがとうを繰り返して逝ってしまった心の優しい娘であった。
漸く法事も終わり遺影と語りながら遠き日を偲んでいる。遺影も私が撮った写真の中から入院前に自分で選んでいた。今では西方浄土で私達を見守っていることだろう!残り少ない時間を生かさせていただく命大事に何時の日か訪れる死を娘のように感謝をのべながら逝けるように致したい。