No Room For Squares !

レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

京都に還る(終)~Final Day:祈りの刻

2023-10-14 | 街:京都








宗教的な話でない。僕は不信心者で、ろくに墓参りもしたことがない。そんな僕でも「祈る」という行為には、何らかの意味があると考えている。祈るだけであれば、わざわざ京都に来る必要はなく、自宅でも近所の神社でも良いのかもしれない。それでも千年単位で数多の人々の祈りを受け入れて来た地である。この地で祈ることは特別なことだと信じたい。かつて京都で、数少ないけれど不思議な出来事も経験した(良い意味でも悪い意味でも)。今回の滞在時間の殆どは遊びの時間だったけど、祈りの時間は大事にした。祈りは通じるかどうかではなく、祈ることに意味がある。祈りたい切実なことがある限り、人は今後も祈り続けるだろう。

LEICA M10 MONOCHROME / Summicron M35mm ASPH

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京都に還る④:2nd Day:小さな宴

2023-10-13 | 街:京都














京風料理と言うより、いわゆる関西の出汁の味には割と早く慣れた。違和感を覚えたのは一瞬だった。大体おいて僕は食べ物への順応性は高い。それ故、東北に住むようなれば、東北の濃い味付けにも慣れてしまう。結婚25周年記念の夕食はイタリアンだった。その様子は掲載しない。代わりに掲載するのは翌昼に食べた昼食だ。個室で提供される懐石割理をたっぷり2時間掛けて頂いた。そんなに時間を掛けてランチを食べたのは初めてかもしれない。長居をしたわけではない。それが標準の提供時間だった。こうやって写真で見ると、そんなに豪華な料理には見えないし、量だって多くは感じない。でも実際に食べると、一つ一つが手の込んだ丁寧な料理であり、接客の洗練さも併せて気持ちの良い時間を過ごした。お腹も気持ち満たされ、気持ちよく酔うことができた。

じっくりと静かな時間を過ごすのであれば、昼懐石というのは良いものだなと思った。この先そういう機会は早々ないだろう。小さな宴の時間は、この旅のハイライトだった。実質的にはフィナーレかもしれない。短い旅は終わろうとしている。





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京都に還る③~2nd Day:至福の刻

2023-10-12 | 街:京都














僕は小学生の時に写真を撮り始めた。中学生からは父の一眼レフを使い、写真の基本を学んだ。高校生になると自分のカメラを手に入れて、モノクロフィルムの現像引き延ばしを行うようになった。写真狂の少年だったと思う。ところが、東京の大学に入り上京すると、全く写真を撮ることはなくなった。少年野球をやっていた子が、いつしかバットとグローブを手放すように、僕はカメラを手放した。その後、就職しても写真を撮ることはなかった。どうしてもという時は「写ルンです」を使っていた。

その状況が変わったのは、転職で京都の会社で働くようになってからだ。京都には多くの中古カメラ屋さんがあった。通りを歩くと、ショーウィンドーに多くのカメラが飾られていた。日々それを眺めるうちに、いつの間にか欲しくなり、中古でEOSの安いフィルム一眼レフを買うことになった。それが再開の一歩で、転職先の仕事が順調になるに従い、徐々にカメラはアップグレードし、レンズは増えていった。京都には撮るべき被写体が沢山あった。こと写真を撮るという意味では、一生掛かっても撮り切れないだけの被写体が存在する。神社仏閣、桜や紅葉などの四季折々の風景、催し物、更には郊外の自然もある。加えて当時はモデルさんのポートレイト撮影もしていた。それでも「飽きる」のである。もし、今僕が京都に再び住めば、もう一生被写体不足で困ることはないだろう。でも当時はそう思わなかった。あまりに潤沢な被写体に囲まれて過ごすと、それが当たり前になり、ちょっとやそっとでは満足できなくなる。今振り返ると、当時は「目新しい何か」を求めて、毎週眼の色を変えていたように思う。もしそのまま京都に住み続けていたら、被写体がないと嘆いていたと思う。離れて初めて分かることもある。

18年前、秋田県に移住したとき、最初のうちは目に入るもの全てが新鮮で、写真を撮ることが楽しくて仕方なかった。一方で、京都でさえ飽きた僕が、東北の地で写真に撮るものが無くなるのは明白であり、その時はどうすれば良いのか途方に暮れた。数年もすれば、写真を撮らなくなるのかもしれない。そう思いもした。徐々に「東北の町」というカテゴリーに興味がシフトし、活動を続けるなかで、亡き上原稔師匠の写真に出会ったことが転機となった。師匠から多くのことを学び、残りの人生は東北地方の写真を撮り続けることを決意した。東北地方の町の写真は、京都の町中で撮っていた写真の撮り方をベースに、上原師匠の写真の猿真似、そして教えて頂いたことの消化から成り立っている。人生、何が何に連なっていくのか本当に分からないものだと思う。

さて、18年前というのは京都を去った時なので、実際によく写真を撮っていたのは20数年前のことだと思う。当時も歩いた花見小路界隈から分岐する小路。撮る喜びは当時と何も変わっていない。作法は変わったのだろうか。どこかに東北メソッドが加味されたのだろうか。嗚呼、師匠にこの写真を見て頂き、批評をして欲しかったなあ。今回の写真は人に誇るような要素は何もない。ただ自分が楽しむだけの写真だ。こういう写真を撮るときが、僕にとっての至福の刻なのである。



LEICA M10 MONOCHROME / Summicron M35mm ASPH




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京都に還る②〜 2nd Day:市場での朝食

2023-10-11 | 街:京都














今日の写真は、要するに錦市場に朝食を食べに行った写真である。
宿泊するホテルは烏丸の中心地を選んだ。最初の朝の朝食は、錦市場まで歩いて食べに行った(次の日はホテル内のスタバで済ませた)。京都に住んでいても、錦市場を毎日の買い物に使う人はそういないと思う。でも時折ということであれば多くの人が使う。我々も休日などに錦市場で買い物をしていた。惣菜とか野菜とかがメインだった。だし巻き卵もよく買った。家人は大きな松茸が格安で売っていたことが衝撃的だったようで、季節になると松茸を探していた。観光客となった今回は夕食の材料を買うことはない。その替わり、朝食を食べた。これは京都在住時にはやったことがないことだ。

さて、ホテルから錦市場までは歩いて500mほどだろうか。市場に着くまでに50枚以上の写真を撮り、市場のなかで150枚以上の写真を撮った。たかが朝食を食べにいくだけで、これだけ楽しめる町は他に類を見ない。朝の8時半ぴったりに朝食の店に入った。素朴で美味しかった。ホテルで朝食を取れば1500円以上はするから、これで正解だ。この時間の錦市場はまだ人出が少なく、リラックスして歩くことが出来た。ただ一人、目の色を変えて松茸を探す家人を除いては・・・・。



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京都に還る①〜1st Day:18年越しの光景

2023-10-10 | 街:京都














京都を離れ、秋田県に移住したのは18年前のことになる。あれからもう18年も経過した。俄には信じられない思いでいる。その間に色々なことがあった。色々なものが変化した。手に入れたものもあれば、失ったものもある。これから手に入れるものもあれば、これから失うものもある。要するにそれが人生だ。この18年間、一度も京都には行っていない。今回、二泊三日という短い日程ではあるが、18年の時を隔てて京都に出かけてきた。リアル浦島太郎である。今回の旅の目的は、①結婚25周年の記念、②切実に望むことを祈願すること、だった。正直、楽しいだけの旅ではない。それでも旅は旅。何日かに渡って掲載したい。

一応、若干の説明をしておくと、日にちごとに「ざっくり」としたテーマに分けて掲載する。最終日はほぼ移動だけなので振り返りとなるかもしれない。持参したカメラはライカとGRⅢ(あとiPhone)なので、殆どの写真はモノクロとなる。経費削減のため、仙台空港からLCCを使っての旅だった。初日はお昼に京都に着き、昼食を食べ、下鴨神社に行き、あとは予約した夕食を食べて終わりである。帰りがけに先斗町辺りも歩いてみたけど、もはやゆっくり歩く場所ではなくなっていた。夜は写真を撮ることさえ難しい。僕が住んでいた頃は、会社帰りにふらふら歩き、何となく良さげな店に入ったものだ。幾つかの店では常連にもなった。キリッとした板前と美人の女将が二人三脚でやっているような店だった。それはもう御伽噺かもしれない。でもそこは京都。千年以上前の町割りが残り、数百年前の建物が残る街である。細胞が入れ替わるように、細部が変わっても京都であり続けている。十年単位の変遷など誤差の範囲かもしれない。さあ、旅は始まった。

追伸:今回の写真のどこかに、家人が写っております。



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