棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

2-鍔雑記

2018-03-24 18:22:07 | 山郷の暮し
画人としての感覚で鍔を形や図柄から5種に大別してみましたが、これはあくまでも私の見識の範囲であることを申しておきます。

蔵書のなかに「平安紋鑑」という復古本があります。
京都の紋章工芸協会が正確さが失われてゆく紋章を、昭和11年に編纂し今日まで再販されている本です。
これによると、日本に紋章らしいものが現れたのは平安時代の中ごろからです。
当時勢力のあった藤原氏一族を中心に家柄を重んじるふうが盛んになるにつれ、正装や輿などに家柄や身分を誇示するしるしとして描いた。
これらが発展し世襲されるようになった。
戦国歴史劇でおなじみの、陣旗や武具などのデザインにもなっていますね。
確実に家紋として多様化していったのでしょう。

 徳川時代になると敵味方をあらわす目的はなくなり、主に意義をただす目的とともに家系をあらわすことになった。
参勤交代が始まると特に家紋は大事な表示になる。
また、登城には厳格なさだめがあり、互いの名前・役職・地位その他を知るのに紋章は公務上絶対に欠かせないものとなり、図録もできたようだ。
先に書いた「紋鑑」の始まりですね。

かい摘んで記しましたが、この本を見ているだけで実に楽しい図柄である。
葵の紋はどなたもご存知でしょうが60種近くあります。
鍔のデザインにも葵図がありますが残念ながら私は手元にありませんし、資料も無いのでお見せで着ません。スミマセン・・。
江戸時代に鍔辞典のようなものが出版され、復刻版もあるようですがとても高くて買えません。
図書館でもありませんでした。

鍔は刀身がありますからどうしても中心穴(なかごあな)があり、絶対的ではありませんが、左右に小柄ひつ孔・こうがいひつ孔などがあります。
これらを考慮してのデザイン化ですからなかなか難しいことかと思います。

写真の鍔は以前に投稿した「修正をした鍔」で、茗荷紋の一つです。

ネットでの記憶だけですが茗荷図柄の鍔はたくさん見かけ、
それもそのはず、茗荷紋は10大家紋の一つで70種以上もあるのです。

裏覚えですが巴紋(ドラえもんではありません)は鍔デザイン化しやすいと見え、さまざまなものを巴型組んでいます。
面白いのは大根やナスなどを絵柄にしているものも珍しくはありません。
おそらく、大根やなすびはよく実り、縁起の良い作物と洒落たのではないでしょうか。


写真はネットの画面より 
子守をしている大変珍しい絵柄ですね。このようなものを作り上げたことにビックラします。

2-鍔は面白い

2018-03-19 14:45:23 | 山郷の暮し
昨日と一変し朝か重い空で、いまにも降ってきそうです。まだまだ冬の気温です。

 鍔の画像を見だしてからまず感じたデザインは、アバウトにいえば5種に大別できそうだ。

1 いかにも鍔という感じで、こじんまりとしっかりしたデザインはどことなく「家紋」に似ている。
実際にストレートにそのようにした鍔も少なくない。
私はこの家紋を生み出した美意識が、鍔デザインの根底にあったと思っています。
写真は必ずしも文の画像とはいえませんが、葵を巴形に組み合わせたしゃれたもの。
ネットの画面です。

2 次に感じたのは6センチから大きくとも9センチのほぼ円形(変形も多いが)の中に花鳥風景を描き出しているモノだ。
正直 これらの鍔は驚嘆に値する構成やセンスで、まさに日本ならばこそだと思う。
私がもっとも興味を感じる鍔で、是非ともコレクションしたいが目をつけるものは高価である。

3 さらに日本独特な構成素材として干支や縁起のいいもの、言い伝えられた物語や人物、なによりも昆虫や魚類などだ。
最も判りやすいのは、武将の兜や軍旗などにトンボやムカデなどがデザインされていることである。
いずれも「あとに引かない」と武将魂を象徴しています。
ヨーロッパの方が虫などはもっとも弱い存在で、騎士の象徴にするなど考えられないと驚嘆していたことを思い出しました。

4 そして、現代デザインを思わせる粋で斬新な形状や模様。
これらは実戦を離れた江戸期からで、鍔としての美意識の上に制作されたと思う。
特に元禄時代のものは派手で斬新さがある。

5 判ってくるうちに、戦国以前の鍔はあまり図柄もなく、ごつくていかにも丈夫そうで実践用である。
 鍔工ばかりではなく、刀師や甲冑師などの鍔が伝わっています。余談ですがこれらは割合高価になっています。

鍔の図柄で大別をしましたが、素材・技法・年代、はたまた流派等区別の方法はいくらでもありそうですが、
先に書いたように私は画人として図柄に注目をし思いつくまま記しています。

代表的な鍔はこれですよと、大見得を切ってみたいのですが「そんなことは言いきれない」と異論と鍔迫り合いになる前に、紹介できるほど見識は無いことを先に言っておきます。

鍔って面白い

2018-03-16 16:33:39 | 山郷の暮し
鍔の事などまったく関心がなかったのだが、「文鎮にでもしてください」といただいたのがきっかけでオークションを検索しだした。
そのいきさつは先に投稿しました。
冬の寒さもあり制作もままならず暇つぶしに研究をするうちに、モーー夢中になってしまった。

実戦では突き刺すのが主な戦法で、鍔の目的は手が滑って自ら指を切ってしまわないためのストッパーであった。
先にも書いたが「鍔迫り合い」は実戦ではなかったようだ。
韓国の時代劇には突き刺す武術で、直刀であり、古来の日本もそうであった。
鍔形状の大きな違いは、中心穴(なかごあな)の形が日本刀では鯉形で、韓国は長方形といかにも突き刺すにふさわしい形だ。
日本はいつしか弓なりの切る形になったのは、鋼材の違いなども関係あるようだ。

オークションにも時折長方形の中心孔の鍔が出品されることがあり、勉強不足のころは変な孔型だと思っていた。
また模様などは日本の鍔ほど意匠に富んだものはまだ見ていない。

日本刀のことに薀蓄をの賜る知識や興味はないが、他国の文化と比べたとき大きな違いがある。
武器をここまで意匠を凝らし、美術品にまで格調高いものに仕上げたのは日本だけではないだろうか。
海外の旅などでは必ず美術館ばかりでなく博物館にも入館するが、どこの国でも歴史的な武器の展示コーナーがある。
武器類には特に感心が無かったということもあるが、「美しいなー」と魅せられてしまった武器は思い出せない。
王様・貴族階級のキンキラなサーベルも鎧も同様である。

日本刀の刀身のすごさに世界が認めているが、意外と鍔をはじめとする他の装飾細工に注目をされていない。
刀身は国宝・文化財指定も数あり、今もって有名な刀鍛冶が伝わっており、興味の無い者もナントナク聞き覚えがあるものだ。
しかし、独自な発展を遂げた鍔においては、鍔工どころか代表的な流派すら知られていない。
私もつい3-4ヶ月前まで知らなかった。
これから専門職的(骨董屋的)なことではなく、画人としての思いつくままを記していこう。

3-鍔の修正  乞食の喧嘩から

2018-03-08 14:59:52 | 山郷の暮し
つい 乞食の喧嘩 と言ってしまいましたが、金にもならないアホラシキ行為とでもいう意味でしょうか。
ちなみに検索をして見ましたらそれなりに馬鹿馬鹿しいことの羅列でした。

 お湯に浸ながら気が向けば表面のヌルヌルを落とすことであったが、次第に遊離感は少なくなり、硬い真っ黒なこびりついた一面に変化は見られなくなってしまった。
もーお湯で溶け出す段階ではないと判断し、思い切って篆刻に使用するハンド電動機にて振動をたよりにやってみるが、思うほど剥げ落ちてくれない。
その硬さには芯から驚かされ、いったいどおいうしろものなのであろうか???ばかり。
黒色は墨ではなく微粒な鉄粉だとも思える。
暖かな日はお日様を浴びながらガーガーがーと。0.1ミリほどの粒が取れればヤッターーと思うほど作業が続いた。

 お湯につけると塗られたものが真っ黒になり、水で冷やすといぶし銀又は半透明になる。
多分膠による発色のためか思われたが、金属の硬さとはことなるネバリがあるもので遅々として進まなかった。

 それにしても銅地のぶつぶつのある状態に線刻をし、その上高価な銀鍍金をしたものであるが
それまでにしての鍔なのか修正作業をしていて腑に落ちない。
今は制作の発想も無く暇をもてあましているが、ものすごく無駄な馬鹿馬鹿しいことをしているのではないかと思ったりもしたり・・。
 
 表側を重点的に削り落としたが、落としきれなくても終了とする。
裏面との作業量はかなり違うがあえて止め、当初の様子を幾分残すことにした。10日以上の作業であった。

 いま見違えるほど綺麗になった鍔を目の前に飾っているが、透かしの部分に分厚くこびりついている所がありシャープな輪郭が失せている。
修正となるとやすりで削り取るしかないがモーやめた。
 見ていると地の荒さが平坦な輝きではなく燻し銀のような輝きにしている。
もしかしたらそのことを読みきっての細工となるとこれは大したものだ。
と、視点を変えて鑑賞していると、なんとなく自分で細工をしたような気分になり返すのが惜しくなってきた。

乞食の喧嘩も少しは喜んでもらえるものと、多少の満足感はありました。
それでいいのだーーー。

2-鍔の修正

2018-03-06 14:09:54 | 山郷の暮し
前回の鍋のそこにあるのがこの鍔です。
修正という言葉が正しいのか判りませんが、修復でないことは確かなので修正としました。

黒く汚らしいナニカがだいぶ取れた状態ですが、最初の姿を記録をしていなかったのは残念です。
はじめてから一週間目くらいで、銅地銀鍍金 とわかり、あながち馬鹿にしたものではないと慎重になりました。
写真では光の関係もあり銀色に輝いてはいませんが、燻し銀のような風味がありました。
そこで 銅地銀鍍金 巴組線刻茗荷鍔 と銘銘。漢字がずらりと並ぶとそれらしく感じませんか・・。

 これからは夢想であるが「ナゼ黒くしてしまったのか・・。」ということです。
銀色に輝くまことに派手な鍔は、もしかしたら江戸文化の最盛期である元禄時代のものか・・。
ご存知のごとくこの時代は町民文化の爆発的な発展であった。
はたして元禄様式なる鍔があるのか判らないが、元禄時代は名字帯刀をえた町人はかなり立派な鍔を発注したようだ。

元禄の華やかな時代も1724年に倹約令が発せられ終焉。
それゆえにあわてて黒く塗ってしまったのか。
 またまた時代はすぎ、幕末が近かづきつつある天保の水野政権の時代、1842年にもまたまた倹約令が発せられる。
これはかなり厳しいものであったようである。
もしかしたら、この時代に塗られたか・・。

 私のコレクションの鍔に同じように派手なものがある。
「ハナマル型・ひまわり」は一見現代モノかと思ってしまうほどだ。

これも黒く塗られていた形勢があり、後時代の持ち主の誰かがかなり乱暴に落としたと見え傷だらけである。
残された垢黒はシンナーにて落とすことができた。
ともかく、製造時と異なった姿に変じた鍔に、面白い物語を推理できるのではないか。

 修正時 後ろを見れば電気釜から湯気が立ち、お湯の中にこの鍔が鎮座しています。
PCからはなれ筆にて湯の中の鍔をチョコ・チョコとこする。
乞食の喧嘩であった。(蛇足ですがこの意味わかりますか)

鍔の修正 奮闘記

2018-03-05 18:11:29 | 山郷の暮し
 奮闘記などと大仰で、写真となると汚らしい鍋からです。

知人が鍔のまとめ買をしたのだがどう見てもひどい状態のものがあり、何とかならないかと持ってきた。
私は鍔には素人であり、ましてや修正などできないとお断りしたが、だめもとだから研究のつもりでためしてくれ、ということになる。

経年の汚れというよりも図柄もわからないほど汚らしい代物である。
べっとりと塗られた黒いものが、いかなるものかわからなくてはならない。
手順はお湯にて洗ってみるとベタつきがあり墨のような黒色が手に着く。
湯に溶けるとなると漆ではない。
膠ではないかと判断し4-50度のお湯に一晩つけておくと、御湯がわずかに飴色になっている。
しかし、ベットリと塗られた(又は濃い膠に浸けたかも・透かし・耳部にはシズクの塊が着いている)黒いものは取れない。

 膠は湯から出せばたちまち硬くなり、こんなときはまことに始末が悪い。そのうえ、現在の膠と異なりかなり接着力は強く硬いしろものである。
知人の日本画家や工芸家から聞いた話であるが、昔のような良い膠がなくて困るといっていたことを思い出す。
話を戻すと、強烈な膠におそらく墨を混ぜたか、削り取った黒粉は砂鉄のように磁石に反応する。
もしかしたら鉄粉でも混ぜ込んだのか、ともかく硬くこびりついている。
膠は湯に浸けておくだけでは溶解剥離はしてくれず、揺り動かさなくてはならない。


 二日目にして銅地で線刻による巴組された茗荷模様であることが判った。
そのうえ銀鍍金がされている。となると、あまり強く擦り取ることをできない。
ともかく時をかけてお湯の中で筆にて気長に擦り取るしかないが、簡単にはいかない。
4日にしてもまだまだ取れない。線刻に食い込んでいるうえに銅の地肌がアバタである。。
綺麗になっていくにしたがって、こびりついた黒がかえって気になるものである。

 さて鍔本体のことであるが、地造りがかなり荒くアバタで、また、線刻も丁寧さに欠けている。
気になったのは、切羽台が凸凹で使用感が無い。
あえてそのように製造したかは不明だが、銀鍍金をする限りそれなりのものには違いがない。
ではなぜ黒色を塗ってしまったか、それもかなり雑な感じである。
鍔には漆塗りをされたものもあり、ナニカ塗られているものも珍しくはないが、この鍔に関しては素人仕事としか思えない雑さである。
何よりも地の荒さに食い込んでおり、取れにくい。製造時の姿に戻したく根気仕事である。

こんな状態が一週間も続くことになってしまった。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本