棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

17-8-29 北朝鮮の危機と作品のテーマ

2017-08-29 19:36:31 | 山郷の暮し

今朝は日本中が騒然とした朝だったんですね。
6時にはいつもは起きているのですが、今朝はなんとなく体が目覚めなく8時ころまでゴロゴロしていた。
体調は悪くはないのだが朝飯も食わず、散歩に行く気もない。ハナも「散歩にいこーー」とも言わない。
当初から絵の具を乾かすために、今日の予定は筆をとらないことにしていた。

TVも見ることもなく、ネットのニュースを見たのは10時ころだった。
「北朝鮮弾道ミサイルが北海道上空を飛来。警報を発令」ご存知、と言うようなことだ。
「日本などわが国の手の内にある」とでも言わんばかりの軍事的挑発だ。
私たちはこれからどのように対応していかなくてはならないか、能天気に構えて入られなくなった。

さて、その直接の重大な問題が今回の投稿目的ではなく、くしくもただ今制作をしている作品の意図と重なったと言える。
先日投稿した「嵐が来る」の作品ですが、たいした意図もなく、目的は嵐前の風を表したいものだった。
それなりに完成をしたがどうも納得ができない。
私の作品になりえていないのだ。面白くない。
散歩中に飛行機雲を描きいれることを思いつき、帰宅後ただちに線を引く。
画面がまるっきり変わり「これだ!!」となり、それまでとは異なる制作意図が固まってきた。

久しぶりに旧友が訪れ、意見を聞く。
いかにも私らしい絵だが、もっと明確なメッセージを表してほしい。たとえば・・・・。
と、それから制作談義になったが話の中でひらめいたのが「原爆投下の破壊された広島」であった。

翌日、ネットにて写真を検索し、それから沸いたイメージを一気に描く。
「オレの絵になった」と大満足。
その夜、作品を見ながら晩酌・・。まてよ、風景的な描き方ではなくシュール的なものにした見たら・・。
と思い浮かび、原爆ドームをもっと大きくしてみようと思い描く。
翌日、PCにてテスト的に創ってみる。これでいこうと決定。
題名も「白日夢・1945年 8月 11日」

原爆ドームを大きく描くために、絵の具を幾分固まらせる必要があり、今日は制作をお休みしていたのです。


ミツバチのお家

2017-08-28 17:17:22 | 山郷の暮し
いつもの散歩道に養蜂家のミツバチのお家が置かれているところがあります。
そのすぐ脇を通るのですが、ウオン・ウオンと飛び回っている。
しかし一度も刺されたことはありませんから、怪しげな動きをしないかぎり大丈夫だと思っていますが、
陽射しの高い時は注意をしています。
何でも興味を示す犬のハナも、やばい事と察知してか足早に通り過ぎる。


 これからスズメバチがこのお家を襲い、ミツバチたちが必死で戦っていることがあります。
羽音も一段とはげしくなり、なんともすざましくも見え、撮影ができたらなー、などと思いますが戦いの余波がきたのではたまりません。
そお感じさせるほどのパニックになったミツバチたちの動きです。

写真は夕方の動きが鈍ったころの様子ですが、バカチョンではよくわかりませんね。
お家の屋上にあたる所にある装置はいったいなんのためなのかわかりません。
蜂たちの出入りは、草で隠れていますが下部の玄関からで、遠目の観察からでは判らない。

残念ながら養蜂家の方に行き会えていません。

秋の空

2017-08-27 12:15:57 | 山郷の暮し
昨夕の散歩は夕焼け空を見ながらの楽しいものでした。


TVでの秋田大曲花火大会の中継を観ながらの晩酌。
大雨で中止になってしまうのではと心配していましたが、煙も立ち込めることもなく立派な花火が次々と打ちあがりました。
色ー光の鮮やかさは銀を混ぜることによって増したといいます。
私は紫色の輝きが中でも好きな光です。

長野県では諏訪湖の花火が有名で、以前は電車に乗ってよく出かけました。
なじみの飲み屋ができ、ついつい飲みすぎその店の縁台から観た事もある。

音の響きが特徴で、水面にさざなみが沸き立つほどで、それに写る光が美しい。
腹にドッンとくるほどの衝撃は魅力的ですが、今は桟敷席を確保しなければ体験できなくなってしまった。
また、堰堤の並木が大きくなってしまい、昔のように道から湖面から打ちあがってゆく様が見れなくなってしまった。
総て有料になったのは仕方がないことなのでしょう・・。

元気ですよーーー

2017-08-25 09:45:56 | 山郷の暮し
昨日は朝方はうじうじしていましたが、10時を過ぎたころから強い陽射しが湿っていた大地を照らし気温は一気に上がりだす。
雨上がりのように水蒸気沸き立つほどではありませんが、(その様はまるで白龍が昇るようです)まさに蒸し風呂のごときだ。
風がまったくなく、陽射しはばかりではなく木陰に入ってもムーーん・ベタベタしてきます。
緑一杯の、と言うより緑の中の花の谷でこの蒸し暑さでしたが、今朝は昨日の蒸し暑さが残り気分の悪い始まりでした。
猛暑の一日になるのかなと思いきや、雲がしだいに厚みを増し雨模様。
北陸から新潟にかけて大雨注意報がでり、その余波でにわかに天候が崩れたのでしょうか。
今年の夏はなんともさえない日々です。

しばらく制作がとまっていた「雷雲来る F50 油彩」の制作が一気に進みました。
この作品の意図は今年の春から描いている「風」をテーマにしたもの。

少々へ理屈を申せば、観たり触れたりすることができないが確かにアルと確信する魂のようなものを
「連続する生命体」として抽象的な制作をしてきた。
2-3年前からそのテーマで具体的に表現する素材として「風または気の流れ」を探り出した。

昔から「風の足跡」のたとえがあるように、風の表現は様々にあります。
台風のような強風は具体的に表現しやすいが、そよ吹く風の表現は難しい。
それだけに、人の心の一面として表すこともできないでもない。
つまり、見えないものを表すことになる。
と、判ったようなそおでないことはこの辺にして、話を戻しましょう。

描き始めは7月半ばでしたが中途のまま筆が取れなかったのは、体内から湧き上がってくる力が足りなかったのです。
大地のエネルギーを吸い上げ湧き上がる入道雲。真っ黒な雷雲が押し寄せ、風が吹き出してくる。
過去においてあまり制作をしてこなかった風景画に観られますが、私の中では別な位置づけになっています。正直 素直に風景画を描いていますと言えないのです。
「連続する生命体」と同じく、あらゆる生命の活力を表しているのです。
さらに、黒雲が押し寄せる様は現在の世情を暗示。
ただしその解決策を芸術家としい表せないのは残念で、筆が止まってしまった一因でもあるのです。


一気に気温が上がった昨日の天気に私の体も燃え上がってきました。
私は実に単純で雨や曇りの日はまったくやる気が失せてしまうのです。
とはいっても、くそ暑いのもたまりませんが。

たいした制作意図はありませんが「龍さん、元気だねー」と言ってもらえたら嬉しいなーー。

彼岸花

2017-08-20 12:51:01 | 山郷の暮し
うだるような暑さもたまりませんが、まるで梅雨のようなうっとおしい日が続き、
所によっては集中豪雨で被害も出ています。
日々の散歩コースで山すその小道はぬかるみ、油断をするとスッテんころりんとなってしまいます。
真夏でこのようなことは、夕立の後くらいで記憶にありません。
野菜などは日照不足で良いものができていないようで、葉物野菜は高くなっていますね。
雑草の伸びは早く私などはとっくにいやになっていますが、その草むらから例年になく見事に咲いているのが彼岸花です。
それは我が家の雑草畑ばかりでなく、散歩道の雑草が茂る小道でもいえます。

この彼岸花の葉は水仙の葉を大きくしたような形状で、初夏になるころは枯れてしまい、いつの間にか消えています。
そして彼岸あたりからまるで筆のような細い茎がすーーと伸び、一見ユリに似たようなうす桃色の花がつく。
この花を良く観ると、空色や紫が潜みどことなく不思議な色合い。
私は切花として飾りますが、人によっては忌み嫌う方もいます。
開花する時期が名前のごとく彼岸ということと、葉もつけずに延びてきて咲くことにあるのかもしれない。
いかにも昔の日本的心情だと感じています。


葉のことですが、春の間はしっかり立っておりそれなりに美しいのですが、
暑くなってくると濃い緑色も失せ、だらしのない姿になってしまう。
そこで切ってしまうと花をつけてくれない。それもまた変わっています。
それは真っ赤なマンジュシャゲも同じようです。この花も彼岸花と呼ばれています。

南部町の火祭り・・盂蘭盆会

2017-08-16 17:58:02 | 山郷の暮し
小雨降りうすら寒くさえあるお盆の最終日になっています。
昨夜は山梨県南部町の火祭りの見学に行ってきました。
南部町は甲府市より富士川に沿って、ほぼ一時間半ほど清水市に向う県境に近いところ。
以前にこの祭りをTVで視聴してより気になっていた催しで、甲府在住の友に話したところ、
一度見たことがあり、厳かな雰囲気に心残るものだった。と言うことで彼の案内で出かけました。
残念ながら雨降りで、足元はグチャグチャになってしまいましたが、いつしか気にもせずに河川敷を歩き回りました。
では、この祭りの概要をパンフレットから抜粋します。

 火祭りの由来
起源は定かではないが、江戸時代の初期に富士川の改修以後、舟運が盛んになった元禄ころからと推定。
仏教の盂蘭盆会と習合し、盆の送り火や川施餓鬼として受けつながれてきたものと思われる。
かつて富士川下流域全域で行なわれていたが、今は南部の火祭りだけが規模を拡大して伝承されている。


 投松明
10数mの竿先にのせた籠をめがけ、火をつけた松明をグルグル回して投げ入れる。
いくつもの火の輪が重なり見え、幽玄な世界を創り上げる。
  これは見なかった。まことに残念だった。
  灯篭流し
僧侶の読経により灯篭流しが行なわれる。
  これもは場所がわからず見損なった。

 大松明(7時45分点火)これが本命のもので、見た感想を書きます。

町内外の各寺から集められた塔婆を、高さ15メートル近く円錐形に積み上げたもの。パンフによると約3万本
この大松明を中心に高さ10メートルほどの同型の松明が108つ延々と並んでいる。
読経とともに大松明に点火され、燃え上がるに従い次々と小さな松明が点火され、フット我に返れば富士川の河川敷に
長い火の列が生まれていた。
パチパチとはぜる火の粉が真っ暗な空に舞い上がり、降る雨を赤く輝やかせた。


河川敷に流れていた童謡は、この火祭りを歌ったもののようで、なんとも言いがたいムードをつくりあげていた。
CDがあると思うので手に入れたいほどだ。

火の勢いが増すと、その熱気を感じるほどで、堤防には見学者の傘の波がほんのりと照らされていた。
ドドトーーンと花火が打ち上げられ、火祭りは一層盛り上がったが正直 ついで のように見えた。
主役は川辺に燃える108つの松明で、まさに幽玄という世界であった。


初めての見学でかってが解らない上に、雨降りもあり心残りはあったが最終前に帰路に着く。
なにか久々にすばらしい盂蘭盆会を体験した思いだった。

来年は6時には待機し、通しで観るぞ・・・。

お盆の供養物

2017-08-12 10:47:01 | 山郷の暮し
お盆休みに入り帰郷されている方や、親類縁者の集まりでフーフーしている家族もおいででしょうね。
今日のネットニュースで「お盆玉」についての記載がありました。

「お盆玉」じわり浸透=知名度3割、平均5900円―民間調査
「『お盆玉』、じわり浸透」。 あおぞら銀行がこのほど発表した調査によると、
お盆シーズンに帰省した子や孫にお小遣いをあげる「お盆玉」という言葉を知っているシニア層の割合は3割弱に上った。
実際にあげる予...-時事通信-1時間前
お年玉ではない「お盆玉」って知っている? 相場は?-ZUU online-1日前
私は始めて聞いたことばでした。

私にとってお盆とは、お墓参りでもなく「お盆玉」でもありません。
いつものように仏壇に向っての「般若心経」の3--10回の読経です。

しかし思い出すのが、お盆の仏壇お供え物として作らされたのが、ナス・きゅうりで作る牛・馬でした。
足は割り箸でたてがみや尻尾はとうもろこしの毛。
仕上げとして背中には茹でたソウメンを乗せます。
庭先の菜園の曲がりくねった物が良く、マーケットで売られている真っ直ぐななす・きゅうりでは様になりませんね。
お盆の最終日には他の供養物とともに川に流しに行きました。

灯篭流しや七夕飾りなど、川は異界へとつながる道として、子供心にも迷信だと思いながらも「もしかしたら」という、
おののきもあったことは確かです。
通り相場の自然環境問題で只今は廃れてしまった川流し、ご先祖・亡き人を偲ぶばかりでなく、
この世と異界である あの世 に想像をはせるのも面白きことです。
「迷信だ」の一言で切り捨てるのはいかにせんもったいない「日本的心」ではないでしょうか。

玄関先で焚く、迎え火・送り火は地域によって材料が異なりますが、松本地方は白樺の皮を使います。
真っ黒な油煙とにおいが強く、何か特別な火だと感じます。
地域により燃やす材料は異なっていても、普段の焚き火ではないことを感じていることでしょう。


七夕様

2017-08-11 10:19:40 | 山郷の暮し
七夕はとっくにすぎましたが、松本地方は月遅れの8月7日に行なわれます。
とはいっても、庭や玄関先に家族で作った七夕飾りを観ることは稀になってしまいました。
只今の若い方の七夕様の記憶は、幼稚園でのこととなっているようです。

私の思いでは、たんざくに書く墨の水は「サトイモか蓮」の水滴を使うことです。
今思うに、ころころと揺れ、輝く水滴を集めるのには早起きをしなくてはいけなかった。
神聖な水 ということで、その水で墨をすり願いを短冊に書く ということです。
今のように決して派手な短冊ではなかったのですが、兄弟で作った七夕飾りに満足をしました。
特別なお供え物は思い出せませんが、何かお菓子をいただいたと思います。

さて、松本の七夕飾りは全国でも珍しいものです。
今でも写真のように街中で飾られ、観光客が素朴な人形にカメラをかざしています。  先日撮影

自著 絵本・松本歴史絵巻より抜粋いたします。

私が幼少の頃、8月7日の七夕には、里芋の葉にたまった朝露を集めるように母にいわれた。
その水で墨をするのである。「いったいなんで?」と思いつつも、調べることもなく今日に至ったが、
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の執筆のなかに、そのいわれが書かれていた。
以下、「天の川縁起」から抜粋しよう。

 古い日本で行なわれてきた楽しいお祭も数々あるが、中でも一番ロマンチックなのは 
七夕さまつまり[天の川の織姫]のまつりであった。・・・・・・
と始まり、中国伝来の七夕物語や日本化した物語をいくつか紹介している。
そして、「どうやら日本における七夕祭りは、最初今から1150年前に、シナの先例に従って、
もっぱら宮廷の祭事として確立されたようにおもわれる。
その後日本全国の貴族および武士階級が宮中の行事にならって、一般にいわゆる星祭を祝う習わしが徐々に下に及び、
しまいに7月7日が、[七夕]の言葉の通りに、国民の祭日になったのである。」
さらに、七夕祭が本当に国民の祭事となったのは、徳川時代からだとし、その理由として紙が安くなったことを上げて
いる。さらに、7月7日には未だ暗いうちに起きて、芋の葉から露「天の川のしずく」をあつめる。その水で墨をすり、
七夕に飾る短冊に書く。友達の間で新しい硯をプレゼントしあう。

 小泉八雲は、七夕伝説は中国から入ってきたものには違いないが、万葉集の歌の数々から、純粋に日本古代の生活と思想を感じると絶賛している。
記述なかで松本の七夕祭りと似た事が書かれ、注意を引いた。
出雲の習わしに、男竹と女竹を一間ほどはなして立て、はり渡した縄に、切り紙で着物をかたどったものを飾ったとある。
紀行作家として有名な菅江真澄の『くめじの橋』に、山辺湯の原の七夕祭りをイラスト入りで紹介し、上記と類似していて面白い。

松本の七夕人形

子供の祭り関係で松本の独特なものに、板や紙に顔を描き、着物を着せた七夕人形がある。
江戸時代の中頃にはこの習俗があったようで、水野家の家臣の回想記に、
『七夕には赤・青・黄色等の紙にて、羽織形を裁ち、木にて七夕となずけ拵え、右羽織を着せ、
6日より細引きに通し、あいだあいだへおんな七夕を紙に裁ち、懸けおく也。』

 江戸時代、松本から越後の一部にかけて七夕に人形を飾る習わしは、当時も中央の文人墨客に注目されていた。
松本押し絵雛と同じく、顔を描いた板は士族の内職だった。

夏の子供の行事--ぼんぼん

2017-08-10 09:26:24 | 山郷の暮し
 自著 絵本・松本歴史絵巻 女鳥羽川 より

  ぼんぼんとても今日明日ばかり あさってはお山のしおれ草
いいなー。めちゃめちゃいいナー。
平安貴族的というか、都風というか、花びらがゆったりと流れる清水というか・・・。
ともかくイイ。なにを舞い上がっているダイ。と言われそうだが、同時に行なわれていた男組の「青山様」は、
女組の行列に比べたらツイデじゃあねえかと、子供心にも思ったジ。

 薄暗い路地でぼんぼんの行列とすれ違うとき、隣家の花子になにかドキッとさせられ、
訳もわからずただ馬鹿でかい声で「あおやまさまだワッショイコラショ」と叫ぶしかなかった。

 ソウなんだ、三九朗にしても青山様・ぼんぼんにしても、
こども主役の祭りはノスタルジーの世界になっちまった。松本唯一の子供の伝統行事は、
世界に誇れる行事だと心から思うジ。
(注 現在松本ボンボン という市内を踊り歩く行事がありますが、その商業祭りとは違います)

 ぼんぼんの子供遊び

江戸時代の「続江戸砂子」に、子供たちがぼんぼん歌を通りを歌いながら行進した様子が報告されています。
さらに「江戸は京都と同じく、手を引き合い横に列になり二―三列と行く。
しかれども京阪のごとく盛んにならず。丁子及び婢をともにするも稀にて、多くは小民の娘のみ。また多数稀なり。その辞発言必ずぼんぼんという」とあり、余り盛んでなかったようだ。
京ではこの遊びを「さあのや」と呼び大阪では゜おんごくーー遠国」。
東海地方では[御衣祭--おんごまつり」と称した。

江戸の歌詞
ぼんぼんぼんは今日明日ばかり
あしたはお嫁のしほれ草                   
しほれた草をやぐらにかけて
したから見れば ボケの花
ボケの花

同じく
ぼけたぼけたとどこまでぼけた
吉原女郎みなぼけた
ぼけたぼけた

式亭三馬[浮世風呂」より
長い長い両国橋や長い
お馬でやろかお駕籠でやろか
お馬も否よ お駕籠もいやよ
一六―七手を引かれ 手を引かれ

松本地方の歌詞
やおやのまえで茄子の皮ひろって
お松さんおいで お竹さんもおいで
ままごとやるで 皆んおーーいで
ままごとやるで ホイホイ

あの山陰で光るものはなんじゃ
月が星が蛍の虫が
月でもナーーいが星でもないが
姑のお婆の目がひかる
姑のおばば ホイホイ
 


残念でしたが・・・

2017-08-09 09:24:37 | 山郷の暮し
台風一過、久しぶりに心地よい夏の朝です。
朝日が向かいの森を照らし出すと、油蝉の元気な声が響いてきます。
今 一匹が鼻先の桜の枝に飛来し、犬のハナがあわよくば食ってやろうと、しきりと気にしています。

昨夜は国宝松本城で薪能公演が予定されており、今年は久しぶりに観覧しょうとカレンダーに書き込んでおきました。
台風5号が気になっていましたが、3時過ぎには雲も切れてきたのでダメもとででかけました。
カメラ・水・お稲荷弁当そして携帯椅子と万全の準備。
市役所の駐車場は満杯だと予測し、少しはなれたところからお城に行けば「台風5号につき中止」と大看板。
道々、歩く人の少なさにもしかしたら・・・が的中でした。

この公演はチョットの雨模様でも中止になってしまい、いままでに2回ほど中途中止を味わっています。
道具・楽器・衣装・面などなど文化財級のしろものでいかし方がありません。
イチャモンをつける声はあまりありませんが、「別な場所で出来るようにすればいいのにねーー。税金使っているんだから」とオバちゃんのぼやき。これはもう論外で、夜のお城風景を楽しむ時を得たと感謝をしましょう。

まだ明るいお城周辺を散歩。やはり「三国一のお城」と感じますが、いかにせん周囲が狭い
(写真では広々と見えるのですが)
世界遺産に向けて、埋め立てられたお堀を復活しょうとしているようですが、住民も多くこれは難しいことでしょう。





さて、私はこれこそ文化財的子供の行事だと思っている「青山様とぼんぼん」で子供たちが集まっていました。
写真のごとく 女の子はボタンの花のような頭飾りとたすきが特徴。
世話役のおじさんが「今日 初めての人は・・」と問えば、半数が手を上げていた。
歌う歌詞も今日が始めてという感じでした。
この子供の行事は松本市内だけに伝わってきたものですが、現在中心商店街に住んでいる家族が減ってしまい、子供がいないさうです。
残したくも主役がいなくなってはどうしょうもありませんね。

  復元された黒門から市内を回る

目的の薪能は観覧できませんでしたが、久しぶりにお城公園を遊歩。
空が染まりだすと喉がごろごろしだし、「縄手通りで一杯飲てーなー」
誘惑に打ち勝ち、帰路に着きました。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本