private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

商店街人力爆走選手権

2015-06-28 17:36:37 | 非定期連続小説

SCENE 6

「ちょっと、ついてこないでよ。ただでさえ昨日と同じ服で出勤してるんだから。昨日だって帰りもアンタと一緒に退社してるし、勘違いされるでしょ!」
「ムリっス。会社同じ方向ですし。ウチの部はフレックスじゃないから9時までの出社しないと、給料引かれるっス」
 微妙な早足ながら長いストライドを利用して歩を稼ぐ恵に対して、時おり小走りを交えながら戒人が後ろを追っていく。
 そのまま会社が入っているテナントビルの扉を突き進み、エレベーターに乗り込んだ。息が荒い戒人に対して、恵は静かに息を整える。
「アンタ、体力ないわねえ。これぐらいで息あがってどーすんのよ。少しは運動したら」
「オレ、頭脳労働系ですから、肉体系はムリっス」
「あっそう、それじゃあ、お父様の商店街をなんとかする企画のひとつでも考えて、社長に直訴でもしてみたら。じゃあね。もう二度と会うこともないでしょうけど」
 そう言って、事務フロアに到着したエレベーターの扉から出て行った。戒人のフロアはもうひとつ上の階だ。
 ようやく恵から解放されるとドッと疲れがぶり返してきた。戒人にしてみても、二度とご同伴は遠慮しておきたいところだ。
 結局、恵はあのまま朝まで店に居座って、早朝からスーパー銭湯探せだの、コンビニはないのかだの難題を押し付けられ、駅前まで30分かけて往復してコンビニに行き、しかも買わされたのが女性物の下着で、変に意識しないように、手早く会計を済まそうとするとかえって動揺してしまい、手が震え小銭を落とす始末で余計に時間がかかり、後ろに人が並び始めるともうあたまは真っ白になって、つり銭もそこそこにいつのまにか店を飛び出していた。あきらかに情緒不安定、行動不審の模範者にしか見えなかっただろう。
「しばらく、あのコンビニ行けねえなあ… 」
 一方、恵は恵で自分の事だけであたまが一杯で、戒人に迷惑かけたことなど覚えているどころか、そもそも迷惑をかけたなんて微塵も思ってはいない。
 フロアに入ると挨拶もそこそこに、部長室に入りカギを掛けた。ロッカーに代えの上着が常備してあるので、それに着替える。上だけでも違えば印象が変るので今日はこれで乗り切るつもりだ。
――朝から銭湯に入ったのって温泉旅行以来かしら。あの商店街も捨てたもんじゃないわね。
 戒人に下着を買いに行かせたものの、シャワーも浴びずに替えるのも抵抗があり、何とかしなさいよと、いつもの調子でムチャぶりしたところ、早朝から開いている銭湯があると教えられ、それならそれで早く言いなさいとどちらにしろ叱られていた。同じようなパターンを何度か続けていても、また同じ失敗を繰り返しており、イヤミか叱られなければ、パターンに陥ったこともわかっていない。いつまでたってもそこから抜け出せない戒人の鈍さにはあきれるばかりで、会社に採用したいきさつを責任者に問いただしてやりたいところだ。
 早朝の銭湯といえば、老人が多い土地柄だけに盛況かと思えば、なんのことはない閑散としていおり、恵と同じく、タコス屋で朝まで過ごした何人かが出て行くの見かけたぐらいで、なんだここも風前の灯火かと毒舌を吐くと、7時で閉まるからもうみんな帰ったあとだと教えられた。
 戒人の話しでは4時からやっていて、開く前から待っている人もいるそうだ。やはり老人。あなどれない。ならばいったい風呂屋のオヤジは何時から準備しているのかと問うと。
「ああ、あそこも3代目がオレのツレで、2時から準備してるって。のれん上げて、かたずけしてから昼まで寝て、夕方まで駅前のパチンコ屋で儲けてるっス。それでオレより羽振りがいいから、パチプロが本業で、銭湯は趣味みたいなもんつーか、閉めると方々から文句が出てうるさいから、閉めるに閉めれないってのが本音らしいっスけど」
 なんだかんだといって、隙間産業でしぶとく儲けている店もある、ようはやる気と働き手の問題じゃないだろうか。商店街の現状を見もしないで、企画を持って来たことに対する会長のイヤミも満更的外れではない。
――点が、線になればおもしろいけど。そもそも線だったのが点になっていったのが現実だからね。
 レカロの事務用チェアにドッカと座り、昨夜の失敗と収穫を思い起こしてみると、ならば昼間も見ておく必要があるのではないかと思えてきた。ただその前に、もうひとつ問題をなんとかしなければならないと髪をかきあげる。社長が昨夜の報告をいまや遅しと待っているはずだ。
「どう、報告しろってんのよ! ムチャぶりにもほどがあるわ」
 何てぼやいていると、さっそく内線が鳴る。電話を取らずに放っておくと、フロアの女子社員が電話の応対をすることになっている。しばらくしてドアがノックされ声がかかる。
「部長。社長がお呼びです。席を外しているから、戻り次第至急社長室に向かわせると伝えてあります」と、手慣れた文句を並べる。
 恵は「ありがとう」とだけ伝える。
 
体勢がととのっていないまま、敵地に乗り込むのは無謀というものだ。恵はさっそく席を離れた。フロアを通らずに、外部に出るもうひとつの扉を開けて、女子用のレストルームに向かった。
 鏡に映る自分の姿をチェックし、化粧を手直して、服装の乱れを整える。
 スキがあればいろいろと突っ込まれやすくなるし、なによりそうしておかなければ自分の強みを維持できない。ここで守るべき最低限のラインを保つことにより、自分のフィールドで戦えると思い込む必要がある。そうして恵は、いきおい社長室に乗り込んだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿