フランシスコの花束

 詩・韻文(短歌、俳句)

御絵と聖人伝

2009-10-08 18:38:37 | 祈りの日々

Img_0469_3
幼きイエスの聖テレーズの御絵。

 上の写真は、ぼくの手元にある数少ない「御絵(ごえ)」のひとつである。
 「御絵」はまた「聖絵」とも書いて、「ごえ」と読ませる。「聖画(せいが)」と言わせないのは、「聖画」なら、そこにある種の芸術性が予想されるが、カトリックの教会で販売されているこれらの「御絵」には、そんな芸術性のかけらもないからである。

 実際、ほとんど素人絵の領域を出ないものばかりの、品のない代物である。

 だから、ぼくは小さい頃から、この「御絵」なるものが大嫌いだった。ぼくの想像力をどの絵も汚すからである。ミケランジェロやラファエロの聖画でさえ、ぼくはぼくの想像力の妨げになると感じていたのであるから、上の写真に見るように、極彩色を使った甘ったるい画像にほとんど反吐を催すほどの嫌悪感を持ったことを、いくらかは理解していただけるだろう。

 教会で売られている「御絵」は、子供の宗教的情操にはきわめて害悪である。
 けれども母親や、年上の少女たちが、そんな下品な「御絵」をありがたがるのが不思議でならなかった。ぼくはそんな彼女らをほとんど馬鹿にしていた。いや、軽蔑さえしていた、というべきだろうか。女というものはあんな甘ったるい下品な絵が好みなんだ。そう思うと、年上の見目うるわしい少女たちでさえ、ぼくには何の魅力も感じることができなかった。
 たぶん、これが「女性」というものについての、ぼくの印象の最初の克明な記憶である。
 ぼくの心の中に今もかすかだが残されている女性蔑視の感情は、まさにここに始まったと言っていい。けっして言われなき女性蔑視ではない、のである。

 「ねっ、これきれいでしょ?」
 「ねっ、すてきな御絵でしょ?」

 日曜日のミサの後ごとに、そうやって嘘っぱちな「美」や「聖」を押しつけられるのは、ほんとにたまらないほどつらかったのである。
 たとえばぼくが、「そんな絵、ちっともよくない」とか「下品な絵だ」とか言おうものなら、ぼくはてんで聖なる感性の持ち合わせのない、美を理解しない、まったく俗人の魂を持っただめな子供、というレッテルを貼られるのである。
 もし、そんなことを言われようものなら、ぼくはその場でその少女を思いっきり蹴り上げるか、頭からその少女の体にぶつかっていただろう。
 それはまた、美や聖なる感性をもたないだけでなく、性状粗暴の許すべからざる子供、ということになって、ますますひどい蔑視や迫害を受けることになったはずである。

 だから、ぼくは押し殺した。
 心の中で、密かにさげすんだのである。

 ぼくをその下品さで辟易させたものがもう一つある。
 それは、いわゆる聖人伝というたぐいのものである。
 イエスのエピソードやいわゆる聖書物語のたぐいは、げっぷが出るほど読まされたが、幸いなことに、少年の域に達するまでは、まとまった聖人伝のようなものは読まされなかった。聖クリストフォロ伝説のようなヨーロッパに伝わる伝承や、高山右近や聖パウロ・三木のような歴史的事実の知られている話は、別である。

 ある日、ちょうど少年期にさしかかる頃だったか、聖アロイジオ・ゴンザガの伝記を与えられた。中を開いてみると、ゴンザガ城の御曹司であった聖アロイジオは、少年の時から自分の周囲に女性を近づけることを避けた、という記述があった。

 アロイジオは、母親が自分の部屋に入ってくるのでさえ好まなかった。そして、どうしても母親を部屋に入れなければならないときは、ほほを赤くし、恥ずかしげにうつむいて応対した。

 と言うようなことが書かれていた。この通りではなかったかも知れないが、ぼくの心に鮮明に刻みつけられた箇所である。なぜ、聖人伝作者はこのようなエピソードを挿入したか。
 ゴンザガ城の御曹司、アロイジオが青少年の純潔の保護聖人であったからである。彼がいかに自己の純潔に誠実であったか、純潔を守ることに腐心したか、こだわったか、性的忌避を心がけていたかを、強く読者に印象づけたかったからである。

 けれども、日々母親と仲良く暮らしているぼくには、このようなエピソードはほとんど衝撃とでも言うべきものである。愕然とした。「聖人になるには、自分の産みの母親でさえもまたこのように遠ざけねばならないのか」と。「聖人」とは小さいときから、このように性に対して過敏だというのだろうか。過敏に反応して、警戒心を怠らないということだろうか?

 けれどもこれは許されざる嘘であった。
 ヨーロッパの貴族の子は、母親とは離されて育てられる。母親と顔を合わせたり、ともに語り合う機会は、ぼくら日本の庶民の家庭と比べると、きわめて少ないのである。そのような環境に隔離されて育ったゴンザガ城の跡取り息子アロイジオが、たまに顔を合わせる若く美しい母親に、どぎまぎしたのは当然のことである。それは何も彼が純潔の覚悟に立って清く正しく生きていたからではない。
 アロイジオは自分の姉にも顔を赤くしたと書かれてもいるが、それも当然である。
 ゴンザガ城の唯一の跡取り息子は、姉たちとはいえ、女の兄弟とは別格の存在であった。当然、一緒に遊ぶなどと言うことはあり得なかった。血のつながった姉とはいえ、たまに出会う見目うるわしい少女、自分より数段も大人の少女である。顔を赤らめるのは、ごく自然な心なのである。

 けれども、ぼくがそんな当たり前のことに気づいたのは、ぐっと大人になってからである。
 少年から青年へと育っていく間中、こんなぼくでは、修道院なんかには入れそうにない、とまじめに思っていたのである。
 
 まして、はじめて「幼きイエスの聖テレジア」の『自叙伝』なるものを読んだときに感じたカルメル会へのあこがれが日増しに強くなって行くにつれ、ぼくは修道院向きの性格でもなく、また修道院に入るような育ち方をしていないという思いはいっそう強まったのである。

 こうした子供の心に悪い影響を与える聖人伝もまた、いわば下品な読み物である。こんな聖人伝を読むくらいなら、北原白秋の『邪宗門』でも読んでいたほうがよほどためになる。


 空に真っ赤な雲のいろ。
 玻璃(はり)に真っ赤な酒のいろ。
 なんでこの身が悲しかろ。
 空に真っ赤な雲のいろ。


           (北原白秋『邪宗門』から、「空に真っ赤な」)

 てなわけである。いや、もうひとついこうか。

  あかき木の実

 暗きこころのあさあけに、
 あかき木の実ぞほの見ゆる。
 しかはあれども、昼はまた
 君といふ日にわすれしか。
 暗きこころのゆふぐれに、
 あかき木の実ぞほの見ゆる。


 ああ。少し口直しができた。下卑た聖人伝など、思い出すだけで、心が汚れる。魂が薄汚れる。善き詩を読むほうが、よほど心が清められる。魂が癒される。それは『邪宗門』であっても、ボードレールの『悪の華』であってもである。

 ああ。呪われてあれ!
 賤しき聖人伝らよ。
 ああ。朽ち果ててあれ!
 さもしき聖人伝らよ。
 聖人伝の心よ。
 かくて、心よ清められてあれ。
 よき姿、薔薇の祈りのうちに。
 小さきテレーズのその祈りのうちに!


Img_0476
長年連れ添ったおメダイ(メダル)。
小さき聖テレーズの像が彫られている。銀の鎖もすっかりさびているけれど、ぼくの宝物である。


最新の画像もっと見る