うたた寝に
夢に若き日の恋人の姿あるを見た
ストーブの暖気に誘われて
夕食の後 うとうとしてまった
腹がくちくなると 眠気が襲うのは
老いた男には いつものことだが
夢とも言えぬ 感覚が
目覚めた後も続いた
暖かく この心に寄り添ってくる女
一人の女を感じていたから
とっくのとうに別れ 何十年も逢っていない女
女はぼくを包むような目で見つめ
静かなほほえみを 送っていた
だからこの目覚めは格別だった
老いた男の傷つき しゃがれた心に
柔らかい 心の愛撫など
まるで無縁 のはずだったから
ぼんやり目覚めた男は 何も信じない
うたた寝の夢枕に立ち
そっと心沿わせる女の肌触り
言葉は一語も発しない
事に慰めなど いたわりなど
言語にすれば すべてが崩れてしまう
沈黙の深いゆりかご
今も 時折 あの女は
古い恋人を 思い返すことがあるのだろうか
思い出して胸痛ませることが
古い 古い時代の信心ならば
なつかしい女の思いが
男の老いた心のかたわらに訪ねてきた
そう信じるのだが 時は現代
老いた男の心にうずくまっていた
取り返しのつかない悔悟が
女の愛の復活を 願わせるのか
男と女の愛の 美しいビジョンとして
きみが今も この男を
忘れず なおも愛しているのなら
老いゆくこの男を捜し 求めよ
今にも朽ち果てようとする男の
崩れゆく影を ひっしと掴め
もちろんこれは 老いた男の妄想
独りよがりな幻影のしっぽ
独り相撲のなれの果てと知って
祝別された貴い奉書紙に
男は女の名を七度書いて
ごくんと 一気に飲み込んだ
思い出した歌がある
うたたねに 恋しき人を 見てしより
夢てふものは 頼みそめてき
小野小町(『古今集』巻第十二、恋歌・五五三)
『古今集』巻第十二、恋歌二の冒頭には、小野小町の恋の歌が三つ「題知らず」として並んでいる。
右の歌はその二番目。ちなみに冒頭の歌(五五二番)は
おもひつつ 寝(ぬ)ればや人の 見えつらむ
夢と知りせば さめざらましを
三つ目、五五四番は
いとせめて 恋しきときは むばたまの
夜の衣を 反(かへ)してぞ着る