アナーキー小池の反体制日記

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#3139 再掲シリーズ㉙ #132 自死とその行方

2019年09月07日 | 健康と生と死と
自死について10年も昔のものの再掲です。

#132 自死とその行方  2008年6月2日投稿

自死(自死者)は、大昔からタブー視され、宗教には地獄に堕ちると脅され、大いに偏見にさらされています。
偏見の中には、精神異常、精神の屈折、厭世主義、悲観主義等、印象のよろしくないのばっかりなんです。

報道も政策も自死を悪いことと捉え、撲滅キャンペーンを張るほどです。
自死者の確率の高い地域は、自死率の低下を目指し官民あげて活動をしています。

経済苦や虐待がもたらす自死は、その様な活動で救われ得るでしょう。
それはそれでよろしい。

でも、その様ではない自死は一杯ありますし、その様ではない自死の市民権を獲得しなければなりません。

ヒトは長く生きるようになりました。
これって、ヒトが直面する問題の諸悪の根源なんです。
エネルギー、資源、環境、食糧・・・これらの課題は平均寿命を10歳低くすることで、当面解決されます。
今、盛んに論議されている、老人の社会(医療)保障問題だって、問題では無くなります。

人生の大半を終え、思い残すことは何も無くて、これからそれ以上いいことが起こるはずが無くて・・・そして、苦痛に満ちた自然死はいやだと思ったら、自死するのが一番よい。
何がいけないんでしょうか。
いけないものは、何もないんです。

唯一、気にかかることは身内の人を悲しませることにあると、お思いされるかもしれません。
しかしそれは偏見から来るものです。
自死は悪いもの、という偏見が身内を戸惑わせるのです。

人は遅かれ早かれいつかは死に、身内を悲しませます。
身内に不毛な介護をさせるより、身内に死に至る苦しみを見せ付けるより、自死ははよっぽどスマートです。

でもね、若い人はよ~く考えてください。
これからもっといい事があるかもしれないし、自死は年をとってからでも出来ます。
そして、これから社会に貢献できるかもしれません。
思い残すことが何も無くて、これからそれ以上いい事が起こるはずが無くなってからで遅くありません。


2008年6月2日投稿の#132 自死とその行方 でした。
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