アナーキー小池の反体制日記

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#3142 再掲シリーズ㉜ #1085 自死について

2019年09月10日 | 健康と生と死と
生と死に関する昔の投稿はまだまだありますが、今回をもって終了いたします。

#1085 自死について  2012年10月11日

先の"早逝した友"シリーズで、少なくとも2人の友が自殺したことを記しました。
残念な死であることに間違いありません。
肉体や精神が途方もない痛みに襲われて、死を選ぶのはあり得ることです。
先の2件がそれほどの痛みを負ったものか?と疑問として残っています。
死を選ぶ以外の方法は無かったか・・・と思い至すのです。
自殺した友を本当に残念に思います。

このブログのカテゴリー、”健康と生と死”の中に、ボクの死生観や自死についての思いを何度も記しています。
そこには自殺を自死と呼ぶこと、自死は決して悪いことではないこと、地球上にヒトが異常に繁殖してエネルギーや食料に危機を招いていること、ヒトが長生きし過ぎていること、終末医療が極端に高度化されていることなどを述べています。

自殺という言葉はいけません。
殺(ころす)なんて字を入れるものだから、何か後ろめたいタブーになるのです。
自分の意思をもって死ぬんですから、自死としなければなりません。

自殺(自死)は同性愛などと共に、大昔から最大のタブーとなっています。
ヒトの数が足りない頃、ないしはヒトがどんどん若死にした頃、繁殖に背(そむ)く行為は絶対悪だったのでしょう。
殺人と同様、自殺は犯罪行為の扱いを受けています。

ヒトは繁殖し過ぎ、地球の許容量の百倍も千倍もいて、他の生物を圧し環境を悪化させ、それでもまだヒトの数を増やそうとしています。
こんなに増えてしまったら頭数減を図らなければならないのに、気配がありません。
こうなったら、自死や同性愛のタブーを取り払っていいはずです。
取り払っていいというより、取り払わなくてはいけません。

同性愛のタブーは最近、取り払われる傾向が見られます。
頑迷に反対する宗教は多いのですが、それはマジョリティの見方に過ぎません。
マイノリティが発言を許されてきて、ようやく日の目を見出したのです。

自死も同様です。
理不尽な扱いを受けて自死してしまうのは別問題です。
いじめ苦自殺など、生きるより辛い目にあっての自死は絶対に避けなければなりません。
しかし、思想として自死を選択する人がいますし、大変な苦痛を避けるために自死を希望する人って結構いるのです。

・・・
自死を奨励しません。
ただ、人の権利のひとつとして認める時代に入っています。


2012年10月11日投稿の#1085 自死について の再掲でした。
生と死シリーズ、長々と続きましたが終了します。
食傷気味の方も多かったろうと存じますが、ボクは自死と尊厳死について、昔から強い信念を持っていたことだけは理解していただけたものと思っています。

次回からは、時宜にかなったものを一席ぶちましょう。
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