川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

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匿名人と実名人の言論の価値

2024年05月10日 | メディア/SNS
匿名人と実名人の言論の価値について。

いろんな意見があろう。

実名でブログを20年近く運営している私の述懐をば。

ブログ開始初期の19年前、匿名人と議論して、炎上しかけたことがあった。

その時の経験、トラウマ?から、私は「匿名人とは議論しない」ことを自らに課している。

なぜか。

匿名人は卑怯だから。匿名の分際で実名人と議論しようとするのは10年早い。

実名人は、匿名人よりも、10倍、100倍、リスクを晒している。

実名人は、プレイヤー。
匿名人は、観客席の観客。

匿名人は、批判されない、球が飛んでこない、リスクのないところから攻撃している。

フェアでない。

フィールドに立つ者と、観客席にいる者とでは、対等に、フェアな議論ができない。

そう思った。

議論というのは、立場と、実名と、人格と、すべてを曝け出して、ようやくフェアになる。

そう思った。

匿名人は、人生をリスクに晒していない。
安全地帯から遠吠えをしている。
何を言っても、所詮、口舌の徒。
語弊を恐れて言えば、チキン野郎。

説得力は、リスクを取る覚悟から生まれる。

匿名人は、何らリスクを取っていない。リスクを取る覚悟がない。
だから説得力がない。

 ※ 内田樹風に言えば、言葉に「身体性」がない。
   脳から出た言葉は危うい。
   心と身体と結びついた言葉ではないと、がっぷり四つで言論するに値しない。

このように考えて、20年近く、私は匿名人と議論していない。私と同じ土俵に立っているとみなしていない。議論する価値のない相手とみなしている。そう。見下させていただいてます。

ないしは、私の人生の中で、優先順位がものすごく低い。匿名人と議論するほど私は時間を余らせてないです。そこに私の人生のエネルギーを投入したくない。

19年前、そう思った。これは今も毫も変わってない。

これが私の考えです。

むしろ僕は子どもたちに教えたい。

匿名で人様を批判をするような人間になるな、と。

卑怯な人間になるな、というのとほとんど等しい。

ーーーーーー

僕みたいな考えを持つ実名の人は、他にもいるだろう。

そう考えると、匿名の人は、実名の人に自分の言葉を届けようと思ったら、実名人がするよりも10倍くらい、丁寧に、謙虚に、礼と意を尽くして、よほど言葉を選んで、語らないといけない。

匿名の人が、実名人に対して、対等みたいな目線で語りかけただけで、実名の人は、「なんだ匿名のくせに偉そうに」って思う。だから言葉が届かない。

そう。

匿名の人は、普通に語るだけでは、実名人に言葉が届かないんです。どんないいことを言っても。

言い方の問題です。

匿名人が、偉そうに上から目線で語るだけで、それは「実名の人には決して届かない遠吠え」なんです。失礼ですが、マスターベーションなんです。

匿名人が普通に語るだけで、マスターベーションになっちゃうんです。

「パヨク」と書いただけで、左翼陣営には届かない。
「ネトウヨ」と書いただけで、保守陣営には届かない。
「岸田」と呼び捨てにしたら、岸田首相はおろか、知的階層には届かない。
「マスゴミ」と書いただけで、マスメディアには届かない。

司馬遼太郎『峠』の言葉を使えば、「ごまめの歯ぎしり」なんです。

礼儀は最強の武器。




だから、ゆえあって匿名で語らざるを得ない方は、マスターベーションにならないように、言い方に気を付けてみてはいかがでしょうか。

熱さと烈しさの中に、抑制と気品が滲み出ている。

そんな言葉が、最もパワフルで、説得的で、刺さる。

そう思って、私はいつも修行しています。

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