川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

袴田事件 何人の裁判官が間違えたか

2024年09月26日 | 法律・海外法務
袴田事件で無罪。

これが真理・真実だということを前提とすると、今までの「有罪」とした裁判が間違えていたということ。

さて、何人の裁判官が間違えていたのかというと、

◆ 静岡地裁(年月日不明、ウィキ日弁連サイトにも載っていない)
 3名(合議体だろう)
◆ 高裁(これも年月日不明) 
 3名
◆ 最高裁 1980年 上告棄却
  小法廷の5名(だろう)
◆ 1981年の第1次再審請求に対する2008年3月最高裁が特別抗告を棄却して終了
  これも小法廷の5名? 
◆ 2008年の第2次再審請求に対する2014年3月に静岡地裁が再審開始。しかし、検察官が即時抗告し、2018年6月、東京高裁は、再審開始決定のみを取消し
  3名

上記の5つの裁判が「間違っていた」と思われる。最高裁での裁判官の数は不明ですが、上記試算では、19名の裁判官が「間違っていた」。

誤謬のない、ミスがない、公明正大と思われる裁判官でも、結果論的には、20人くらい、間違えてきた。

裁判は、かくも、脆いというか、危うい。
裁判は、水物。
そんな言い方がされることもあります。

裁判官も、当時の証拠に基づいて、誠意をもって、良心に基づき、裁いたのでしょうから、その判断を責める気持ちはない。

でも、数十年経って、その判断が「間違っていた」とされた。

かように、「裁判官も、間違える」のです。

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管理しやすい減点法に逃げるな。

2024年09月26日 | 経営・インテグリティ・エンゲージメント
管理しやすい減点法に逃げるな。

組織や教育において、減点法は、管理しやすい。

日本の英語教育の採点。
企業のコンプライアンス。

しかし。

減点法でいいのか。

三単現を抜かしたら減点するような英語教育ばっかりでいいのか。
「重箱の隅をつつくようなルールを守ったか」だけで人事評価していいのか。

否、だろう。

加点法がいい。

思い、気持ち、考えが英語で伝わったら、加点。
職場の雰囲気をよくしたら、加点。

コンプライアンスではなくてインテグリティ、というのは、
減点法ではなく加点法、ともいえる。

安易な、管理しやすい減点法に逃げていいのか。

その「楽な管理方法」がベストなのか。

今一度考え直すべきときですね。


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『宗教と社会の戦後史』 堀江宗正 編著

2024年09月26日 | 宗教
『宗教と社会の戦後史』 堀江宗正 編著。2019年だから5年前の本。

堀江さんは家庭連合のことを「壺」呼ばわりしているんだって?

 
5年前に、「宗教と社会の戦後史」を論じた本(島薗進などのビッグネーム10人の共著)で、統一教会/家庭連合がどれくらい登場したかを見てみると…

私がパット見た限り、1つだけ。

282頁に「櫻井義秀は統一教会問題を中心にカルト問題の研究を行ってきている」だけ。

他にこの本で統一教会について論じられた箇所があればご指摘ください!

ま、いずれにせよ、「5年前はだれも統一教会を相手にしていなかった、それくらいマイナーだった」ということでいいと思います。
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武士道とは独立の精神

2024年09月26日 | 古典・漢籍
相良亨という人が、武士道とは独立の精神だと言っている。

単に主君に忠義を尽くすのみならず。福沢諭吉の独立の精神も、武士道ど真ん中だと。

要するに、右顧左眄しているものは武士ではない。それでは死に遅れる。
自分で独立して判断する。自尊と独立。それが武士の気概であり、存在意義。

人は人、我は我、という独立の精神。
これは福沢諭吉の『福翁百話』から。


松陰の師匠筋に当たる山鹿素行も、一般武士の小さい忠義の「義」と、主君が持つ「王」を区別した。
これが松陰に伝染して松陰がエキセントリックになったのだな。

素行の「王」は陽明学にもつながる。
これは新発見。研究したい。


『甲陽軍鑑』(武田信玄の凄さを描いた本)でも、何事も人より一段高い視点で見ろ、という。


相楽亨は、武士道とは「対峙的人倫観を踏まえた独立の精神」であると定義する。
武士道をしっかり定義しない人がいる中で、しっかり定義できるのは立派。

ワタシ的にいえば、武士道は、シンプルに、「メメント・モリ」ですね。
常住死身、死を身近に置く。どころか、常に自分を死んだ状態にしておく。

「仮死」ですね。仮死状態から来る無常観。これが武士道では。
俗塵に恬淡であることも、恐るべき行動力とか勇猛心も、仮死であるからこその無常観から来る。

仮死こそが最強。仮死こそが究極の宗教性・精神性を生む。
ま、新井奥邃が言う「有神無我」ってのは要するに武士道ですね。


そんな武士の独立は、「天との合一」から得られた。


松陰も、「(浩然の気を吸って)私心を除けば天地と同一体になる」と言っている。
ヨガをやっている私からすると、ほとんどヨガですね。


「天地」といえば、私の空手の師匠の塚本徳臣先生もそうだが、最近読んだ、書の偉人・嶋田彩綜さんも、「天地」ばかりを言っている。



「独立」とそのための天地との一体化」を説く相良武士道、まだ途中ですが、武士道研究には必読の本ですね。







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世界の流れとインテグリティ

2024年09月25日 | 宗教
ある神学者とディナーして深い話。

取り急ぎ備忘と私の脳内整理のため:

◆「神は喜ぶか」という基準は、最近20世紀のもの。
 旧約聖書の時代は、神の「怒り」が目立つ。
 これは人類のリテラシーと感性・感受性の進化。

◆ 啓蒙主義の最後にキルケゴールが出てきて、近代主義に。
 バルト/ブルトマンが、真理は「出会う」ものだ、真理の人格化・内面化をした。
 ”Truth as Encounter” Emil Brunnerに書かれている。
 Amazonで40ドル。。
 
◆ この流れにエマソンのNothing is at last sacred but the integrity of your own mind がある。
 神を畏れて言われたことをやる(コンプライアンス)のではなく、
 自らに尋ねてやるべきことをやる(インテグリティ)ってのは、
  こういう、「世界史的な人類発展の流れ」の中にある。

◆ 古代:真理(神)を恐れる
  中世:真理(神)を理解する
  近代:真理(神)と出会う(encounter)

 …ガンディのサティーヤグラハ(真理の把握)も、この「近代」的な流れにある。

◆ 倫理が経済発展させる。アダム・スミスの『道徳感情論』もそんなこと。
  途上国では国民が時間守らない。だから経済も発展しない。

◆ 例えば、韓国の李明博(イ・ミョンバクー大阪生まれ)がソウル市長時、車の停止線を厳しく守らせた。そういう姿勢が経済発展に繋がった。
 まさに割れ窓理論。
 日本とかシンガポールの経済成長にも、国民の倫理性が関係している。

◆ ギリシア正教(東)とカトリック(西)の分断。1054年
 グレイトスキズム(Great Schism) 。日本語では大シスマ。
 カトリック(普遍)はリベラルだった、正教の正統(Orthodox)に比べて。
 それが年を経てカトリックは保守的になり、ルターらがプロテスタントを。

◆ エジプトの「コプト教会」ってのが原理主義的なことをやっている。
 調べると、世界で5000万人の信者がいて、日本にも支部がある。

____________

こうやって、教わったことは書き出さないと、自分の血肉にならない、、
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アドラーカウンセラー講座 5・6日目

2024年09月25日 | 人間心理・心理学
ヒューマン・ギルドのアドラーカウンセラー講座の5,6日目。

学んだことを取り急ぎ備忘のため:

◆ 非核三原則
 全ての悩みは比較から始まる(森信三)
 1 他者の長所との比較
 2 理想・目標との比較
 3 過去の栄光との比較

◆ 自己概念(私は◯◯だ)
  →世界像(世界は◯◯だ)
  →自己理想(私は◯◯すべき)

◆ 「チャネリング」ってのはロールモデルとの「対話」にいい。
 …そもそも「祈り」ってのは、何かを懇願(beg)することではなく、神に尋ねる(ask)こと。Prayの語源もask的なところから来ている。

◆ 見知らぬ人をいきなり「勇気づける」のは難しい。
 …いきなり距離感を縮めすぎると、下心あると思われたりして、抵抗感あるから、、、
  まずは親しくなることから、だろうか。

◆ 人は、ライフタスクに直面したとき、ライフスタイルを使って、ある目的のために、行動する。

◆ 現在の当事者としての「恐怖」 ⇔ 将来の第三者としての「不安」 

◆ 主訴(complaint):何に困っているのか
  →ニーズ(needs):このカウンセリングで何を求めたいのか
  →目標(goal)  :何を実現したいのか

◆ ベテランカウンセラーは、クライアントが語りたいことを語ってもらう
  新人カウンセラーは、カウンセラー自身が聞きたいことを語ってもらう

◆ 悩むより困れ
  …悩むのは、過去の原因について、あれこれ堂々巡り…
   困るのは、ライフタスクに絞って。

◆ ずるい(上手い)質問
 ここまでのところでどんなことに気が付きましたか?
 1つ目は? 2つ目は? 3つ目は? と、3つまで言ってもらう

◆ カウンセラーとクライアントは、相互尊敬が大事。

 だからカウンセラーは、、カウンセリング終了時、こう言って締めくくる:

 「◯◯さんのカウンセリングから、以下の3つを学びました。
  1 …
  2 …
  3 …
 ですから、◯◯さんには心から感謝しています。」
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愚に徹した田中正造

2024年09月25日 | 人物
新井奥邃(おうすい)は、田中正造に「思想的に革命的な影響」を与えた。
だから「新井先生が田中正造の魂のお師匠様」であった。

 
この花崎皋平さんの本では田中正造が「愚」に徹したことをよく活写している。31年間、正造は新聞も読まなかったらしい。行動あるのみ。

著者の花崎さんは、田中正造全集もよく読まれている。ご存命なら94歳くらい、、 素晴らしい本なので読後感を記した感謝状でも書きたいが届くだろうか。

って調べたら、まだご存命っぽいですね。もとはマルキシスト。こちら

愚に徹したのは、田中正造以外に吉田松陰を思い出す。最近はみんな小利口になっちゃって、愚に徹するって人は出てこない。

SNSやマスメディアが発達したから、「愚に徹する」って開き直りがもうできないんだろう。その知的レベルをしばしば揶揄される小泉進次郎さんを見てそう思う。

____________

なお、この本で見つけた

 「天の父が全(まった)きが如く、汝らも全かれ」

…三好務牧師(上記の花崎さんの牧師)の表現。

マタイ5:48そのまんまですが、完全を目指すのは要するにインテグリティですね。


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田中正造の霊性・精神性・哲学性

2024年09月25日 | 人物
田中正造。足尾銅山鉱毒の人。天皇に直訴した人。

とだけしか知られていないが、いろいろ調べると、田中正造の霊性・精神性・哲学性は、とってもたくさん研究されている。

田中の精神性を研究した本だけでたぶん余裕で10冊以上ある。学究的な本・論文を含めると30とかあるのでは。

私は田中正造の本を全部読んでいると思いきや、以下の本を読んでいなかった。

 
この本で曰く、

 田中正造は、晩年、永遠悠久の天地に神性を見る境地に達した

とある。実際、田中正造は

「天地間の一切皆神の造れるものニて、天地間のすへで(≒すべて)ハ皆神のものなり」

とか言っている(全集11巻269頁)。

まんまクリスチャンじゃないか、、、

100年経って残るのは精神のみ。
「功利主義者・唯物論者の損得哲学」しかない「魂を半分しか持たないような屁理屈屋」(←いずれも新渡戸稲造の表現)は、死後10年くらいすると忘れ去られる。

なお、2年半前に亡くなった石原慎太郎について、ほとんどその親族くらいしか語っていない。彼の精神性はあまりインパクトがなかったということだろうか。
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わかる人にはわかる

2024年09月25日 | 歴史
わかる人にはわかる。

勝海舟ほど、明治に、批判された人はあるまい。
福沢諭吉から『痩我慢の説』で叩かれたり。

しかし、海舟は我関せず、

 行蔵は我に存す、
 毀誉は他人の主張

と受け流した。不朽の名セリフ。

相当な禅を修めた海舟ならでは。

____________

そんな海舟は、江戸城無血開城の思いを、「我を知るは独り南州」の漢詩に託して、

 おれの精神はこの四首の中に尽きているのだ。
 たくさんのことを言わないまでも、
 わかる人にはわかるからね。

とうそぶいた。

 

「説明責任」が喧(かまびす)しく言われる令和にはありえない、「わかる人にはわかる」。

まさに知己を千載に待つ態度。

令和の政治家に最も足りないのは、知己を千載に待つ態度ではないか。

それを中曽根さんは「歴史法廷の被告に立つ」と表現した。
 
 
以上、今日届いた以下の本から。


 
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川崎の岡本太郎美術館ヤバすぎ

2024年09月25日 | 旅行記
川崎の生田緑地にある岡本太郎美術館、ヤバすぎ、、、

エネルギー、マグマ、バイタリティーをいただきました。

塞いだ気持ちになったらここに来るといい。

そう思いました。


































































抽象芸術は実用性がない。
だから長生きする。

実用性ある隈研吾とかの建築より、岡本太郎アートの方が長生きしそう。

実務的なものはすぐ廃れる。
精神的なものが永く残る。

この川崎の生田緑地の岡本太郎美術館は、100年後もこのままの姿で鎮座ましましていそう。

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生田緑地ヤバい

2024年09月25日 | 旅行記
川崎の生田緑地ヤバい。

都心から30分でこんなに癒される場所があるのか、、











































川崎市民の心のオアシスとは聞いていたが、、、

中にある岡本太郎美術館といい感じに溶け合ってました、すっごいパワーをもらいました!

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岡本太郎本

2024年09月25日 | 
川崎の岡本太郎美術館で、岡本太郎本を大量購入。

かつても岡本太郎本は読んでますが、新刊も出てるので、たっくさん購入。子供たちにも読んでほしくて。

岡本太郎と安藤忠雄の本は、アートに興味ない方も必読かと!








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来週30(月)10時に鈴木エイト3部作報告会

2024年09月25日 | 法律・海外法務
来週30日月曜日、ちなみに私の50歳の誕生日なんですが、鈴木エイト裁判三部作の報告会を行います。
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死なんとすれば生き、 生きんとすれば死ぬ。

2024年09月24日 | 言葉
死なんとすれば生き、
生きんとすれば死ぬ。

聖書ヨハネ12:24

一粒の麦は、地に落ちて死なずんば、一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。 

Unless a kernel of wheat falls to the ground and dies, it remains only a single seed. But if it dies, it produces many seeds.

吉田松陰も似たような

死して不朽の見込あればいつでも死ぬべし。
生きて大業の見込あらばいつもでも生くべし。

って言っていますね。

そんな精神を謳っている神渡良平さんの『一粒の麦』はまだ読めてない、、


 
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功利主義者・唯物主義者の損得哲学

2024年09月24日 | 歴史
1899(明治32)年に刊行された、新渡戸稲造の『武士道』。

これは、渋沢栄一『論語と算盤』の刊行(1916=大正5年)より17年前。

新渡戸は、この『武士道』で、「功利主義者・唯物論者の損得哲学」を唾棄するように敵対視していた。

~~~以下引用~~~

功利主義者および唯物主義者の損得哲学は、魂の半分しかない屁理屈屋の好むところとなった。

功利主義および唯物主義に拮抗するに足る強力なる倫理体系はキリスト教あるのみであり、これに比すれば武士道は「煙れる亜麻」のごとくであることを告白せざるをえない

~~~引用終わり~~~

武士道 新渡戸稲造著 矢内原忠雄訳 p148)

 
こういう「功利主義者・唯物論者の損得哲学」に対抗する概念として、17年後に渋沢が論語・儒教を勧め、『論語と算盤』を刊行しました。

「功利主義者・唯物論者の損得哲学」は、令和の今にも、生きていますね、、、

というか、どんな人の心のうちにも、「功利主義者・唯物論者の損得哲学」は潜んでいる。そういう「安易な心」「弱い心」をどう御するか。

心中の賊に負けないようにしましょう!
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