家庭連合問題と水俣病は似ている。
最近そう思っている。
家庭連合は、宗教迫害を受けている。解散に値する団体ではないのに、政府から「解散せよ」といじめられている。信者は社会生活上の差別を受けている。
そんな家庭連合のために仕事をしていると、50年前の水俣病を思い出す。
我々の世代だと、「小学校の家庭科で学ぶ公害」の歴史でしかない、水俣。
しかし。
今でも被害者はたくさんいらっしゃるし、当時、国やチッソと、血みどろのというか、命と尊厳とプライドを賭けた、闘争をしていた。行政で、裁判で、、、
50年後の我々から見ると、「いや、そんなに戦わなくても、どうせいずれ水俣病はなくなったんじゃない」的な、軽い、まことに失礼で、安易な、述懐を思ってしまう。
たしかに、チッソが水銀を垂れ流すことは、永久に続くのではなく、いずれは止まっただろう。
でも、それも、戦った人たちがいたから、早期に止まった。あの垂れ流し水銀が、あと数年、垂れ流され続ければ、被害者はもっと増えた。
国の補償が、あと数年、いや数ヶ月、遅ければ、救える命も救うことができなかった。
だから、石牟礼道子とか渡辺京二とかユージン・スミス(アメリカの写真家、ジョニー・デップが映画化した)の、人生を賭けた戦いは、必要だった。
ああいう闘士がいたから、今、呑気に「むかしの公害」扱いできる。
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家庭連合問題もそう。
私が弁護しなくても、解散になろうがなるまいが、いずれ、100年経てば、この宗教迫害のおかしさは、満天下に晒される。
だから、今の家庭連合の闘争は、長い歴史から見ると、「あんなに一生懸命戦うのって、必要だったの?」的に、冷ややかに見られうる。
でも、渦中の当事者として、いずれ歴史で正当な裁きが下されようとされまいと、眼前の不正義に対しては、戦わざるを得ない。
紀藤エイト郷路(&有田)グループの不正義には、反旗を翻さざるを得ない。
水俣の闘士たちの、悔しさと憤りと情熱を、我がものにしている。
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だから、水俣の、水俣病資料館
こちら に、行きたい。
戦いの歴史を風化させないために。水俣の、怒りと悔しさと闘争心を、我がものにするために。
私と一緒に行ってくれる方は、DMかコメントでもください。
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水俣の闘士・ユージン・スミスが一番大事にしたのは、Integrityでした。Integrityある者は、不正義を座視することはできない。