蔵書

「福岡ESEグルメ」のえしぇ蔵による書評サイトです。
要するに日本文学の素晴らしさを伝えたいのです。

芹沢光治良 「ブルジョア」

2007年11月25日 | Weblog
芹沢光治良は東京帝国大学経済学部を卒業後、農商務省勤務を経てフランスに渡ります。そこで結核を患い、スイスの療養所で治療を受けます。この時の体験を生かして帰国後に書かれたのがこの「ブルジョア」です。彼の経歴を見れば誰しも思うことでしょうけど、彼自身ブルジョアです。だから彼の作品というのは明治・大正・昭和初期の貧乏作家たちの生活に追われる苦しみの中から出て来た作品とはかなり違います。出てくる人物も舞台もハイソで品のある雰囲気があります。女性の読者を虜にするような独特の空気がどの作品にもあるように思います。彼はこの作品を「改造」という雑誌の懸賞に応募し、一等をとったことで華々しく文壇にデビューします。あとは国内においても海外においても名声をきわめ、川端康成のあとを受けてペンクラブの会長にまで登りつめて、日本文学界の中に大きな足跡を残しますが、そのスタートとなったのがこの作品ということを知った上で読むと感動もまたひとしおです。デビュー作とは思えないハイレベルな完成度にまず驚くと思います。登場人物それぞれが主人公のようにドラマを持っていて、それらがうまく絡みあい、欲望や情熱をいかに人間はさばいていくのかという底辺にあるテーマを写し出して見事な作品に仕上がっています。彼は人間というものを見つめる作品を次々に発表します。そういう大きなテーマに挑んで多くの作品を残してくれたことは、後世に生きるものにとっては非常に大きな遺産だと思います。

阿部知二 「冬の宿」

2007年11月25日 | Weblog
阿部知二は英文学者としても有名で、翻訳者でもあります。実はシャーロック・ホームズの翻訳者なんですよね。他にも多くの海外の作品を翻訳しています。そういう人ですので小説以外でも日本の社会に大きく貢献した人なのです。そして小説において忘れてはいけない代表作がこの「冬の宿」です。読んでいくとわかりますが、舞台は日本なのにどこか海外の小説を読んでいるような雰囲気があるのはやはり彼ならではの特徴なのかもしれません。主人公の学生がある家庭に下宿することになり、その家族の日々のドラマを第三者的に観察し、また時には巻き込まれもしながら、底辺の人間の暮らしの実態を知ってそこから何かを学んでいく・・・というストーリーですが、こんな感じで主人公が何かをするわけではなくて、まわりの人間の生み出すドラマを観察するようなパターンは彼の得意とするところです。卓越した技術を思い知らされるのは登場人物の個性の描写です。一人一人の人間性が非常によく表現されていて、どの人物も非常に生き生きとドラマの中でその存在感を主張します。私小説じゃないのにどうしてここまで架空の人物をはっきりと描けるのでしょう?この辺にもやはり海外文学から得たノウハウが生きているのかもしれません。有無を言わさぬ実力者の力作ですからここまでの作品に仕上がっているのも当然なのかもしれません。

幸田文 「台所のおと」

2007年11月18日 | Weblog
女流作家の作品においてたびたび重要なキーワードとして登場するのが着物と料理です。この辺はやはり女性ならではというところでしょうか。この作品は料理屋を営む夫婦の話です。職人肌の旦那が病気で寝込んでしまい、奥さんがかわりに料理をすることになります。旦那にきちんと教えられた通りに料理して店を続けていきます。旦那は病床からその音を聞いて、何を作っているかとか、奥さんの体調はどうかとかがわかってしまうわけです。それでこういうタイトルになっています。奥さんの体調が悪い時や、心配事があって気持ちが乱れている時には台所の音が違うというふうに言われて、奥さんは焦ります。旦那の病気は重くて余命いくばくもない状態で、そのことを本人には知らせていません。奥さんは平静を装いますが心の中には悲しみが渦巻いています。それがどうしても台所のおととして出てしまうわけです。なんとかいつものように料理しようとする奥さんのけなげさがなんとも悲しいものがあります。そういう内容なのに湿っぽくなく静かに情緒的に話を進めていく技量はさすがだなと思います。なんともいいお話ですよ。幸田文の短編の中でも傑出していると思います。

有吉佐和子 「華岡青洲の妻」

2007年11月18日 | Weblog
まず華岡青洲という人から説明しないといけませんね。医療関係の人なら知らぬ人はいないでしょう。世界で初めて麻酔による手術をした人です。しかも江戸時代にです。江戸時代の日本の医療なんて西洋に比べれば遅れてたわけですから、まさか日本人が最初とは思わなかった人も多いことでしょう。ただそれ以前に成功したという例(例えば中国の華佗など)もあるようですが実例として証明されているものとしては世界初だそうです。すごい日本人もいたもんです。この物語では華岡青洲が麻酔を開発し、それによって乳癌の手術を成功させるまでの苦労が描かれていますが、物語のタイトルには「妻」となっています。そうです、主人公は妻のほうなんです。彼女は夫を支えるべく粉骨砕身努力しますが、ここに嫁姑問題が絡んできます。母親も華岡青洲を溺愛してまして、嫁にとられるのを良しとしないわけです。どこの家庭にも見られる状況がここにもあるわけです。それが徐々にエスカレートし、華岡青洲が麻酔の人体実験を試みる段階で、その実験台になりたいと二人が争う場面でピークを迎えます。凄まじい愛の修羅場を演じます。息を呑むような激しい言葉のやりとりは圧巻です。結局両方実験台になるわけですが、その後思わぬ結果が待っていました・・・。日本の医学史上に残る素晴らしい業績を残した華岡青洲とそれを支えた二人の女性の物語はただの感動ものではありません。もっともっと人間的で深いものです。なかなか考えさせられますよ。

石川達三 「幸福の限界」

2007年11月10日 | Weblog
今の世の中では男女差別というのはあまり感じることはなくなってきたのではないでしょうか?あらゆる業界で女性の進出が目立っていますし、いろんなお店のサービスにおいては女性優遇が頻繁に行われています。きっと今の時代なら女性も女性に生まれてよかったと思うことでしょう。ところがほんの50年前くらいまでは女性にとっては非常につらい時代だったのです。女性は家庭を守るもの、男性につくすもの、好き勝手にふるまわないものときめつけられていたのです。また多くの女性がそうであるべきと自ら思っていたのも事実です。そんな風潮に多くの女性が疑問を抱き始めるのが太平洋戦争敗戦後の人心荒涼とした頃です。この小説の始まりもその頃です。ある平凡な家庭におこる一つのドラマは、「家庭における女性の立場」に疑問を投げかけます。長女は嫁いだ先で女中のようにこき使われたあげく、出征した旦那が帰らずに出戻りします。次女は家同士が決める日本的な結婚に反発します。妻は典型的な古い日本人である旦那の強引さに徐々に嫌気がさしてきます。家庭の中の女性たちはそれぞれに苦しみ、それぞれに幸福への道を探ります。この時代ならではのドラマですね。今ならさっさと別れて決着をつけてしまうんでしょうけどね。

水上勉 「金閣炎上」

2007年11月10日 | Weblog
1950年7月2日の未明、金閣寺は放火によって焼失します。これは当時の世間を騒がせた大事件でした。人命の被害はありませんでしたが、室町時代に建てられた国宝が、中にあった足利義満の像や観音菩薩像などとともに灰になってしまったわけですから国家的な大損失であったわけです。犯人は金閣寺の師弟、林承賢(当時21歳)。当然ながらこの犯人に対して世間は猛烈な非難を浴びせるわけで、おそらくこの事実を知った後世の人も同じ憤りを覚えたことでしょう。ところが水上勉はそうではありませんでした。彼は非常に詳細にこの事件について調査し、林承賢(小説の中では林養賢)がどうしてこの犯罪にまで到ったのかを彼なりに結論を出しています。これを読むと誰でも犯人に対して抱いたものが徐々に変わっていくのを感じることができると思います。本来、修行の場であるはずの寺が観光の目玉として利用され、拝金主義の空気が寺の中を支配していく、そんな現実を前にして実直な主人公の堪忍袋の緒は切れてしまう・・・という説でストーリーは進んでいきます。一応小説ということになっていますが、これは極めて優れたドキュメンタリーです。犯罪事件を決して一面だけで判断すべきではないという教訓を得ることができる傑作です。

三好達治 「詩を読む人のために」

2007年11月03日 | Weblog
芸術というものは何の前提知識もなく、ただ自分の感性で楽しめばそれでいいわけですが、もしここである程度”楽しみ方”というものがわかっていれば、2倍も3倍も楽しめるというのは間違いないことだと思います。詩についてもそうです。ただ自分の感性で読んで、よかったとかつまらないとかを判断するのも一つでしょうが、ほんのちょっとでも”楽しみ方”というのを知っていると、余計に楽しめて、心に残るものになるということは保証できると思います。えしぇ蔵はこの三好達治の作品を読んで以来、詩というものがどれだけ素晴らしいかを再認識しましたし、また読む作品の一つ一つが今まで以上に楽しめるようになりました。北原白秋、蒲原有明、中原中也、萩原朔太郎、高村光太郎などなど、著名な詩人の作品を例にあげて、この作品はこういう部分に工夫がされているとか、こういう心境で書いているとか、当時はなかったこういうテクニックを新たに取り入れているとか、具体的に分析して教えてくれます。それによって、有名詩人の作品の特徴を知るだけでなく、詩はどういうことに注意しながら読めばもっと面白いのか、ということを教えてくれます。詩が好きな人、これから読んでみたいと思う人には必読の書として非常に強く推薦したい作品です。

島尾敏雄 「出孤島記」

2007年11月03日 | Weblog
太平洋戦争の末期、敗色濃厚な日本の苦し紛れの秘策は神風特別攻撃隊だったわけですが、これは航空機によるものだけではありませんでした。船を使った方法も考案されていました。それもモーターボートに毛の生えたようなしょうもない船の先に爆薬をしかけて敵の艦船に突っ込めという無謀なもので、誰が考えてもぶつかる前に機銃掃射でも受けてそれが爆薬に引火して早々に自爆してしまうのはわかりきった虚しい作戦でした。そんな船による特攻の部隊を率いて、ある島で出撃命令を待つ部隊の隊長がこの話の主人公です。万全の体制で出撃命令を今か今かと待つ緊張感が作品の中に漲っています。その異様な雰囲気の中で、主人公の心理は国のために見事に死んでみせようという思いと、なんとか生き延びたいという思いが交差します。複雑な自分の心理を持て余している様子が非常によく伝わってきます。それもそのはず、この話は作者の実体験をもとに書かれたそうです。どうりで臨場感は半端じゃないです。出撃命令がなかなか来ない焦りは、ある意味、死よりも辛いものなのかもしれません。じらすくらいなら早く死なせてくれと思ったことでしょう。当時は多くの若者がこんなつらい状況を体験したんですね。なんとも胸に迫るものがあります。この作品は、「出発は遂に訪れず」「その夏の今は」の二作品につながります。発表時期は離れていますが、時間的につながっているので三部作と認識していいと思います。是非この二作品も読んで下さい。