蔵書

「福岡ESEグルメ」のえしぇ蔵による書評サイトです。
要するに日本文学の素晴らしさを伝えたいのです。

芝木好子 「青磁砧」

2007年05月29日 | Weblog
女流作家の中で芝木好子はかなりお気に入りです。美しく優しい文章の中に、非常に強い情熱が隠されている、そういう印象を受けます。ストーリー的にも主人公がただ男を頼ってふらふら・・・ではなくて、しっかり自分を持っていて、男以外に打ち込める何か、仕事とか趣味とかがあるというパターンが多いです。この作品の主人公は”青磁”に魅せられます。陶芸作品に執着するコレクターと、陶芸作家の間の感情のやりとりがあるわけですが、女性はこういう”自分の魅せられた物”に詳しい男性、その道を究めた男性に魅力を感じるみたいですね。(イングリッド・バーグマンは「無防備都市」を見て監督のロベルト・ロッセリーニが好きになってイタリアに行っちゃいましたからね。)この作品は第47回女流文学賞に輝いた名作です。ストーリーもさることながら、非常に情緒ある文章も是非楽しんで頂きたいです。こういう細やかな優しい文章は女流作家でも本当に実力派でないと書けないと思います。実に素晴らしいです。何度でも読み返して楽しんで下さい。できれば読む前に青磁を少し見ておくとイメージがわきやすいでしょうね。この作品をきっかけに陶芸が好きになるかも?

岩野泡鳴 「耽溺」

2007年05月26日 | Weblog
岩野泡鳴は田山花袋と同じ頃の自然主義文学者です。もともとは詩人で、評論も多いです。むしろ小説は後から入って行きました。ここでちょいと専門的な話。小説を書く場合に、作者が主人公の目からものを見て主観をまじえて書くという「一元描写」というのを強く主張したのはこの人です。今では別に当たり前のことですけどね。何事も先人の努力があってこそ現代において当たり前なのです。ちなみに主観をまじえないのが「平面描写」。こちらは田山花袋の主張するところです。なのでこの作品はそういう小説の描写の技術的なものも注意しながら読むとまた別の面白みがあります。ストーリーは、主人公の作家が作品を書こうとある家に間借りしたら隣に芸者のいる家があって、そこの芸者にいつのまにかずるずるとはまってしまっていく・・・というしょうもない男の話です。この芸者がまた曲者で男を三人、四人、翻弄させます。あっちでいい顔、こっちでいい顔、最後はそのツケがまわってきて・・・みたいな、いかにも自然主義文学でございますと言わんばかりの作品です。ストーリー的に面白いとは言いがたいですが文学史上においては非常に重要な位置を占める作品です。ごまかしが嫌いで我が強いけど、一面だらしないところもある岩野泡鳴の人柄が主人公の描写にあらわれています。

室生犀星 「杏っ子」

2007年05月20日 | Weblog
室生犀星ってかわいそうなんです。聞くも涙、語るも涙のつらい幼少時代を過ごしています。私生児として生まれて、両親の顔を知らないんです。彼は生涯生みの母親の姿を求め続け、その想いは作品の中でも表現されています。かわいそうでしょ?そういう境遇に育った人が大人になって必ずしたいことは何でしょう?それは、自分の子どもは幸せな家庭で育てること。この作品はほとんど彼の自伝ですが、杏っ子のモデルは自分の娘です。彼が娘にそそぐ愛情の深さは、逆に彼のそれまでの不幸を反映しているかのようです。大事に大事に育てて、幸せな人生を送らせようとするわけですが、これがまた運命の皮肉で、結婚というものが彼女に不幸をもたらすわけです。小さい頃は親の愛の傘の下で天真爛漫に生きていた杏っ子は、大人になってからは不幸と戦います。そういう人生の残酷さを描いていく彼の姿勢は、まるで自分の生涯の仕上げとして全ての情熱をつぎこんでいるかのように真剣です。そういう背景を持った作品ですが、物語としても面白く読めます。長いですが飽きさせません。これを読めば彼が生涯背負ったものの一端が見えると思います。

木下尚江 「火の柱」

2007年05月19日 | Weblog
この作品を読み終わった後に、あぁ自分は今とてつもない名作を読んだんだなぁという感激が襲ってきました。個性豊かな登場人物たち、劇的なストーリー展開、余韻を残す終わり方、そして全編を貫く木下尚江の強烈なるメッセージ、あの時期日本に必要だった、生まれるべくして生まれた名作です。木下尚江は作家であると紹介されるよりも、社会主義運動家と呼ばれるほうが多いかもしれません。新聞記者や弁護士の仕事を通して、日本の改革のために運動を展開します。廃娼運動や足尾鉱毒問題、普通選挙運動など、当時日本が抱えていた問題に正面から取り組み、ペンをもって戦います。それはすさまじい闘志です。逮捕されたりもしています。幸徳秋水らと社会党を結成したり、日露戦争の頃には国内が好戦的な状況の中、先頭にたって非戦論を唱えました。とにかく真面目に熱く生きた人なのです。ペンで戦う彼にとって文学は一人でも多くの人に自分のメッセージを伝える手段だったのです。そういう人が書いた名作ですから、発せられるエネルギーは圧倒的です。でもメッセージだけにとらわれてなく、表現も極めて美しくかなり芸術的に仕上がっていますので、余計に人の心を動かすのだろうと思います。きっとあなたの心にも何かを残しますよ。

永井荷風 「ふらんす物語」

2007年05月13日 | Weblog
読み終わった後もいつも手元に置いて、気が向いたらぱらぱらとめくってみたい作品というのがいくつかあります。この「ふらんす物語」もその中の一冊です。面白いし、短編の連作形式で読みやすいし、それに文章が美しいのはお約束、そしてどこか親しみが持てる名作だからです。フランスが舞台なわけですからフランスに行ったのかと思いますよね?行ってるんですよ。アメリカとフランスに行ってるのですよ彼は。明治時代にですよ?なんで?そう。おぼっちゃまなのです。父親は高級官僚です。遊学のために行かせてくれるわけです。行った先で正金銀行に勤めたりしてますので、まぁ海外駐在員みたいな生活をしてたわけです。エリートなのです。父親としてはいろいろ勉強して修行を積んで、帰ってきたら立派な実業家になってくれるものと思っていたわけですが、逆に海外で受けた刺激から新たな文学の形を追い求め、日本に戻ってからはせっせと文学活動することになるわけです。父親は期待が外れてがっかりしたでしょうが、これだけ日本文学史に燦然と輝く超大物作家となって、後世の作家に多大の影響を与えたわけですから、洋行は大当たりだったと言っていいんじゃないでしょうか?どういう経験で生きる道を見つけるかって予測できないものですからね。

宇野浩二 「子を貸し屋」

2007年05月13日 | Weblog
宇野浩二は通称「文学の鬼」と言われました。鬼ですよ?なんかもうそれだけでよっぽどすごいのかなと思わせてくれますよね。この人は福岡で生まれました。今の中央区荒戸1丁目ですよ。知ってました?でもすぐに大阪に行くのであまり福岡出身という感じがありませんけどね。大阪の家が花街に近かったせいかどうか知りませんが芸妓との交流が深く、そういう体験が作品の中に生きています。基本的に私小説作家ですが、この作品は全くのフィクションです。かわいい男の子と二人で暮らす佐蔵のところに芸者さんがやって来ます。そして、自分は子どもが好きだから一緒に連れて歩きたいのでちょっと子どもを貸してくれと佐蔵に頼みます。断る理由もないので貸してあげるわけですが、その後も何回も借りに来ます。そして他の芸者さんまで借りにくるようになったので、佐蔵はそれを商売にして繁盛します。でもみんなが借りに来る本当の理由を知った時・・・さぁ、佐蔵はどうするでしょう?面白い話を考え出すもんですね。さすが鬼は違うなぁ。

松本清張 「日本の黒い霧」

2007年05月04日 | Weblog
松本清張のどういう点がすごいかというと、文章力や創造力もさることながら、やはり取材力ではないかと個人的には思うわけです。北九州市小倉にある松本清張記念館の「書庫」には彼が調べ物のために集めた本がありますがその数はなんと3万冊です。自分の足で各地を歩きまわり、たくさんの人にあって話を聞いて、いろんな本を参考にして調べに調べあげてそして書くというのが彼のスタイルなので、作品に説得力があるのです。絶対の自信が感じられるのです。その取材力のすごさを特に強く感じるのがこの作品です。日本にかつて起こった難事件を自分なりに調査しなおして、自分なりの推理を組み立てて結論を出しています。本当にきちんと調べてありますから読んでて非常に説得力があります。「下山事件」「造船疑獄」「帝銀事件」「松川事件」などに正面から取り組んでいます。しかしここで扱っている事件というのは”難事件”というよりも、”解決してはいけない事件”であって、解決されると困る人たちによっていろんな圧力がかけられたのではないかと推測できます。それでも作品を世に問う姿勢には心から敬意を表したいです。やっぱり大物は違いますね。

吉田満 「戦艦大和」

2007年05月04日 | Weblog
この人はすごい体験をされています。もともと作家ではなかったんですが、この体験を書き留めておくように吉川英治に勧められて書いたのがこの作品で、これが当時大ヒットしたわけです。それで本人にとっては図らずも文学史に名を残すことになりました。その経験というのがそれは凄まじいものです。太平洋戦争末期の昭和20年4月に「戦艦大和」に乗り組み、沖縄への水上特攻作戦に参加。ご存知のように「戦艦大和」は米軍の猛攻撃にあい撃沈されますが、奇跡的に生き残ることができたのです。彼は出航準備から撃沈まで全て見ていたわけで、それを素晴らしい文語体で書き綴っています。余計な作為のない純粋な魂の記憶がそこにあります。まさに名文。これこそどんな名文家をもしのぐ、体験者でないと書けないものです。読んでいくと主人公と一緒に死への不安、別離の悲しみ、国の将来への憂慮を感じていくことができます。あぁみんなこんな心境で戦争に行ったんだな・・・と心の底を揺さぶられる大きな悲しみを感じます。構成も無駄がなく、完成度も非常に高い名作なのに、なんとほぼ一日で書いたそうです。心の中にあったものが一挙に噴出してきたんでしょうね。絶対にオススメの名作です。