蔵書

「福岡ESEグルメ」のえしぇ蔵による書評サイトです。
要するに日本文学の素晴らしさを伝えたいのです。

室生犀星 「蜜のあわれ」

2008年04月27日 | Weblog
詩人として有名な室生犀星ですが、小説のほうも侮りがたしです。この作品は批評家の中には彼の最高傑作と言う人もいるほどの優れた作品です。非常に不思議な作品なので、ぼーっと読んでいると一体何がどうなっているのかわからなくなる恐れがありますので簡単に解説しておきます。主人公はある年老いた作家でありまして、まぁこれは室生犀星自身と考えていいでしょう。その主人公が、自分の飼っている金魚と会話するわけです。金魚は生意気な小娘風な話し方で彼の相手をします。その二人のやりとりをいくつかの出来事をまじえながら綴ったもので、全編会話で成り立っています。途中でわからなくなると言ったのは、この金魚が時々人間に化けて外に出かけたりすることがあるからです。あれ?今は金魚の状態かな?人間の状態かな?と注意しながら読まないといけません。そうして読み進んでいくうちに彼が何を書きたいかが徐々に伝わってきます。女性という存在に対する愛情を彼なりの方法で表現しているわけです。実母の顔を知らず、最初から母親の愛情というものを知らずに育った彼は、包み込まれるような女性からの愛情に常にあこがれていました。この作品は彼がだいぶ歳をとってから書かれたものですが、それでもこういう形で表現されているところからすると、そのあこがれはついに彼の一生を支配してしまったのかもしれません。女性の方に特にオススメの作品です。

佐藤春夫 「西班牙犬の家」

2008年04月27日 | Weblog
佐藤春夫はその存在の大きさから文学史における巨人のようなイメージを受けますが、この作品はそんなすごい人の実質的な処女作です。この作品をもって文壇に登場し、彼の作家生活が始まります。25歳の頃のことです。佐藤春夫といえばその人望の厚さで知られています。俗に”門弟3000人”と言われるほど、多くの作家たちが彼を師と仰ぎました。普通、師弟関係というのは文学においてお互いに似たような視点を持っているとか、共感するものがあるとか、作風が似ているとか、なにかそういうきっかけがあって師となり弟子となるものですが、彼の弟子になった人たちを見ると実に様々なタイプに分かれます。有名どころを挙げても、太宰治、壇一雄、遠藤周作、柴田錬三郎、中村真一郎、吉行淳之介、安岡章太郎・・・などなど、ざっと見ても同じタイプの作家とはとても言えないですよね?つまりは佐藤春夫という作家には、そしてその作品には、実にいろいろな面があって、非常に間口の広い人だったわけです。彼の作品を見ると純文学はもちろん、歴史ものもあれば、当時では珍しいSFのようなものまであります。その才能の幅の広さ、奥の深さは他の作家の及ぶところではなく、それだけに多くの人が師と仰いだのだろうと思います。この作品も一つの枠にはめられないような独特の内容です。主人公が犬の散歩をしつつ森の中に入って行くとある洋館を発見します。その中には大きな西班牙犬がいるだけで誰もおらず、主人公はそのまま引き上げるわけですが実はその西班牙犬は・・・みたいな内容で、純文学かと思いきや、え?みたいな展開が待っていまして、叙情的だなぁと思いつつ読んでいくと最後に面白い!となる作品です。後に多くの人を魅了していく人の処女作ですからこれは読んでおくべき傑作だと思います。

嘉村磯多 「業苦」

2008年04月20日 | Weblog
嘉村磯多も葛西善蔵と同じく心境小説を得意としています。読んでみると二人の作品はなんとなく似ています。それもそのはず、嘉村磯多は元は雑誌社の社員で、いろんな作家のところに原稿を貰いに訪問していた関係で、葛西善蔵とも知り合います。そして作品の口述筆記を手伝わされたりしますが、そうやっているうちに次第に葛西善蔵を師と仰ぐようになり、また葛西善蔵も彼に特別に期待をかけるようになっていきました。作品が似てくるのも当然かもしれません。内容は心境小説のほとんどがそうであるように、自分の実体験をもとにしています。嘉村磯多は故郷に妻と子どもがいましたが、妻への不満から徐々に不和になり、そこへ現れた優しい女性と熱烈な恋に落ち、全てを捨てて東京へ駆け落ちします。そして東京で安月給の会社に勤めながら貧乏暮らしの毎日を送るという内容です。故郷に残した妻、子ども、両親に対する罪悪感と、今一緒に暮らしている女性への罪悪感に苦しめられます。まさに地獄の火に焼かれるような内面の苦しみを見事に表現しています。なるほどこれは体験者でないと書けないだろうなと思われるようなリアルさです。自分の生き様を材料にするところは葛西善蔵と同じですが、こちらは自ら苦しみを望んだわけではなく結果的にそうなったという点が違いますので、幾分か葛西善蔵よりは同情を覚えますが、作品の深さは遠く師匠に及ばないというのが一般的な評価です。

葛西善蔵 「遊動円木」

2008年04月20日 | Weblog
葛西善蔵を語る場合にはまずその破滅的な生き方が注目されます。常に貧乏の極地にいて、家族や友人に迷惑かけまくりの生活の中で浴びるように酒を飲み、(その酒量のすごさは半端じゃありません!)酔っ払った状態で極めて優れた作品を生むわけですから、天才ってのは何を考えているかわからないものです。そういういわば”ろくでなし”状態を保つことと同時に、彼の特徴として言えるのは友人を作品のモデルにすることです。それも平気でボロクソに書いたりします。当然友人は怒りますよね。いわばだしに使うわけですから。そんなことを繰り返すうちに友人も離れていきます。この作品もそういういわくがついてるので、そのへんを知った上で読むとまた興味深いです。内容としては主人公が奈良にいる友人夫婦のもとに一週間ほど遊びに行って、ある夜に夫人が公園の遊動円木に上手に乗ってみせるというこれといった起伏のない話なんですが、その友人というのが広津和郎のことらしいのです。友人は作品の中でも自分を小説の中で悪く書いたと抗議するシーンがあり、主人公は弁明しています。つまりはこういう諍いを葛西善蔵と広津和郎は度々やってたようです。葛西善蔵の臨終の時にも広津和郎は枕元で難詰したということで、結局和解せずに終わったようです。小説のモデルにされて、悪く書かれた人は広津和郎だけではなく、友人間でもあまり好かれてなかったようです。天才にとっては生活も友情も作品の材料にすぎないということなんでしょうかね?

宇野浩二 「蔵の中」

2008年04月13日 | Weblog
これは宇野浩二の出世作です。この作品を機に文壇での地位を徐々に固めていくわけですがこれを書いた当時は貧乏のどん底だったそうです。そんな中で必死で書いたこの作品は今風に言うなら「めっちゃおもしろい」ですから是非オススメします。主人公の語り手が話下手ながらも一生懸命に聞き手に対して身の上話をしているという形をとっています。その話しぶりがおもしろくて、思わず微笑みながら読んでしまいます。語り手は着道楽で集めた様々な着物を食うに困って片っ端から質屋に入れているわけですが、それがどうも心配になって質屋に頼んで虫干しさせてもらうという内容です。無理を言って主人の留守中に質屋の二階で自分の着物を干して、そしてこれまた自分が質入したふとんを敷いてそこに寝るわけです。そして干してある着物を眺めているとその着物にまつわる思い出が甦ってきて、また別の着物では別の思い出が・・・みたいな感じでとりとめもなく身の上話が進んでいきます。時々、聞き手が混乱してないか、飽きているんじゃないかと心配して、「皆さんの頭でほどよく調節して、聞きわけしてください。たのみます。」「どうぞ、自由に、取捨して、按配して、お聞きください。」「どうぞ、大目にみて聞いてください、たのみます。」「辛抱して聞いてくださいますか。」と途中で懇願しながら話を進めていきますがその様子が非常にユーモラスです。こういう饒舌体は個人的に大好きです。この話のモデルは近松秋江だそうです。なんだかこの作品のせいで近松秋江までがユーモラスな人に思えてきてしまいます。

広津和郎 「あの時代」

2008年04月13日 | Weblog
広津和郎は硯友社の小説家広津柳浪の息子で、いわばサラブレッドです。中学の頃からあちこちに投稿して、賞をもらうこともありました。生まれながらにして文学者としての運命を背負っていたと言えるかもしれません。やがて文壇において谷崎精二、葛西善蔵、宇野浩二、芥川龍之介などとの交友が始まります。この作品は宇野浩二と芥川龍之介との交流を思い出風に記録した作品です。宇野浩二は一時、精神的に病みます。今でいう躁鬱病のようなものでしょうか?家族が心配して病院にいれるべきかどうか友人の広津和郎に相談するわけです。彼はけなげにもおかしくなった宇野浩二の面倒を見ます。出版社に用事があるからと一緒に行くといきなりそこでアイスクリームやハムエッグを注文したりするわけです。病院に入るべきだと判断した彼は宇野浩二を斉藤茂吉の病院に連れて行きます。そんなこんなでいろいろと面倒見てる時に、同じように宇野浩二のことが心配になった芥川龍之介も登場します。宇野浩二のことでさんざん引っ張りまわされた後は、今度は芥川龍之介の自殺です。この事件は文壇を震撼させましたが、身近にいた彼がここで記録していることは非常にそのへんの詳細を知るには貴重なもので、興味深いものがあります。当時の文壇の記録としてこういう作品を残してくれたことは、我々後世の人間にとっては非常にありがたいことです。

菊池寛 「無名作家の日記」

2008年04月05日 | Weblog
いつの日か自分の作品が多くの人に読まれ、作家として世間に認められ、文学史に名前を残す・・・文学の道に踏み込んだ者が一度は夢見ることです。かくいうえしぇ蔵もその夢を見ているうちの一人です。でも世の中そんなに甘くありません。一人の成功の影にはその何百倍もの脱落者がいます。もがいてももがいても上に登れない人間の悲哀は今まで多くの文学青年が経験してきたことでしょう。この作品の主人公もそういう夢破れし若者の一人です。学生時代は同じ文学仲間と夢を語り合いますが、彼は他の仲間にどこか見下されているようなところがありました。その圧迫に耐え切れず、別の学校に移ります。そこで心機一転、夢の実現のために行動を起こしますがどうもうまくいきません。その間にかつての仲間たちは同人雑誌を発行します。そしてその中に掲載されている作品は世間の注目を浴びます。彼もそれらの作品が優れていることを認めざるを得ませんでした。そこから徐々に仲間たちは文壇へと近づいて行きます。一方で彼には何一つ将来への踏み台となるものが見えてきません。そんな中、仲間たちから作品を送って来いとの救いの手がのべられます。恥を忍んでそれにすがる彼ですが、送った作品は仲間たちによって酷評されます。苦しみもがいても希望の光は差してきません。果たして彼は夢を実現することができるのでしょうか?この作品のようなドラマは明治から現代に至るまで日本中で演じられたことでしょう。文学を志すものとしてはなんとも身につまされる作品です。

芥川龍之介 「或旧友へ送る手記」

2008年04月05日 | Weblog
1927年7月24日、芥川龍之介は田端の自室で服毒自殺をします。当時の世間をあっと驚かせた事件でした。晩年、神経衰弱の激しかった彼はずっと死ぬことばかり考えていたようで、後期の作品からもそのことがうかがえます。そして最後はこの作品というか、手記を残して世を去ります。これは親友の久米正雄宛だと言われています。この手記の中にある彼の自殺を決意した理由が書かれた部分はあまりにも有名です。「自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。」彼を苦しめたぼんやりとした不安とは具体的にどういうものだったのか?彼は本当に死ぬ気だったのか?それとも実は狂言で誰かに止めて欲しかったのか?多くの研究者が独自の説を主張していますが、もはや唯一真実を知る本人は遠い過去に旅立っています。芥川龍之介が好きで、彼がどんなことを考えていたかを知りたいという方は、もろもろの研究本を読む前にまずこの彼自信の言葉に耳を傾けて下さい。ここにこそ真実が隠されているはずです。一文字づつに彼の苦しみがこめられているようで実に痛々しい気持ちになります。天才のこの世における最後の言葉です。背筋を正して読みたい作品です。