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「福岡ESEグルメ」のえしぇ蔵による書評サイトです。
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木山捷平は最初は詩で文学の世界に入ってきます。彼の詩は叙事的で小説のような内容を持ったものだったので友人に小説も書いたらどうかと勧められて別の才能の花を開かせます。この作品は小説における処女作です。タイトルの”うけとり”というのは岡山県の方言だそうです。意味は、農事や家事などの作業にある一定の責任量を決めて、それをこなすことで相応の賃金をもらうというものです。主人公の少年は貧しい農家の子どもなので学校が終わって帰宅してから自由な時間などなく、すぐにこのうけとりをさせられます。彼がいつも帰宅してからやるうけとりは、山に行って枯葉を集めることでした。ある日、山の中で一人で枯葉を集めていると雨が降ってきたので樹の陰で雨宿りをしていたところ、そこに彼が密かに想いを寄せている女の子が偶然来合わせます。彼女も同じように山で枯葉を集めている最中でした。一緒に雨宿りしたことがきっかけとなって二人は心を通わせ、うけとりの作業にかこつけて山で密会を重ねるようになります。しかし幸せな時期は続かず二人の密会は噂になり、ある寺の壁に二人の仲を揶揄する落書きが書かれます。二人はその落書きを消しますが何度消してもまた書かれます。学校ではこの落書きが問題になり、なんとその犯人として少年が疑われてしまいます。冤罪で怒られた彼は自棄になりある行動に出ます。それは・・・という内容で、ストーリー的にも面白い傑作です。でも木山捷平と言えば「大陸の細道」や「耳学問」などに見られるような作風が彼のスタイルと思っている人が多いので、この作品を読むと「え?」と思われるかもしれません。どこか彼らしくない真面目さというか、固さがありますのでそのへんは考慮に入れて、「へぇこんなのも書いてたんだ」という感じで読んでみて下さい。

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上林暁は私小説作家です。つまり自分のまわりのことをネタにする作家で、精神病になった奥さんの看護の苦労を描いた一連の”病妻もの”と言われる作品郡が有名ですが、その前に読んで頂きたいのがこの作品です。彼が30歳の頃に「新潮」に掲載されたもので、これによって彼は一躍注目を浴びます。ブレイクのきっかけになった作品です。後年の”病妻もの”とは同じ作家かと思われるくらい作風が違うのでご注意を。これは私小説ではありません。ある小学校の門のきわに一輪だけ薔薇が咲いていました。たった一輪というのが可憐でどこか儚い美しさを生徒たちに感じさせたのか、みんなでそれを大事にしているわけです。ところがある日、その薔薇は折られて盗まれていました。学校では大騒ぎです。校長先生は全校生徒の前で盗った人は担当の先生まで申し出なさいと言いますが誰も出てきませんでした。この作品の主人公の少年は父親がなまけものでひどい貧乏をしていました。そして妹は病気で寝込んでおり、少年は妹を喜ばせるために薔薇を折って帰り、妹にあげました。つまり彼が犯人だったわけです。この作品は短いですが非常に深い意味を持っています。可愛そうな妹を慰めるためにしたことなら、みんなが大事にしているものを奪ってもいいのか?きれいな薔薇によって人は癒されるがいづれは枯れてしなびてしまい、ひとときの喜びにしかならない・・・など、探せばいろいろとテーマが隠されています。非常に考えさせられる作品です。結局盗んだことがばれて父親に出て行けと言われ、とぼとぼと家を出ますがそこからの描写も心に残るものがあります。上林暁の私小説以外での傑作です。

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中里恒子が第8回芥川賞を受賞した作品です。作家にはそれぞれ自分が作品によって取り上げたいテーマというものがありまして、持てる筆力をもってそれを掘り下げ、表現し、主張し、世間に問題提起していくわけですが、彼女の場合は「国際結婚をした家族の苦労」をテーマにしている作品群があります。一般に「外人もの」と言われているものです。今でこそ誰かが国際結婚したと聞いても、「ふぅん。里帰りが大変やね」くらいの感慨しか持たなくなりましたが、昭和の初期ともなるとこれは大変なことです。当時はまだ「外人と結婚する」ということに対して偏見を持っている人もいましたし、またその子どもを「あいのこ」と呼んで差別する風潮もありました。遠い国から海を越えて日本に嫁に来て、冷たい空気の中でも強く生きようとする女性たち、友達にからかわれて悩む子どもたち、そういう世界を若い頃から取り上げて、しっかりと自分のテーマにしているというところは、中里恒子のすごさを感じます。異国情緒ある作品の雰囲気は彼女独特のもので、非常に好感が持てます。この作品に限らず、「日光室」や「遠い虹」などのほかの「外人もの」もお勧めです。

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人形浄瑠璃をご存知でしょうか?人形を動かしながら語られる劇ですが、これが非常に盛んであったのが阿波です。藩主蜂須賀家によって庇護されたことにより、江戸時代から阿波の伝統芸能となりました。そうなるとその人形を作る職人の技もまた代々受け継がれていくわけです。宇野千代はある人形を見て感銘を覚え、この人形を作った人に会いたいと思います。そして阿波の徳島を訪れて、人形職人の天狗屋久吉に会います。その時はかなり老齢に達していた天狗屋にインタビューをしていろいろと話を聞き、それを身の上話のような形で語り口もそのままに物語化したのがこの作品です。読まれるときっと、「え?これが宇野千代の作品?」と思うことでしょう。あまりに「おはん」や「色ざんげ」などと路線が違いますから。でもこの作品によって宇野千代は一つの芸を極める世界というのを知って大きく影響されたのではないかと思われます。いかにして弟子入りしたかというところから始まり、人生の様々な苦労と技の鍛錬の足跡を老職人は淡々と語ります。人形の世界の奥の深さ、職人として生きる者の道というのを宇野千代と一緒に教えられているような気分になれます。

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ちょっとショッキングですが、恐ろしいほど心に深く残る傑作です。舞台は刑務所の中です。労働運動を行っていた主人公は逮捕され、舞台となる刑務所に収監されます。そして過酷な環境での過酷な生活が始まります。ただでさえつらい監獄の中で彼は結核を発病します。結核患者の囚人は病人ばかりの別の棟に移されます。初めてそこに移された時に、他の囚人から「ハイかライか?」と聞かれます。その棟は肺病か癩を患ったものが集まるところでした。彼の房の隣には癩の患者がいました。人として扱ってもらえない監獄の中で、癩によって崩れた顔面や身体の囚人たちがなんの希望もなくただ生きている現状を見せつけられて主人公は大きなショックを受けます。そしてそこに新しい癩病の囚人が送られてくるのですが、それは主人公の知人でした。その囚人は未来のない状況にありながら、それでも自らの信念を守って毅然と生きています。その強い姿に主人公は更なる衝撃を覚えます。しかし一方で主人公の病状は徐々に悪化していきます。島木健作は実際に1928年の3.15事件で逮捕され服役していますから、おそらくその時の体験を参考にしていると思われます。ちょっと重いですが、このメッセージの凝縮された作品からは本当に多くのことを学ぶことができると思います。

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「日本三文オペラ」というタイトルの小説は開高健も書いていますからお間違えなく。ここでは武田麟太郎のほうを取り上げます。武田麟太郎は「文藝春秋」に「暴力」という作品を発表して、プロレタリア作家として堂々登場しましたが、徹底的な弾圧の前に屈して転向した後は作風ががらりと変わります。一般に「市井事もの」と言われていますが、この作品もそのなかに入ります。ごく普通の庶民の暮らしをリアルに描き、その中にささやかなドラマが展開するという作風で、ユーモアあふれて、様々なタイプの登場人物もみんなどこかにくめない、全体に微笑ましい印象を受けるものが多いです。この作品のストーリーは、傾いているくらいおんぼろな下宿を舞台に、その各部屋に住む様々な種類の人間のそれぞれのドラマを短く描いてコラージュ的に構成したものです。完全なコメディではなくどこか悲しみも潜んでおり、一種独特の雰囲気があります。これが武田麟太郎の確立した世界です。作家は自分だけの作品世界を築かないとだめですね。そういう意味でいうとプロレタリア作家から実に見事にスイッチしたなと思います。実はこういう平和的な作品を書いてみたいと思っているえしぇ蔵です。実にいい参考になります。

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林芙美子の作品の中でどれが好きか?とか、どれが傑作か?という話になればおそらく「放浪記」とこの「浮雲」で意見が二つに分かれるのではないかと思います。有名な作家や評論家の意見も分かれるようです。でもえしぇ蔵はこの二つの作品はちょっと性質が違いますから比較はできないと思います。「放浪記」は初期の頃にほとんど自分の体験をベースにした日記形式のいわば随筆のような作品で、「浮雲」は晩年に書かれた、完全に創作されたまったくの小説です。それぞれの分野でそれぞれいいですから比較するのは変かなと。この作品の舞台は太平洋戦争中のインドシナ半島から始まります。日本が占領したその地域の木材を利用すべく、日本のお役所から派遣された職員が現地で調査をしています。そこでタイピストとして働くことを志願した主人公の女性が、現地で働く二人の男性と三角関係に陥ってごたごたやっているうちに終戦を迎えます。その女性は日本に帰っても特に頼る人もいないので三角関係になったうちの一人の男性に連絡しますが、日本での彼は家庭持ちな上、現地の時ほど彼女に魅力を感じていないのであまり優しく接してくれません。それでもどうしても彼の存在が彼女には必要だったので追いすがって行きます。終戦後の荒廃の中で彼もだんだん身を崩し、二人の気持ちは荒んでいきます。必死で幸せを探す彼女と人生をあきらめる彼との悲しい絡みがずっしりと読み手の心に響きます。なるほどこういう作品を書けるのは林芙美子だけだろうと思うような作品です。傑作ですから読んでおくべきだと思います。

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この人もプロレタリア文学の作家に分類されます。プロレタリア文学の作家は大きく分けて二つの派に分かれます。その発行していた文芸誌の名前で分けるなら、「戦旗」派と「文芸戦線」派です。「戦旗」のほうには小林多喜二を筆頭に徳永直、宮本百合子、中野重治などなど、すごい人がズラリ揃っているのでどうしてもそっちばかり注目されて、ちょっとマイナーな「文芸戦線」派の作家は見落とされがちです。伊藤永之介はその「文芸戦線」派で頑張った中の一人です。彼の作品は他のプロレタリア作家によく見られるような戦闘的な内容や書き方ではなく、農村を舞台にその現状を少しユーモラスに描いた作品の方がむしろ彼独自の世界があってえしぇ蔵は好きです。作品の名前が「梟」とか「鶯」とか、鳥の名前のものがいくつかあるのでそれらはまとめて「鳥類もの」と呼ばれていますが、中でもえしぇ蔵のお気に入りはこの「鶯」です。これも舞台は農村で、ある警察署を舞台にしてそこに相談に来る人や、連行される犯罪者、応対する警官のやりとりが、警察署にありがちな冷たい緊張感というものではなく、温かみのある人情的な雰囲気で描かれていることが読んでいて非常に心地いいものがあります。それぞれの人生を抱えて警察署に来た村の人々が、実はどこかでつながりがあって、その偶然性がストーリーを面白くしています。通常のプロレタリア文学を読む時のような一種の気合のようなものはこの作品の場合必要ありません。気軽に読める名作です。

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江戸川乱歩の作品にも「二銭銅貨」というのがありますからお間違いなく。江戸川乱歩のほうは暗号ものの推理小説です。そっちも名作ですけどね。こちらはプロレタリア作家の黒島伝治が描く、貧しい農村の悲劇です。立ち読みで読み終えるほど短い作品ですが、そこに強く訴えるものがぎゅっと詰まっています。お互いの独楽を回してぶつける「コッツリコ」という遊びがあって、古い独楽しか持たないある貧しい農家の子どもがそれに勝つためによりいい独楽を欲しがります。兄は古い独楽のほうがいいものなんだとなだめてあきらめさせますが、どうしても緒だけは新しいのが欲しいということで母親にねだります。母親は緒ぐらいなら買ってやろうと店に行きますが、そこで他のよりも短いけど二銭安いという緒を買って与えます。子どもはその緒が短いことを苦にします。ある日、相撲の興行が村に来て、それを見に行きたいと子どもはせがみますが、農作業に忙しい両親は家で牛の番をするように言います。子どもは牛のそばで独楽の緒を柱にひっかけて、片方の端を引っ張って懸命に緒を伸ばそうとします。そうしているうちに手が外れて転んだ時に牛に踏まれて死んでしまいます。父親は牛をなぐって責め、母親は二銭けちって短い緒を買ったことを悔やみます。子どもは牛でも母親でもなく、貧乏が殺したのです。そのことを婉曲的ですが強く訴えているので短いですが非常に印象に残る作品です。黒島伝治の良さを手っ取り早く知るにはいい作品だと思います。

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プロレタリア文学というものは今の世界から見ると遠い過去のもので、当時の労働者の叫びを表現し、社会主義、共産主義を目標とする人々によって政治的に利用された一つの宣伝媒体のようなものと認識している人も多いかと思います。実際そうである部分も大きかったと思います。そういうイメージがあるからこそ、芸術的にはあまり評価されず、戦後の平和な社会の到来とともに徐々にその存在が忘れられていったといってもいいかもしれません。でもそれは非常に残念な見方です。プロレタリア文学と言われるものの中にどれほどたくさんの芸術的傑作があるか、意外と知られていません。例えばどんなものがあるの?と聞かれればこの作品をオススメするものの一つに加えるのは間違いありません。この作品は多くの人が持つプロレタリア文学というものへの誤った認識を変えることができます。それほどの傑作です。北海道の室蘭と横浜の間を石炭を積んで往復する船の中で起こる労働者と支配層の戦いのドラマです。労働者は家畜のようにひどい環境でこき使われて、その労働による利益は支配者に吸い取られていく図式の中で、何人かの労働者の決起から争議へと発展します。悪知恵の働く支配者層は労働者の熱意に対して欺瞞で対応し、労働者の希望の光ははかないものになっていく・・・という内容です。ストーリー的にはよくあるプロレタリア文学のパターンそのものですが、文章は美しく、構成もしっかりして非常に完成度が高いです。こういう作品に是非触れて頂いて、プロレタリア文学を見直して欲しいと思います。

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文学史に名を残す作家はみんな名作を書いているのは言うまでもないことですが、その名作を残せた人はどこに違いがあるのでしょうか?誰しも尊敬する作家がいて、その作風を慕うところからスタートしているのは共通です。しかし名作を生むにはそこからの展開が大事です。模倣だけでは傑作はできません。必ず自分独自のものを切り開いていかなければなりません。こういう描き方を始めたのは誰、こういう世界を持っていたのは誰、こういう分野が得意なのは誰、というふうに他とは違うその作家を特徴づける決定的なものを持っている人こそ傑作を残しています。牧野信一の場合、最初は自らの酒によって堕落した生活を題材にした心境小説でスタートしますが、やがて非常に不思議な世界を作り出します。いわゆる”ギリシャ牧野”と言われるところのものです。彼はギリシャ・ローマの古典文学に非常に造詣が深く、酒に酔った時などによく名作の一説を朗読したりしたそうです。彼はその雰囲気を自作に取り込みました。日本のある村での出来事であってもその雰囲気にギリシャ・ローマの古典の世界をだぶらせ、全く独創的な牧野信一ワールドを確立することに成功しました。この作品もそのうちの一つです。ここで説明したことを事前に知っておくと実に奥の深い作品と感じることができると思います。前提知識なしだとかなり面食らうくらいに不思議な世界ですからね。やはり大事なのはオリジナリティですね。

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徳永直の人生は本当に涙ぐましい苦労の連続です。熊本の貧しい小作農の家に生まれてから、作家としての地位が確立するまでは実に様々な仕事を経験しています。働きに働きまくったという印象を受けます。それは夢を叶えるためとか、お金をためるためとか、そういうプラス思考の動機によるものではなく、そうしないと生きていけなかったからです。死に物狂いで働かないと、食べていけない状況に置かれていたからです。そうやって苦しみながらなんとか生きているという自分をふと省みた時に、どうしてこうなんだろう?これが本当なんだろうか?何か間違ってないだろうか?と疑問を持つようになるのは当然だと思います。そして労働運動に参加して活発な活動を始めますが、ある大規模な印刷争議に参加した時に労働者側は敗北し、1700人もの同僚と一緒に解雇されます。この時の苦い経験を克明に記録し、「戦旗」に小林多喜二の「蟹工船」と同時期に連載され、ともにプロレタリア文学の傑作として賞賛されたのがこの作品です。多くの労働者がそれぞれ信念を燃やして戦います。そこには暴動があり、罠があり、裏切りがあり、恋愛があり、悲しみがあります。実に壮大な労働者の記録です。印刷争議は敗北してもこの作品を世に残したことで後世の人間には影響を与えることに成功しました。文学作品の存在意義の一つの形を教えられた作品です。

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虐げられる労働者階級の怒りを描かせたら小林多喜二は群を抜いています。しかし、無産者階級がどうの、共産党がどうの、共産主義がどうのというテーマを抜きにしても、彼の作品は物語としてしっかり構成もできていてかつ描写も美しく、登場人物の人間性もはっきりとしていて文学作品としても高い評価を受け得るものばかりです。政治的なもの、イデオロギー的なものに興味がないから小林多喜二は読まないというのは間違いです。一つの文学として失望を覚えるようなものでは決してありません。この作品は北海道が舞台です。地主の土地を耕して、収穫を納める貧しい農民たちの話です。あまりに地主の搾取がひどいのでこれでは生きていけないということで農民たちは団結します。そしてみんなで地主に交渉に行こうということで集まりますが、向かった先には農民の動きを事前に察知した地主の手回しによって彼らを拘束しようと警官たちが待っていました。そして首謀者を吐かせるためにみんな殴る蹴るの暴行を受けます。そして傷だらけ血だらけになって帰ってきます。主人公はこのことに強い憤りを覚え、復讐の機会を待ちます。やがて地主の家が火事になり・・・という内容ですが、虐げられる労働者の悲惨さを描いて強く訴えてくるものがあるのはお決まりのパターンですが、物語の中に出てくるいろんな自然の描写の美しさを忘れないで頂きたいと思います。吹雪く北海道の厳しい自然が目の前に浮かぶようです。それに登場人物の動きや言動も細かくてユーモラスですし、ストーリーも面白いです。労働者文学という範疇だけに収めるにはあまりに幅の広い作品だと思います。

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大岡昇平の実体験を書き綴った戦争記録文学です。そう言ってしまうとただの戦記ものかと思われるかもしれませんが、偉大なる大岡昇平ですからもちろんそのへんは一味も二味も違います。彼は昭和19年の3月に召集されます。当時既に30代でした。30代で兵隊というのはいわゆる補充兵です。要するに人間足らなくなったから駆り出されたわけですね。そしてフィリピンのマニラに派遣され、そこからさらにミンドロ島というところに移されてそこの守備を命じられます。既に敗色濃厚な頃で部隊内にも厭戦気分があり、戦闘に参加することなく早く戦争が終わることを祈っていましたがそううまくはいきません。米軍が上陸してきて、形だけの抗戦をしたのみですぐに敗走が始まりますがその時にマラリヤにかかっていた彼は山中を逃げ惑ううちに捕虜になります。それから米軍の捕虜収容所での生活が始まります。圧巻なのは山中で米兵を見た時に自分がなぜ米兵を打たなかったかということを自分自身と問答するように葛藤しながら答えを探そうとする場面です。この部分には非常に高等な哲学があります。そして収容所内での捕虜たちの生態をリアルに、そしてユーモラスに描いている部分では人間のあらゆるタイプを見ることができますし、極限状態から救われて徐々に満たされていく過程において人間がどんなに浅ましくなっていくかも詳細に描かれています。哲学的なものを根底において成り立っている戦記ものですから、他のそれより断然奥の深いものがあります。

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