蔵書

「福岡ESEグルメ」のえしぇ蔵による書評サイトです。
要するに日本文学の素晴らしさを伝えたいのです。

草野心平 「高村光太郎」

2007年12月02日 | Weblog
えしぇ蔵が草野心平を初めて知ったのは、宮沢賢治の詩集でした。彼は宮沢賢治の作品を世に広めることに多大の貢献をしています。今現在、宮沢賢治の詩が世間一般に広く知られているのは彼のおかげです。そして草野心平自身も詩人です。蛙をテーマにした詩が多く、表現にいろいろな前衛的試みをしていることでも有名です。基本的に詩が本業なわけですが、小説も書いています。この「高村光太郎」は、親しい友人だった高村光太郎のことを書いた短編です。かなり親しかったようで、頻繁に行き来していたようです。その彼が見た、高村光太郎の人生の苦悩がよく描かれています。特に智恵子夫人が徐々に精神に異常を来たし、ついには入院して体調もどんどん衰え、やがて死が近づいているという段階での高村光太郎の苦悩の姿を描いている場面は涙なしには読めません。草野心平にすがるように、「ね、君僕はどうすればいいの、智恵子が死んだらどうすればいいの?僕は生きられない。智恵子が死んだら僕はとても生きてゆけない。どうすればいいの?」と言うシーンの緊迫感と悲壮感は、読む側に悲しい戦慄をもたらします。親友としてそばにいて見たことをそのまま記録したこの作品は、草野心平を知る上でも、高村光太郎を知る上でも貴重な作品だと思います。

久保田万太郎 「市井人」

2007年12月02日 | Weblog
久保田万太郎といえば、かつての江戸を思わせるような下町人情ものの第一人者ですね。この人の作品を読むと、当時の東京の下町の人たちの人柄や生き様がよくわかります。今でも浅草あたりに行くとそういう人たちが残っているかもしれませんね。そういった下町の人情とともに、久保田万太郎を語る上で忘れてはいけないキーワードが、「俳句」です。この人はこの世界でもすごい人なのです。中学時代から俳句を作ってたそうで、かなりの数の秀作を残しています。句集もあります。それでこの作品なんですが、この二つの要素がどちらも盛り込まれています。大正時代の東京の下町での物語ですが、ここに蓬里さんという俳句の先生が登場します。他の登場人物も俳句を作ったりしますが、物語の中心にあるのが俳句なのです。一般人の何気ない毎日の生活の中で、ところどころに俳句が登場し、ドラマに色をそえています。その登場する俳句がまたいいんです。作品に盛り込むからには秀作を選んだことでしょうけど、どれもしみじみ読み返したくなるものばかりです。普段の生活の中でふっと出て来た感想を歌にする、その楽しさを学ばせてくれるような作品です。これ読むと一句詠みたくなりますよ。