身寄りの無い恩師がご高齢になり、故郷に帰りたいと度々お電話があるので「先生、家を建てて上げるからこっちにおいで」
と住まわせてあげる。
って凄いですよね。
そう言う話を聞くと「お金があるからできるのよ」なんて思うのではー。
いえいえ、自分はパートに行きながらですよ。
そして、認知症が出るまではその、新しい家に住まわせてあげて、教え子達と先生は楽しく文句も言いつつ暮らし、その後は老人ホームへ。
家を建てる時に地鎮祭、家相、家祓いをさせていただきました。
先日、「先生が、もうどうなるか分からんのよ。葬式まではこっちでしたいんよ。お金がかかるけんなあ。大変」との話だったので、「神護寺なら、お布施だから頼まれたらするよ。」と言ってました。
とうとうお別れのとき「亡くなったので、枕経、お通夜、お葬式までしてくれる?初七日は向こうのお寺にしてもらうけん。」とのお電話をいただきました。
すると「浄土真宗の向こうのお寺が、こっちも浄土真宗でしてほしいって。」というので「それなら、ほかをたのむ?うちは高野山真言宗やけんなあ。」
「でもなあ。やっぱりお願いします。戒名は?こっちでいいのんつけてもらって、向こうで釋に付け直しても良いなあ」
と言ってましたが。
インゲさんは「いや、向こうとのお寺との付き合いが長くなるから、向こうにつけてもらったら教えてください。私が、位牌は書きますよ。」となりました。
「戒名をみんなに知ってもらった方がいいし。角がたたんようになあ。」
無事に良いお葬儀が終わりました。
先生は、こっちで自由に暮らせてお骨になって、お墓に戻るという。
自分の願ってた余生を教え子に支えられ人生の幕をおろしました。
私は教え子の人の先生からの恩徳を返すところに佛道やなあと思うと共に昔の師弟関係ってすごいなあ。
先生もすごいなあ、踊りだけでなく教え子の彼女にとっては偉大な存在だったんだろうなあ。
よく人の為にお金や時間を使う人の話を聞くと、「いやー。お金があるから時間もあるんよ。私は余裕がない。」といわれるけど、違うんだよなあ。
この前も孫にドンドンお小遣いあげて、甘やかしてる話しをバンバンするので「その1割でも自分の孫やなくて、困ってる人に寄付したりしたら。」というと。
「あんこには、私しかおらんのよ。お金もすげえー。ないもん。」と即答。
「いやー。どんどこお金渡しとったら働かんよー。楽やもん。それでは、あなたの悩みは解決せんし。長引けば長引くほど孫さんが苦労するよー。」
「わたしは、それでもやるよー。」
とのことでした。
他者の為の布施なかなかできませんよね。
里親もなかなか増えません。
中津市は少し減ったとのことでした。
お葬式で人の生き様をたくさん見せられますが今回は他社への布施行をさらっとされたしかも、約20年ほどお世話を(恩返し)されての最後なので本当にすごいなあ。お疲れ様でした。
インゲさんは焼き場までお参りさせていただきました。
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