令和2年6月5日(金)
総理大臣の安倍晋三君は、
すこし奇妙に思うのだが、
ロシアのプーチン大統領と親しく、中共の習近平主席にご執心のようだ。
彼は、プーチンをウラジーミルと呼び、
ウラジーミルからシンゾーと呼ばれながら、
何回も何回も会談を重ねている。
これほど、無益な首脳会談を、
長期にわたって重ねる総理大臣も珍しい。
ウラジーミルの方は、
シンゾーとの会談と会談の間に、国後島と択捉島に最新鋭ミサイル基地を造り、
北方領土防衛を想定した軍事演習(ボストーク2014、つまり対日軍事演習)を実施し、
また、西方ではウクライナに突如軍隊を入れてクリミアを強奪し、
シンゾーと会えばカネが入るから、
領土問題解決間近なような思わせぶりな雰囲気を作ってヌケヌケと会談に出て来る。
ウラジーミルは、シンゾーが、「北方領土問題は、我が安倍内閣で解決します」
と日本国内で期限を切ったようなことを言っているのを知っていて、
シンゾーの足下を見ているのだ。
また、安倍晋三君は、
中共に、我が領土尖閣諸島を奪われそうになりながら、
その中共の主席を国賓として我が国に招待しようとしている。
これは、樺太と北方領土を強奪したスターリンを、
つまり強盗を、国賓として招待するようなものではないか。
さらに、その習近平主席は、
チベットとウイグルの諸民族の自由を情け容赦なく奪い、
自由を求める香港の人々を抑圧体制の中に飲み込もうとしており、
台湾を武力併合する意図を露骨に示している。
これ、はっきり言って習近平主席は、
我が国と台湾と香港及び東アジア諸民族の敵ではないか。
安倍総理は、まさか、彼がよく使う「痛恨の思い」で、
このような習近平を国賓として我が国に招くのではないだろうな。
斯くの如く、我が総理大臣が嵌まり込んでいる、
現在の我が国とロシアと中共の関係を眺めて、
次の一つの格言と
二つの歴史的事件を思い起こす。
その格言は、十九世紀から二十世紀にかけてのものだと思うが、
「ロシア人は、約束は破るものだと思っている。
支那人は、そもそも約束は守るものだとは思っていない。」
というもの。
安倍総理は、こういうロシア人と支那人の二人と親しいということだ。
しかも、この二人の共通点は、
「共産党エリート」として育って大統領と主席に上ったことだ。
では、「共産党エリート」とは何か。
昭和二十年から三十一年まで十一年間、
ソビエトによってシベリアの監獄ラーゲリーに入れられ、
「無法が法」であるソビエトと共産主義を肌身で知り尽くした
北海道大学教授の内村剛介氏(故人)は
次のように記している(同氏著「ロシア無頼」)。
「無理難題に処してたじろがず、
手段をえらばない者が共産主義エリートコースに乗る。
・・・そして、このエリートは何もののまえでもたじろがないから、
当然親友を『裏切る』ことを屁とも思わない。
エリートは裏切り者でなければならない。」
つまり、我が総理は、二人の裏切り者と親しいのだ。
冷戦が終わっても、
プーチン、習近平という邪悪な共産党のエリートは健在だ。
警戒心を失ってはならないのだ。
四年前の二〇一六年度(平成二十八年)の
我が航空自衛隊機のスクランブル発進回数は
過去最高で年間1168回で、
その内、対中共軍機851回、対ロシア軍機301回、台湾など16回だ。
つまり、一年中一日当たり3回平均、
中共軍機かロシア軍機が我が領空に接近してきていた。
現在も、武漢ウイルス禍の「力の空白」を衝くように
中露軍機の我が国領空接近回数は増加しており、冷戦期を遙かに超える頻度である。
また二〇〇五年以来、
中露両海軍はアジア太平洋海域つまり日本の東西南北の海域
オホーツク海、日本海、南シナ海、西太平洋で
合同軍事演習を毎年一回の割で続けている。
先年は、宮古島の我が領海を、まずロシア軍艦が通過し続いて中共軍艦が通過した。
また、二〇一八年にロシアがシベリアのザバイカル地方で行った
三十万人の将兵が参加した戦後最大規模の軍事演習
「ボストーク2018」には、始めて中共軍も参加している。
このように、中露両軍は、
東方における壁である日本そしてアメリカを想定した軍事的連携を深めている。
ボストークとは「東」という意味だ。
イワン雷帝以来のロシアの衝動は「東への拡大」である。
以上の油断できないロシアと中共がもたらず現在の軍事情勢を見た上で、
次に、思い起こす二つの事件とは、
日清戦争講和直後の「東亜五十年の禍根」となった
三国干渉と不可分一体の
一八九六年の露清密約と
一九二七年三月二十四日の南京事件である。
まず、
百二十四年前の日本に対する露清密約を振り返らねばならない。
この密約は、
日本に対するロシアの三国干渉によって
遼東半島を奪還してもらった清の李鴻章と
ロシアのロバノフ外相との間に結ばれた、
ロシアと清の対日攻守同盟であるが、
その為に李鴻章は、
巨額の賄賂をロシアから貰って満州をロシアに売却したのだ。
即ち、ロシアは、対日戦争の場合を想定して
シベリアから満州を横断してウラジオストックに至る鉄道を建設することになり、
その建設のために露清銀行と東支鉄道会社が設立された。
しかも同会社は、清国内の所有地において
排他的かつ絶対的な行政権を有するものとされた。
つまり、満州に線路が伸びるとともに同会社の満州における支配領域が拡がっていく。
これは即ち、ロシアの「鉄道と銀行による満州征服」である。
現在の、習近平による「一帯一路」の覇権拡張戦略は、
かつての露清密約による
ロシアの「鉄道と銀行による満州征服」の現代版であり
中共の「公共工事と貸し付けによる征服」だ。
なお、我が国は、
この露清密約の存在を一九二二年のワシントン会議で始めて知った。
つまり、我が国は、
清国の李鴻章がロシアに売却した満州を、
十年後の日露戦争で大量の将兵の血を流してロシアから奪還したうえで、
売却した清国に還してやったことになる。
なんたることだ。
また、巨額の賄賂を貰って満州をロシアに売却した李鴻章の子孫は、
現在、名前を変えてアメリカで富豪として暮らしていると聞いた。
これが、共産党独裁の現在も変わらない支那の支配階級というものだ。
次に、露清密約の三十一年後の南京事件(一九二七年)について記す。
これこそ、本当の南京事件である。
即ち、一九三七年暮れの「南京事件」は中共の捏造つまり嘘だ。
一九二六年の七月、
孫文の死後、軍事力を掌握した蒋介石は、
北洋軍閥を打倒して中国を統一するため、
国民革命軍(北伐軍)を率いて広東を出発した。
国民革命軍は、国際条約によって設定された武漢三鎮のイギリス租界を奪取して
欧米の国際社会に衝撃を与えながら、一九二七年三月二十四日、南京に入城した。
しかし、その直後、国民革命軍の正規兵の一部が、
日本、イギリス、アメリカそしてフランスの領事館に侵入して略奪を開始した。
するとほとんどの兵士が暴徒と化し、南京の老若男女の民衆も略奪に参加した。
我が国の官民は、略奪されている領事館を引き上げて
揚子江上の軍艦に収容され保護されたが、
領事館の警備の任にあった荒木海軍大尉は、
任務を果たせなかったとして引責自決した。
そして遂に、米英両国は、
揚子江に浮かべていた軍艦より、避難民救済のために南京城内を砲撃した。
南京城内に発射された砲弾は二百発であった。
しかし、我が国は、この米英と連携せず、砲撃に参加しなかった。
時の我が国の外務大臣は幣原喜重郎であり、
その外交姿勢は、この南京における暴力と無秩序の実態を見ない
理想主義的な平和協調路線であったからだ。
ところが、
この南京における各国領事館への略奪は、
一九二六年十一月のスターリンが主導するコミンテルン第七次会議の決定によって
北伐の国民革命軍の中に潜入していた共産党分子が実行したものだった。
張作霖軍が北京のソ連大使館を占拠した時に押収したその決議に基づく訓令は次の通りだ。
「あらゆる方法を用いて国民大衆による外国人排斥を引きおこさねばならない。
この目的達成の為には、各国と大衆を武力衝突させねばならない。
これによって各国の干渉をひき起こすことができたならば、
更に方法を選ばず、それを貫徹すべきである。
たとへ、略奪や多数の惨殺をもたらすものであっても構わない。
大衆が欧州の軍隊と衝突した時には、その機会を決して逃してはいけない。」
この訓令は、明らかにレーニン・スターリンの
「内乱から戦争へ、戦争から革命へ」
という革命戦略を支那で実行させるものだ。
そして、歴史を振り返れば明らかなように、
中国共産党は、この南京事件を切掛けに、
革命戦略実現のターゲットを日本にしぼった。
何故なら、南京事件の時に、
米英は直ちに反撃して手強く、かなう相手ではないが、
日本は無抵抗だったからだ。
支那人は日本人の常識とは反対で、無抵抗だから攻撃する。
即ち、南京事件は、
十年後の共産党の暴力革命戦略の具体化である
抗日民族統一戦線・第二次国共合作と盧溝橋事件の起点である。
しかし、この時、
圧倒的な軍事力を持っていたのは蒋介石の国民党であり、
北伐を終えた蒋介石は一九三〇年(昭和五年)一二月、共産党掃討に着手する。
そして、四年後、共産党は潰滅し、
一年間に、一万四千キロを逃げ回る「大長征」に追い込まれる。
さて、本稿は、
この中国の共産党と国民党の国共内戦を書くことを目的としていないので
ここで止めるが、
次の二つのことを指摘しておきたい。
それは、この時、蒋介石の国民党軍は
ドイツ軍事顧問団によって近代装備をもった軍隊に生まれ変わりつつあり、
共産党軍を潰滅させたのもドイツ軍事顧問団の作戦指導によるものであった。
さらに、ドイツ軍事顧問団は、日本軍との戦いも指導することになる。
顧問団団長のフォン・ゼークト大将は、
蒋介石に次のように助言した。
「日本一国だけを敵として、ほかの国とは親善政策をとること」
「日本に対して中国が強くなるためには武器も必要であろうし、
飛行機も必要であろう。
けれども自分がドイツにおける国防軍を編成し、
国防軍を動かした経験からするならば、
今最も中国がやらねばならぬことは、
中国の軍隊に対して日本に対する敵愾心を養うことだ」
以上、阿羅健一著「日中戦争はドイツが仕組んだ」小学館より。
そこで、この時の中国との戦いを経験した人から
西村が聞いた話を書いておきたい。
高校の授業の時だった。
帝国海軍将校だった教官が言った。
中国軍には日本軍より性能の良い銃器を持っている部隊がいた。
それは、銃の発射音で分かる。
チェコ機関銃の音は、バン、バン、ではなく、
カタ、カタ、カタ、カタ・・・という音で撃ってくる。
その音を聞くと、我々は、敵の精鋭部隊が来ていると緊張したものだ。
当時、チェコの機銃は世界最優秀だった。
また、西村は、フォン・ゼークト将軍に畏敬の念をもっている。
彼はベルサイユ条約によって
将校を含めて兵員十万、戦車、装甲車、戦闘機無し、に限定されたドイツ軍を、
再軍備が開始されれば一挙に五百万の精鋭部隊に変容させた。
つまり、限定された十万の兵員全員を
一人一人、それぞれ五十人の兵を指揮できる将校に教育した。
兵士の給料も、フランス軍の数倍の高給にした。
我が自衛隊を、
一挙に数百万の精鋭にしなければならない事態に直面した際、
このフォン・ゼークト将軍の方策を見習うべきではないか。
その為には、今から、
自衛官に名誉を与え、自衛官の給与を高くしておかねばならない。
これが、平素からの危機管理というものだ。
以上、
話が横に反れたので戻す。
このように、
南京事件から盧溝橋事件までの十年間は、
国共内戦の期間であった。
しかし、この間、
敵味方に分かれて戦っている共産党と国民党の両者とも、
一つに絞るべき敵は、米英ではなく日本であると決めていた。
共産党はコミンテルンから、
国民党はドイツ軍事顧問団から
そのように指導と示唆を受けたからだ。
ドイツ軍事顧問団が、蒋介石にそのように示唆した前提には、
南京事件以来、日本が米英と別行動を取っていたことがある。
一九〇〇年の義和団事件のように、
我が国は欧米諸国と共同歩調を取っておれば事態は変わったであろう。
とはいえ、一九三六年十二月、
張学良らに拉致監禁された蒋介石も共産党の言い分を受け入れ、
抗日民族統一戦線・第二次国共合作となった。
そこで、この歴史の教訓を確認したい。
それは、単純かつ明瞭である。
共産党に対しては、
かつての幣原協調外交のように宥和的態度を取ってはならないということ。
そのうえで、米英とは協調すること。
この二つである。
つまり現在、世界的な武漢ウイルス禍のなかで、
米中の冷戦が始まり、
米英及び数カ国が中共に対する賠償請求を開始しようとしている。
ところが我が国の安倍総理は、
はじめから、
このウイルスが武漢を発源地とすることに言及せず、
中共政府がウイルス感染拡大を隠蔽してきたことの指摘もせず、
中共からの中国人の入国規制措置実施もかなり遅く、
独自の思惑があるかの如く、
また、
頭が回らないかの如く、
この欧米の動きに無関心を装っている。
これこそ、
南京事件の教訓を無視する重大な誤りだ。
安倍総理は、
米中が冷戦に入ったのであるから、
旗幟を鮮明にして、
アメリカのトランプ大統領と共同歩調を取り、
中共が支配するWHOにカネを出さず、
アメリカの対中共賠償請求に参加すべきだ。
このウイルス禍の中においても
尖閣への攻勢を強めてくる中共への配慮は、
国益に反し、却って彼の侵略を招きよせる。
南京事件の教訓は、現在も生きている。
総理は、
靖國神社に参拝して、
尖閣に自衛隊を駐屯させ
周辺海域に護衛艦を出すべきだ。
最後に、
アメリカに黒人への人種差別反対の大規模デモが起こり商店の略奪も始まり、
トランプ大統領の支持率が落ちてきていると連日報道されている。
しかし、
マスコミが発表する支持率などに惑わされてはならない。
自国の民衆の自由を完全に抑圧している独裁国に限って、
アメリカの表現の自由を利用して不平を煽り混乱を増大させようとする。
今、我らが直面しているのは、
世界の武漢ウイルス禍を「細菌戦の戦果」として利用して、
世界に覇権を拡大しようし、
香港を飲み込み、次に露骨に台湾を攻略し
我が国の尖閣を奪い、
我が国のシーレーンを扼して我が国を屈服させようとしている
まさしく「火事場泥棒」、
中国共産党独裁国家との冷戦なのだ。
再び言う。
安倍総理、旗幟を鮮明にして、
断固、尖閣と台湾を守り、共産党独裁国家に対峙せよ。