平成30年8月21日(火)
アメリカのトランプ大統領が、
アメリカ・ファースト、つまり、二十一世紀のモンロー主義を掲げ、
戦後の「世界の警察官」の役割から退却しようとしており、
中共の習近平主席が、
大中華帝国の再興を目指して膨張しつつある。
そして、
この太平洋の東と西の両サイドの国家が変動を始めている真っ只中にある
我が日本は、
未だ、戦後体制のなかにある。
しかし、膨張する中華帝国主義に対峙できる国は、
東アジアで我が国以外にない。
まさに今、尖閣が危ない。
我が国が尖閣を中共から守り抜くことは
我が国の存立を確保し、同時に東アジアの平和を確保することだ。
まさに、東シナ海の、この小さな島が、
二十一世紀の我が国とアジア諸国民の平和を確保する為の重大ポイントなのだ。
中華帝国の再興を目指す誇大妄想の中共は、
西太平洋に覇権を拡大するために本気で尖閣を奪おうとしている。
何故なら、尖閣を奪えば、
東の沖縄本島と南西の台湾は、
共に中共の掌中に入るからだ。
そして、
シーレーンを中共に握られた日本は、中共に屈服するしかない。
つまり、尖閣は、中共にとって
台湾と日本を呑み込み海洋の覇権を確立するための橋頭堡である。
それ故、尖閣を奪った中共は、
直ちにそこにミサイル基地と潜水艦基地を造る。
その中共の尖閣を奪う手法は、
敵=日本を欺くこと、孫子に言う「詭道(きどう)」である。
次の孫子の一節を見れば、
中共は、この教科書通りにしている馬鹿であることが分かる。
そして、もっと馬鹿は、
それにまんまと引っかかっている東京の政府だ。
孫子に曰く、兵とは詭道なり。
故に、能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、
近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、
利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、
強にしてこれを避け、怒にしてこれを撓(みだ)し、
卑にしてこれを驕らせ、佚(いつ)にしてこれを労し、
親にしてこれを離す。
その無備を攻め、その不意に出ず。
以上は、孫子に書かれた敵を欺すことの例示であるが、
では、尖閣を奪うために中共は
具体的に何をしてきているか、これから何をするか。
それは、
第一に、中共は日米安保条約第五条を不発にする行動を続けている
第二に、中共は便衣兵(民間人を装った兵)を使って奪いにくる
次に、順次説明する。
(要点第一)日米安全保障条約第五条
中共は、徐々に、徐々に、尖閣を呑み込み始めている。
その中共の手法は、
日本国政府が、尖閣の安全が確保されている根拠として、
一番頼りにしているものに対する日々の絶え間のない攻撃である。
一時間に水一滴が落ちるとしよう、
確かにその一滴の量は微小である。
しかし、一年経てば、落ちた水滴は、どれほどの総水量になっているか、
さらにそれが、十年続いていたら想像を絶する水量になる。
海に流れ落ちる大河の水源も、山中の一滴の水である。
戦後体制に籠もる日本政府が、一番頼りにしているのが
日米安保条約第五条である。
その第五条は、
日米両国は「日本国の施政の下にある領域」に対する
「いずれか一方に対する武力攻撃が発生した際」
「共通の危機に対処するように行動する」
と定めている。
従って、日本政府は、安心して、
尖閣に日米安保条約第五条が適用されるから
尖閣はアメリカ軍によって守られる、と信じており、
その旨、国民に説明している。
確かに、日米安保第五条はそう書いてある。
しかし、
中共が、ここ数十年し続けてきたことは、
まさに、日本政府が一番頼りにしているこの第五条の中枢を抜き去り、
尖閣に適用不能にすることなのだ。
しかも、この中共の狙いが的中するのを、
不作為によって幇助しているのが、
他ならぬ日本国政府自身なのだ。
日本国政府自らが、中共の膨張を助長して、
我が固有の領土の喪失と、我が国と台湾の危機を増幅させ、
さらに東アジアの動乱を招き寄せている。
問題は、
尖閣周辺の情況が、
日米安保条約第五条の「日本国の施政の下]
「Under The Administration Of Japan」
にある状態だといえるのかということだ。
まさに、中共は、
この「日本国の施政の下」を突き崩し
「中共の施政の下」に転換する行動を積み重ねてきた。
思い起こせば、
昭和五十三年の日中平和友好条約締結前後、
尖閣周辺海域に二百隻から三百隻の中国漁船が押し寄せ、
福田内閣は腰を抜かした。
すると鄧小平が初来日して、
尖閣の領有権問題は棚に上げよう、と提案すると、
福田内閣は、安堵してそれに飛びつき、中国漁船は潮がひくようにいなくなった。
これ、「自国の固有の領土」を、
鄧小平によって「棚に上げられた」のだ。
安堵する話か。
自国の領土が棚に上げられて安心する馬鹿がどこにいる。
これ、孫子に言う、欺しではないか。
近くとも遠きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取るだ。
この時は、まだ中共は貧しく、
鄧小平は、日中友好で日本からカネを引き出すことを優先した。
しかし、中共は、日本からカネを引きながら、
絶え間なく尖閣の領有を主張し、中国人の尖閣不法上陸も続いた。
そして、遂に、
中国漁船と共に中国海警局の「公船」が尖閣海域に現れ、
度、々接続海域を越えて領海に侵入するようになった。
この我が国の領海に侵入して航行する中国海警局の「公船」に対し、
我が海上保安庁の巡視船は「領海から退去せよ」と警告すると、
中共の「公船」は、
「我らは中国の領海を航行している」と応答して平然と航行を続ける。
我が国が、平成二十四年九月に、
尖閣諸島を地主から買収して国有化してから昨年九月までの間に、
中国海警局の「公船」が我が領海を侵犯した日数は二百日で侵犯した公船は延べ六百四十七隻におよぶ。
平成二十八年八月には、尖閣周辺海域に、中国漁船二百隻から三百隻が押し寄せ、
四日間で漁船延べ七十二隻、公船延べ二十八隻が我が領海に侵入した。
そして、本年、中共は、この「公船」を軍隊に編入して「軍艦」とした。
この事態は、
中共による尖閣諸島周辺領海への侵入による主権侵犯は、
既に常態化していることを示している。
さらに、慨嘆すべき負の要因がある。
それは、
昭和四十七年(一九七二年)、沖縄の施政権がアメリカから我が国に返還され、
中共が突如尖閣諸島は中国の領土と言い始めてから今日までのほぼ全期間において、
我が国政府は、
尖閣諸島に灯台を設置し、
周辺漁場で操業する漁船の避難などの便宜を図る為の施設を建設する、
さらに、領海に侵入した外国船の実力排除などの
領土に対する国家の施政権・管轄権の行使を一切せず、
日本人が尖閣に上陸することを阻止してきたことだ。
何故、我が国政府は、このような不作為を続けているのか。
その理由は、言わずと知れたこと。
それは、中共に配慮し、中共の逆鱗に触れないようにするためである。
これは、即ち、
日本国政府が、
尖閣に中共の「力」が及んでいることを認めていることに他ならない。
よって、以上の、
中共の行動と日本政府の態度を総合すれば、
尖閣諸島は、日米安保条約第五条に言う
「日本国の施政の下」にあるとは、もはや言い難くなりつつある。
平成九年五月、私が尖閣諸島魚釣島に上陸した時、
その上陸を阻止しようとする最大の障害は、日本の政府だった。
その妨害をかいくぐって魚釣島に上陸してから、
沖合にきた巡視船からボートが下ろされ、
乗り込んだ海上保安官が磯近くまできてマイクで退去せよと叫んでいる。
私は、彼に、「ここは日本の国土だから上陸してこい」と叫んだが
上陸してこなかった。
魚釣島には小さいがヘリポートがあった。
巡視船からヘリが飛び上がり、
国旗を掲げている私の真上五メートルほどでホバリングしている。
私の顔を写して写真を東京に送りたいのだろうと思って、
帽子を脱いでヘリを見上げ、ヘリポートの方向を示して着陸せよと合図した。
しかし、ヘリは着陸しなかった。
私が彼らにこの地上に来いと言ったのは、
国会議員の上陸と共に、彼らの魚釣島への上陸・着陸は、
明確に我が国の主権を刻印するからである。
彼らがあきらめて去ってから、
あいつらアホやなあ、燃料と時間を使って何の為にここまで来たのかと思った。
彼らは、日本人が、日本が、国土である魚釣島に刻印されるのを阻止する為に税金を使っているのか。中共の歓迎することをする為に尖閣海域にいるのが我が巡視船か。
その上で、
(要点第二)便衣兵
中共は、近いうちに、「その無備を攻め、その不意に出ず」、を仕掛けてくる。
便衣兵つまり漁民などを尖閣に上陸させる。
つまり、中共は、
日米安保条約第五条に言う「武力攻撃」に該当しない方法で我が無備を攻めてくる。
即ち、現在の情況は、
尖閣諸島に関し、
中共は、日米安保条約第五条が発動できないように侵攻できる、
ということである。
そして、この情況を招いたのは、日本政府の不作為である。
これ、
戦後体制=平和主義が、反って紛争を招き寄せる痛恨の例である。
「断ずるに当たって、断ぜざるは、反ってその乱を受く」
その「断ずる時」とは、
①鄧小平が尖閣を「棚に上げて」日中友好に進まんとしたときだ。
その時、「いや、違う、我が領土を棚に上げる必要はない」と断固通告することができた。
②中共の「公船」が領海に侵入したときである。
その時、断固として、撃沈してでも侵入を阻止できた。
③このような中共の行動に対する対応ではなく、
一九七二年に沖縄が我が国に返還されたときに、
直ちに尖閣に灯台を建設し、
大規模なヘリポートを建設し、
以後、定期的に我が官憲が尖閣を点検するという
施政権に基づく当然の行動を続けなければならなかった。
(結論)最悪の事態を覚悟する
アメリカ・ファーストのアメリカは、
「日本国の施政の下」にあるのかどうかあやふやな小さな島の為に戦うのはいやという。従って、当然ながら、
我が国は、独力で尖閣から中共を排除して尖閣を守らねばならない。
便衣兵(漁民)を排除する我が国の行動に対して、
中共は、あらゆる反日プロパガンダを国際社会で展開する。
その上で、
「かつてのように日本軍に虐げられる貧しい中国の漁民」を守る為に
海と空から軍事行動を仕掛けてくる。
その中共の攻撃を陸海空自衛隊によって撃退することになる。
こういうことだ。
このシュミレーションを書いておればきりがないので止め、
次に要点を記す。
その要点とは、
戦後体制=日本国憲法体制では、それができない、
という固定した思考を如何に克服するかである。
この思考は、要するに、
憲法を改正したらできるが改正していない状態ではできないということだ。
しかし、あの狡知に長けた敵さんが、
我が国の憲法改正を待ってくれるはずがないではないか。
そもそも、法の改正などは、
改正したから改正にマッチした事態が起こるのではなく、
改正しなければならない事態が起こってしまったから改正するものなんだ。
従って、現在の法制においても、
我が国は、陸海空自衛隊を運用して尖閣を防衛できる、
つまり、日本を防衛できるし防衛しなければならないと得心して頂きたい。
即ち、
軍隊としての自衛隊運用の原則は、既に我が国にあることを知って頂きたい。
その法制とは、単純明快、二つの原則、
①憲法六十五条「行政権は、内閣に属する」
②自衛隊法七条「内閣総理大臣は内閣を代表して自衛隊の最高指揮監督権を有する」
この二つだ。
アメリカ大統領も、同じ次の二つの原則によって全アメリカ軍を動かしている。
合衆国憲法第二条
①第一節「行政権は、アメリカ合衆国大統領に属する」
②第二節「大統領は、合衆国の陸海軍および現に招集されて合衆国の軍務に服する各州の民兵の最高司令官(Commander in Chief)である」
この通り、
我が国にもアメリカ合衆国同様の軍隊を運用する法的原則がある。
そして、近い将来予想される中共の尖閣侵攻に対して、
この原則を発動するか否か、
それは、ひとえに、総理大臣の決断だ。
今まで、国会は、
この決断ができるか否かの基準に基づいて総理大臣を選出したことはない。
しかし、世界の大勢は、既に我が国の戦後体制を容認しない。
従って、今こそ、安倍総理に、いざとなったら、やる!、と覚悟を促したい。
九月の自民党総裁選挙では、この決断ができる総裁を選ばねばならない。
候補予定の二人をこの基準で選別して欲しい。
安倍晋三氏だ。
西村眞悟の時事通信より。
アメリカのトランプ大統領が、
アメリカ・ファースト、つまり、二十一世紀のモンロー主義を掲げ、
戦後の「世界の警察官」の役割から退却しようとしており、
中共の習近平主席が、
大中華帝国の再興を目指して膨張しつつある。
そして、
この太平洋の東と西の両サイドの国家が変動を始めている真っ只中にある
我が日本は、
未だ、戦後体制のなかにある。
しかし、膨張する中華帝国主義に対峙できる国は、
東アジアで我が国以外にない。
まさに今、尖閣が危ない。
我が国が尖閣を中共から守り抜くことは
我が国の存立を確保し、同時に東アジアの平和を確保することだ。
まさに、東シナ海の、この小さな島が、
二十一世紀の我が国とアジア諸国民の平和を確保する為の重大ポイントなのだ。
中華帝国の再興を目指す誇大妄想の中共は、
西太平洋に覇権を拡大するために本気で尖閣を奪おうとしている。
何故なら、尖閣を奪えば、
東の沖縄本島と南西の台湾は、
共に中共の掌中に入るからだ。
そして、
シーレーンを中共に握られた日本は、中共に屈服するしかない。
つまり、尖閣は、中共にとって
台湾と日本を呑み込み海洋の覇権を確立するための橋頭堡である。
それ故、尖閣を奪った中共は、
直ちにそこにミサイル基地と潜水艦基地を造る。
その中共の尖閣を奪う手法は、
敵=日本を欺くこと、孫子に言う「詭道(きどう)」である。
次の孫子の一節を見れば、
中共は、この教科書通りにしている馬鹿であることが分かる。
そして、もっと馬鹿は、
それにまんまと引っかかっている東京の政府だ。
孫子に曰く、兵とは詭道なり。
故に、能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、
近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、
利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、
強にしてこれを避け、怒にしてこれを撓(みだ)し、
卑にしてこれを驕らせ、佚(いつ)にしてこれを労し、
親にしてこれを離す。
その無備を攻め、その不意に出ず。
以上は、孫子に書かれた敵を欺すことの例示であるが、
では、尖閣を奪うために中共は
具体的に何をしてきているか、これから何をするか。
それは、
第一に、中共は日米安保条約第五条を不発にする行動を続けている
第二に、中共は便衣兵(民間人を装った兵)を使って奪いにくる
次に、順次説明する。
(要点第一)日米安全保障条約第五条
中共は、徐々に、徐々に、尖閣を呑み込み始めている。
その中共の手法は、
日本国政府が、尖閣の安全が確保されている根拠として、
一番頼りにしているものに対する日々の絶え間のない攻撃である。
一時間に水一滴が落ちるとしよう、
確かにその一滴の量は微小である。
しかし、一年経てば、落ちた水滴は、どれほどの総水量になっているか、
さらにそれが、十年続いていたら想像を絶する水量になる。
海に流れ落ちる大河の水源も、山中の一滴の水である。
戦後体制に籠もる日本政府が、一番頼りにしているのが
日米安保条約第五条である。
その第五条は、
日米両国は「日本国の施政の下にある領域」に対する
「いずれか一方に対する武力攻撃が発生した際」
「共通の危機に対処するように行動する」
と定めている。
従って、日本政府は、安心して、
尖閣に日米安保条約第五条が適用されるから
尖閣はアメリカ軍によって守られる、と信じており、
その旨、国民に説明している。
確かに、日米安保第五条はそう書いてある。
しかし、
中共が、ここ数十年し続けてきたことは、
まさに、日本政府が一番頼りにしているこの第五条の中枢を抜き去り、
尖閣に適用不能にすることなのだ。
しかも、この中共の狙いが的中するのを、
不作為によって幇助しているのが、
他ならぬ日本国政府自身なのだ。
日本国政府自らが、中共の膨張を助長して、
我が固有の領土の喪失と、我が国と台湾の危機を増幅させ、
さらに東アジアの動乱を招き寄せている。
問題は、
尖閣周辺の情況が、
日米安保条約第五条の「日本国の施政の下]
「Under The Administration Of Japan」
にある状態だといえるのかということだ。
まさに、中共は、
この「日本国の施政の下」を突き崩し
「中共の施政の下」に転換する行動を積み重ねてきた。
思い起こせば、
昭和五十三年の日中平和友好条約締結前後、
尖閣周辺海域に二百隻から三百隻の中国漁船が押し寄せ、
福田内閣は腰を抜かした。
すると鄧小平が初来日して、
尖閣の領有権問題は棚に上げよう、と提案すると、
福田内閣は、安堵してそれに飛びつき、中国漁船は潮がひくようにいなくなった。
これ、「自国の固有の領土」を、
鄧小平によって「棚に上げられた」のだ。
安堵する話か。
自国の領土が棚に上げられて安心する馬鹿がどこにいる。
これ、孫子に言う、欺しではないか。
近くとも遠きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取るだ。
この時は、まだ中共は貧しく、
鄧小平は、日中友好で日本からカネを引き出すことを優先した。
しかし、中共は、日本からカネを引きながら、
絶え間なく尖閣の領有を主張し、中国人の尖閣不法上陸も続いた。
そして、遂に、
中国漁船と共に中国海警局の「公船」が尖閣海域に現れ、
度、々接続海域を越えて領海に侵入するようになった。
この我が国の領海に侵入して航行する中国海警局の「公船」に対し、
我が海上保安庁の巡視船は「領海から退去せよ」と警告すると、
中共の「公船」は、
「我らは中国の領海を航行している」と応答して平然と航行を続ける。
我が国が、平成二十四年九月に、
尖閣諸島を地主から買収して国有化してから昨年九月までの間に、
中国海警局の「公船」が我が領海を侵犯した日数は二百日で侵犯した公船は延べ六百四十七隻におよぶ。
平成二十八年八月には、尖閣周辺海域に、中国漁船二百隻から三百隻が押し寄せ、
四日間で漁船延べ七十二隻、公船延べ二十八隻が我が領海に侵入した。
そして、本年、中共は、この「公船」を軍隊に編入して「軍艦」とした。
この事態は、
中共による尖閣諸島周辺領海への侵入による主権侵犯は、
既に常態化していることを示している。
さらに、慨嘆すべき負の要因がある。
それは、
昭和四十七年(一九七二年)、沖縄の施政権がアメリカから我が国に返還され、
中共が突如尖閣諸島は中国の領土と言い始めてから今日までのほぼ全期間において、
我が国政府は、
尖閣諸島に灯台を設置し、
周辺漁場で操業する漁船の避難などの便宜を図る為の施設を建設する、
さらに、領海に侵入した外国船の実力排除などの
領土に対する国家の施政権・管轄権の行使を一切せず、
日本人が尖閣に上陸することを阻止してきたことだ。
何故、我が国政府は、このような不作為を続けているのか。
その理由は、言わずと知れたこと。
それは、中共に配慮し、中共の逆鱗に触れないようにするためである。
これは、即ち、
日本国政府が、
尖閣に中共の「力」が及んでいることを認めていることに他ならない。
よって、以上の、
中共の行動と日本政府の態度を総合すれば、
尖閣諸島は、日米安保条約第五条に言う
「日本国の施政の下」にあるとは、もはや言い難くなりつつある。
平成九年五月、私が尖閣諸島魚釣島に上陸した時、
その上陸を阻止しようとする最大の障害は、日本の政府だった。
その妨害をかいくぐって魚釣島に上陸してから、
沖合にきた巡視船からボートが下ろされ、
乗り込んだ海上保安官が磯近くまできてマイクで退去せよと叫んでいる。
私は、彼に、「ここは日本の国土だから上陸してこい」と叫んだが
上陸してこなかった。
魚釣島には小さいがヘリポートがあった。
巡視船からヘリが飛び上がり、
国旗を掲げている私の真上五メートルほどでホバリングしている。
私の顔を写して写真を東京に送りたいのだろうと思って、
帽子を脱いでヘリを見上げ、ヘリポートの方向を示して着陸せよと合図した。
しかし、ヘリは着陸しなかった。
私が彼らにこの地上に来いと言ったのは、
国会議員の上陸と共に、彼らの魚釣島への上陸・着陸は、
明確に我が国の主権を刻印するからである。
彼らがあきらめて去ってから、
あいつらアホやなあ、燃料と時間を使って何の為にここまで来たのかと思った。
彼らは、日本人が、日本が、国土である魚釣島に刻印されるのを阻止する為に税金を使っているのか。中共の歓迎することをする為に尖閣海域にいるのが我が巡視船か。
その上で、
(要点第二)便衣兵
中共は、近いうちに、「その無備を攻め、その不意に出ず」、を仕掛けてくる。
便衣兵つまり漁民などを尖閣に上陸させる。
つまり、中共は、
日米安保条約第五条に言う「武力攻撃」に該当しない方法で我が無備を攻めてくる。
即ち、現在の情況は、
尖閣諸島に関し、
中共は、日米安保条約第五条が発動できないように侵攻できる、
ということである。
そして、この情況を招いたのは、日本政府の不作為である。
これ、
戦後体制=平和主義が、反って紛争を招き寄せる痛恨の例である。
「断ずるに当たって、断ぜざるは、反ってその乱を受く」
その「断ずる時」とは、
①鄧小平が尖閣を「棚に上げて」日中友好に進まんとしたときだ。
その時、「いや、違う、我が領土を棚に上げる必要はない」と断固通告することができた。
②中共の「公船」が領海に侵入したときである。
その時、断固として、撃沈してでも侵入を阻止できた。
③このような中共の行動に対する対応ではなく、
一九七二年に沖縄が我が国に返還されたときに、
直ちに尖閣に灯台を建設し、
大規模なヘリポートを建設し、
以後、定期的に我が官憲が尖閣を点検するという
施政権に基づく当然の行動を続けなければならなかった。
(結論)最悪の事態を覚悟する
アメリカ・ファーストのアメリカは、
「日本国の施政の下」にあるのかどうかあやふやな小さな島の為に戦うのはいやという。従って、当然ながら、
我が国は、独力で尖閣から中共を排除して尖閣を守らねばならない。
便衣兵(漁民)を排除する我が国の行動に対して、
中共は、あらゆる反日プロパガンダを国際社会で展開する。
その上で、
「かつてのように日本軍に虐げられる貧しい中国の漁民」を守る為に
海と空から軍事行動を仕掛けてくる。
その中共の攻撃を陸海空自衛隊によって撃退することになる。
こういうことだ。
このシュミレーションを書いておればきりがないので止め、
次に要点を記す。
その要点とは、
戦後体制=日本国憲法体制では、それができない、
という固定した思考を如何に克服するかである。
この思考は、要するに、
憲法を改正したらできるが改正していない状態ではできないということだ。
しかし、あの狡知に長けた敵さんが、
我が国の憲法改正を待ってくれるはずがないではないか。
そもそも、法の改正などは、
改正したから改正にマッチした事態が起こるのではなく、
改正しなければならない事態が起こってしまったから改正するものなんだ。
従って、現在の法制においても、
我が国は、陸海空自衛隊を運用して尖閣を防衛できる、
つまり、日本を防衛できるし防衛しなければならないと得心して頂きたい。
即ち、
軍隊としての自衛隊運用の原則は、既に我が国にあることを知って頂きたい。
その法制とは、単純明快、二つの原則、
①憲法六十五条「行政権は、内閣に属する」
②自衛隊法七条「内閣総理大臣は内閣を代表して自衛隊の最高指揮監督権を有する」
この二つだ。
アメリカ大統領も、同じ次の二つの原則によって全アメリカ軍を動かしている。
合衆国憲法第二条
①第一節「行政権は、アメリカ合衆国大統領に属する」
②第二節「大統領は、合衆国の陸海軍および現に招集されて合衆国の軍務に服する各州の民兵の最高司令官(Commander in Chief)である」
この通り、
我が国にもアメリカ合衆国同様の軍隊を運用する法的原則がある。
そして、近い将来予想される中共の尖閣侵攻に対して、
この原則を発動するか否か、
それは、ひとえに、総理大臣の決断だ。
今まで、国会は、
この決断ができるか否かの基準に基づいて総理大臣を選出したことはない。
しかし、世界の大勢は、既に我が国の戦後体制を容認しない。
従って、今こそ、安倍総理に、いざとなったら、やる!、と覚悟を促したい。
九月の自民党総裁選挙では、この決断ができる総裁を選ばねばならない。
候補予定の二人をこの基準で選別して欲しい。
安倍晋三氏だ。
西村眞悟の時事通信より。