岩淸水

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トンキン湾事件

2013年02月07日 10時00分55秒 | 歴史

 

 

トンキン湾事件【岩淸水・言葉の説明】

 

 

 


トンキン湾事件  (とんきんわんじけん)

英: Gulf of Tonkin Incident, 越:Sự kiện Vịnh Bắc Bộ/事件灣北部)
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる事件。

これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入、北爆を開始した。アメリカ議会は上院で88対2、下院で416対0で大統領支持を決議をした。しかし、1971年6月ニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者が、報告書 『ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年』 こと“ペンタゴン・ペーパーズ”を入手、トンキン湾事件はアメリカが仕組んだものだったことを暴露した。

 

 

   


1964年7月31日より、アメリカ海軍のアレン・M・サムナー級駆逐艦マドックス (USS Maddox, DD-731) は、トンキン湾で哨戒行動を開始した。任務の公式目的は、北ベトナムの沿岸防衛能力に関する情報を得ることにあった。他にも同様の任務に当たっているアメリカ艦があり、同時期に行われていた南ベトナム・コマンド部隊による北ベトナム沿岸への襲撃を支援していた。

8月2日に、3隻の北ベトナム魚雷艇が、南ベトナム艦艇と間違え、マドックスに対し、魚雷と機関銃による攻撃を行った。その攻撃に対してマドックスは直ちに反撃を行い、近くにいた空母タイコンデロガ (USS Ticonderoga, CV-14) の艦載機の支援も受け、魚雷艇のうち1隻を撃破、他の2隻にも損害を与えた。マドックスは、機関銃弾丸により軽微な損傷を受けただけであったが、駆逐艦ターナー・ジョイ (USS Turner Joy, DD-951) と合流し、南ベトナム海域へと撤退した。



8月4日より、マドックスとターナー・ジョイによる北ベトナム沿岸への、哨戒行動があらためて開始された。4日夜間にターナー・ジョイは、望遠鏡により北ベトナム軍が攻撃してくることを確認した。その後、約2時間、マドックスとターナー・ジョイは、北ベトナム軍艦艇と思われるレーダー目標に対して発砲した。

なお、捏造とされているのは、8月4日の事件であり、北ベトナムは8月2日の事件は認めていたが、8月4日の事件については当初から否定している。また、ジョンソン大統領は8月4日の時点で既に、2日の事件に対する報復として、北ベトナムの魚雷艇基地と燃料貯蔵所に対する爆撃を命じていた。


この事件に関係したマドックスは第二次世界大戦(太平洋戦争)中にも日本軍の攻撃を受けたことがあり、1945年1月、同艦は台湾沖で日本軍の特攻機による体当たり攻撃を右側士官室付近に受け、戦死8人、負傷者34人を出している。

 


偽旗作戦 - 敵に擬して行動を行うこと。

偽旗作戦(にせはたさくせん、False flag)は、あたかも他の存在によって実施されているように見せかける、政府、法人、あるいはその他の団体が行う秘密作戦である。平たく言えば、敵になりすまして行動し、結果を敵になすりつける行為である。名称は自国以外の国旗、つまり偽の国旗を掲げて敵方を欺くという軍の構想に由来する。偽旗作戦は、戦争や対反乱作戦に限定されたものではなく、平時にも使用される。偽旗工作・偽旗軍事行動とも呼ばれる。英語ではしばしば false flag operation(s)(偽旗作戦)、false flag technique(偽旗技法)、false flag tactics(偽旗戦術)、false flag attack(s)(偽旗攻撃)等の句として用いられる。


柳条湖事件(開戦ないし敵地占領の口実を得る目的で行われたでっち上げ事件である、という点において共通している。)
wikipedia

 

B-52 戦略爆撃機B-52 戦略爆撃機

 

 2013 02 07  戦争になってから 核武装なのかわが郷

 

 


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