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A-10 サンダーボルトII

2023年03月12日 16時12分38秒 | 米軍装備

A-10 サンダーボルトII【 米軍装備】 A-10 サンダーボルト II

 

 

 

 A-10 (Fairchild Republic A-10 Thunderbolt II) は、フェアチャイルド・リパブリック社が開発した単座、 双発、直線翼を持つアメリカ空軍初の近接航空支援(CAS)専用機。戦車、装甲車その他の地上目標の攻撃と若干の航空阻止により地上軍を支援する任務を担う。

 

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公式な愛称は前身のリパブリック社製戦闘機で、第二次世界大戦中に対地攻撃任務で活躍したP-47に由来するサンダーボルトII (Thunderbolt II) だが、一般にはメーカーなどでも使われるウォートホッグ(イボイノシシ)[2]やホッグ(ブタ)という渾名も広まっている。

二次任務の前線航空管制機として対地攻撃機の誘導に当たる機体はOA-10の名称をもつ。

開発

1950年代から1960年代にかけてのアメリカ空軍の戦略ドクトリンは核兵器による大規模破壊相互報復であった。この期間の爆撃機は核兵器搭載のために設計され、戦闘機の大半も核兵器搭載可能になったことで近接航空支援や地上攻撃は戦闘機の副次的任務と考えられていた。このため、戦闘機として第一線を退いたF-100 スーパーセイバーをこの任務に充てていた。しかし、ベトナム戦争においては核兵器を使うような事態は発生せず、軽視していた近接航空支援が主任務となった。

これを担うのにF-100のような超音速戦闘機は適していると言えず、海軍のA-1 スカイレイダーを借用したりA-7 コルセア IIを制式採用したりしたが、A-1は老朽化が進む旧式のプロペラ機であり、A-7ではF-100やその他の戦闘爆撃機と同様に敵味方の近接した中で有効な支援を行うのに必要な低速度での運動性がなかった。このため、ダグラスAC-47、フェアチャイルドAC-119、ロッキードAC-130といった輸送機を改装したガンシップを対人阻止および対地攻撃に使用して特に夜間に効果を上げ、最終的には練習機を改装したノースアメリカン T-28やセスナ A-37を対ゲリラ戦や地上攻撃に使用した。このためアメリカ陸軍だけではなくアメリカ空軍内でも近接航空支援充実の要望が高まり、ベトナム戦争で多くのアメリカ軍対地攻撃機を撃墜した小火器、地対空ミサイル、小口径の対空兵器にも対応できる専用機体の調達を促すことになった。また、近接航空支援に使用されるUH-1 イロコイやAH-1 コブラの小口径機関銃や無誘導ロケット弾は非装甲目標にしか対応できないという意見もあった。F-4 ファントムIIを近接支援機として使用するアイデアもあったが、その高い巡航速度と莫大な燃料消費は空中待機を許さず、緊急出動に限られることとなった。また、F-4設計当時は艦隊に接近する爆撃機を視界外から攻撃する艦隊防空が主任務とされていたために空対空のドッグファイト性能が軽視されており、初中期型は固定武装を持たない機体が多かった。そして、M61 20 mm機関砲を搭載しない型では走行中の装甲車両には無力であった。

1967年3月6日にアメリカ空軍はエーブリー・ケイ大佐を責任者に据えて21社に対してA-Xまたは実験攻撃機と呼ぶ低価格の攻撃機の設計研究を目的とする提案要求を提示した。1969年には空軍長官はピエール・スプレイに対して提案されたA-Xに対する詳細要件を作成するように依頼したが、スプレイがF-Xの論議に関わっていたという経緯から内密とされた。 スプレイはベトナムで作戦に従事するA-1 スカイレイダー操縦士との議論や、Ju 87の戦闘記録などの近接航空支援に使用されていた、またはしている機体の有効性の分析、エネルギー機動性理論を考慮の結果、必要なのは長時間の空中待機、低速での運動性能、強力な機関砲、卓越した生存性を持つ、イリューシン Il-2、ヘンシェル Hs129、A-1 スカイレイダーの長所を兼ね備えた機体であると結論付けた。また、機体価格は300万ドル未満とした。ちなみにJu 87の戦闘記録のなかでも特にハンス・ウルリッヒ・ルーデルは重要視され、彼の著作は計画関係者の必読書とされた。

1970年5月にアメリカ空軍はソビエト連邦機甲部隊対応と全天候戦闘を重視したより詳細な提案要求を提示した。要求性能としては口径30 mmの対戦車機関砲(ジェネラル・エレクトリック製GAU-8とフィルコ・フォード製GAU-9の競作)を装備し、16,000 lbf (7,258 kg) 以上の兵装搭載能力、進出距離400 kmで2時間の空中待機という高い航続性能、低高度での高い機動性、簡易飛行場を使用可能な優れた短距離離着陸性能、高い生存性、容易な整備性などが出された。 ボーイング社、セスナ社、フェアチャイルド社、ジェネラル・ダイナミクス社、ロッキード社、ノースロップ社から設計案が提出され、1970年12月8日にノースロップ社とフェアチャイルド社の案を採択し、それぞれYA-9AとYA-10Aとして試作されることになった。YA-10Aは1972年5月10日に初飛行し、YA-9Aは10日遅れの5月20日に初飛行している。

1972年10月10日-12月9日の比較評価試験で操縦特性はYA-9Aに劣るものの生存性と試作機からの量産改修点の少なさを高く評価され、1973年1月18日にA-10として制式採用となり、前量産機として10機が発注された。

その後、議会筋の圧力により前量産機のうち4機 (73-1670-73-1673) をキャンセルした上に、アメリカ空軍内部でもすでに装備しているA-7Dとの並行装備に対する疑問が出され、A-7Dとの比較評価を受けることとなった。

1974年にヨーロッパの地勢や天候に似たカンザス州フォートライリイをテスト場とするためにカンザス州マッコーネル空軍基地を拠点としてA-7DとA-10Aの操縦経験のないF-100もしくはF-4のパイロット4名が参加した。1月-4月にかけて両機の初等訓練から慣熟飛行を行った後、4月15日からテスト場に設置した地上目標と防空陣地に対する16任務各2出撃のテストを実施した。任務は敵軍と友軍の戦況が膠着した場合と敵軍が友軍を迅速に突破した場合に大別され、武装は最大12発のMk.82 500ポンド爆弾、ロックアイ集束爆弾、ナパーム弾、(A-10へのインテグレーションが未済であったためにシミュレーションによる)AGM-65 マーベリックを使用し、また、上限高度も1,000ft、3,000ft、5,000ft、制限なしとされた。比較審査の結果はM61A1と同等の速射力と、より大きな破壊力を持つGAU-8 30 mm機関砲が固定武装として選定された。さらに、対空砲火への抗堪性、良好な操縦性による対空戦闘での脆弱性の軽減、及び特に低雲高や視界の制限された条件で近接航空支援を実施する際の良好な操縦性によりA-10が近接航空支援用により優れた機体であることを示した。これによりA-10の必要性を認めた議会は開発の継続を認め、当初140万ドルの機体単価は170万ドルになったものの、生産計画は予定通りに進行し、1975年10月にA-10前量産初号機 (73-1664) の初飛行を実施した[3]。

1976年3月にアリゾナ州デビスモンサン空軍基地への配備が始まり、1977年10月に最初の飛行隊が実戦配備可能となった。最終号機は1984年に出荷され、総数715機を生産した[4]。

A-10は当初は739機の生産が計画されたが、最終的に1983年までに719機で生産が完了した。 なお、当機には近代化改修型以外の派生型はなく、操縦は非常に容易と考えられたために複座練習機型も製造されなかった。1979-1980年にかけて全天候戦闘能力(夜間攻撃能力)を強化した複座型(A-10 N / AW(YA-10B)が試作されたが最終的にはキャンセルとなっており、この際に並行して少数機を既存の単座型から複座の練習機型に改修する案が計画されたが、予算要求が却下されたためにこちらも実行はされていない[5]。

機体

A-10は、下に折れ曲がったウィング・チップを持つ長スパンの直線翼により低高度低速度域で良好な運動性を発揮し、2.4 km程度の視界下で300 m以下の高度での長時間の待機飛行を行うことができる。小さく遅い移動目標への攻撃が困難とされる戦闘爆撃機の巡航速度よりも遅い、555 km/h程度で飛行する。補助翼は上下に分割し、制動補助翼としても機能する。フラップ、昇降舵、方向舵その他の動翼にはハニカム板を使用している。

近接航空支援作戦という任務の性格とA-10の比較的低い巡航最高速度から、前線近くの基地からの運用を想定した構造となっている。

丈夫な降着装置や低圧タイヤと大きな直線翼が発揮する短距離離着陸性能により、攻撃を受けた空軍基地のような悪条件下でも多量の武装を搭載した作戦行動を可能としている。また、戦場に近い設備の限られた基地での給油や再武装、修理を想定した設計により、エンジンや主脚、垂直安定板を含む多くの部品が左右共通という他には見られない特徴を持つ。

外板と縦通材[6]をNC工作機で一体整形して接合や密封の問題をなくし、製造工程でのコストを節約している。また、戦訓でこの外板製法が他の製法より高い抗堪性を持つと判明している。外板は構造部材ではないので破損時には現場で調達できる間に合わせの資材で張り替えることもできる。

主翼後方胴体上面という特異なエンジン配置は様々な利点をA-10にもたらしている。エンジンの排気を水平安定板と2枚の垂直尾翼の間を通すことにより、6:1というバイパス比により低めとなっているゼネラル・エレクトリックTF34-GE-100 ターボファンエンジンの赤外線放射をさらに低減して赤外線誘導ミサイルの擾乱を図っている。また、限定的ながらも主翼を対空兵器に対する盾としている。

地上においては吸気口を地表から離すことにより砂や石などの異物吸入による損傷(FOD)の可能性を低め、駐機中にエンジンを運転したままでも整備点検や再武装作業時の地上要員の安全を確保できるために再出撃時間を短縮できる。また、同じエンジンを翼下に懸架した場合よりも翼が地面に近づき、整備点検や武装作業の負担を軽減している。

大重量のエンジンを支持するパイロンは、4本のボルトにより機体に結合されている。また、高いエンジン配置によって生じる機首下げモーメントを相殺するため、エンジン・ナセルは機軸に対して9度上向きに機体へ結合されている。

 

耐久性

湾岸戦争時、携帯式地対空ミサイルSA-16により被弾した尾部

イラク戦争にて機体右後部に被弾したA-10
A-10は非常に頑丈に作られており、23 mm口径の徹甲弾や榴弾の直撃に耐える。

二重化された油圧系と予備の機械系による操縦系統により油圧系や翼の一部を失っても帰投・着陸を可能としている。油圧を喪失した場合、上下左右動は自動的に、ロール制御はパイロットによる手動切り替えスイッチの操作により、人力操舵へと切り替わる。この時は通常よりも大きな操舵力が必要となるものの、基地に帰還し着陸するのには充分な制御を維持できる。機体自体もエンジン一基、垂直尾翼1枚、昇降舵1枚、片方の外翼を失っても飛行可能な設計となっている。

主脚は引き込み時も収容部から一部露出しており、胴体着陸時の機体制御を容易にしつつ下部の損傷を軽減する。また、脚は支点から前方に引き上げられるため、油圧喪失時に脚を下ろすと風圧でロック位置に引き下ろすことができる。

コックピットと操縦系の主要部は予想される被弾方向や入射角の研究で最適化された12.7 - 38.1 mmの厚さと機体の空虚重量の6 %となる408 kgの重量を持つチタン装甲で保護される。『バスタブ(浴槽)』とも呼ばれるこの部分は23 mm砲のみならず57 mm砲でのテストを受けている。着弾の衝撃で装甲内側が剥離した際の破片から保護するために、パイロットに面した部分にケブラー積層材で内張りを施している。キャノピーは防弾のために拡散接合した延伸アクリルで作られており、小火器の攻撃から耐えることができ、内部剥離を起こしにくくなっている。前面風防は20 mm砲に耐える。

泡消火器付き自動防漏式燃料タンクは空間装甲としての効果を意図してインテグラルタンクとはせずに胴体と分離してある。また、内外面に貼り付けられたポリウレタン網は被弾時の破片飛散を止めて燃料の漏出を抑える。4個の燃料タンクは被弾やエンジンへの供給断の可能性を減らすために機体中央に集められ、タンクが破損した際には逆止弁で他のタンクからの燃料移送を止める。燃料システムの部品の多くは燃料タンクの内側に設置して外部への燃料漏れを抑え、すべての外部配管は自己防漏式になっている。

給油システムは使用後に取り外され、機体内で保護されていない燃料系統はなくなる。

また、パイロンで支持されたエンジンは、防火壁と消火装置により燃料システムその他胴体部の火災から保護されている。

燃料系・油圧系統、機関砲弾倉などにも施した装甲の総重量は1,010 kgに及び、機体重量の17 %を占める代わりに高い防御性を発揮する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/A-10_%28%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%29

 

 

 

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