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両陛下 パラオ訪問の詳しい日程固まる

2015年03月25日 05時09分00秒 | 保管記事

 

  記事の紹介です。

 

両陛下 パラオ訪問の詳しい日程固まる

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 天皇皇后両陛下が太平洋戦争の戦没者の慰霊などのため来月パラオを訪問されるのを前に、現地での詳しい日程が固まり、両陛下の宿泊先を海上保安庁の巡視船とすることも正式に決まりました。

 宮内庁によりますと、両陛下は来月8日に民間のチャーター機で羽田空港を発って、夕方パラオに到着し、空港での歓迎行事や大統領夫妻との会見に臨まれます。
続いて、日本の支援で建てられたさんご礁の研究施設を視察したあと、両陛下の訪問に合わせて招かれたミクロネシアとマーシャル諸島の大統領夫妻と共に歓迎の晩さん会に出席されます。この席で、天皇陛下がパラオの大統領と友好関係の発展を願うスピーチを交わされます。
そして翌9日、両陛下は、アメリカ軍との戦闘でおよそ1万人の日本軍がほぼ全滅したペリリュー島を訪問されます。日本政府が建てた慰霊碑を訪れ、生き残った元兵士や遺族らも見守るなか、日本から持参した白い菊の花を供えて犠牲者の霊を慰められます。両陛下はアメリカ軍の慰霊碑も訪れたあと、日系人も多い島の住民と交流する機会を持ち、この日の夜、帰国されます。
一方、今回の訪問では、両陛下の宿泊先を海上保安庁の巡視船「あきつしま」とする異例の対応を取ることも正式に決まりました。両陛下は、「あきつしま」に搭載されているヘリコプターで、パラオ本島とペリリュー島との間を行き来されることになります。
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 「巡視船」のアイデア浮上

 両陛下のパラオ訪問は、10年前の戦後60年の際にも、同じ太平洋諸島の激戦地ミクロネシアとマーシャル諸島への訪問と併せて検討されました。
ところが、これらの国々には、両陛下が外国訪問で使われる政府専用機が離着陸できる空港はなく、日本との間に定期的な航空便もありませんでした。交通手段を中心とする受け入れ体制が整っていなかったため、訪問は見送られました。
しかし、天皇陛下は戦後70年を前に、再びパラオでの戦没者の慰霊を望まれます。この10年で、日本とパラオの間には3か国の中で唯一、定期便が就航するようになり、民間のチャーター機での訪問も現実味を帯びていました。
一方で、パラオで慰霊を果たすには、国際空港のある本島から日本政府の慰霊碑があるペリリュー島に渡る交通手段も必要になります。両陛下の安全や1泊2日という短い日程を考えると、現地のボートや大型船での移動は難しく、日本側でヘリコプターを用意するしかありませんでした。
ここで、ヘリコプターを搭載できる海上保安庁の巡視船を現地に派遣するアイデアが浮上し、両陛下のパラオ訪問が実現に向けて動き出します。さらに、派遣した巡視船を両陛下のホテル代わりにすることで、パラオ国内での飛行基地と宿泊施設が一体化し、スムーズな日程を組むことが可能になったということです。
両陛下の訪問は、パラオが大勢の観光客でにぎわう時期に重なりますが、巡視船を使うアイデアは、現地に迷惑をかけたくないという両陛下の気持ちにも沿うものだということです。

 

巡視船の使用念頭に準備

 宮内庁は、海上保安庁と連携しながら、両陛下の宿泊先や移動用のヘリコプターの基地として巡視船を使うことを念頭に準備を進めてきました。
去年12月には、宮内庁の幹部や職員らが2度にわたって、横浜の基地や東京湾に停泊していた巡視船「あきつしま」を訪れ、両陛下が宿泊される船長室や副船長室などを見て回りました。一部の側近らが実際に寝泊まりして宿泊に支障がないかどうか確かめたこともありました。
また、先月、宮内庁や外務省の職員らが先遣隊としてパラオを訪れた際には、「あきつしま」も現地に派遣され、停泊場所の調査や搭載されたヘリコプターの飛行訓練なども行われました。
「あきつしま」は、おととし11月に就航した海上保安庁の最新鋭の巡視船です。横浜海上保安部に所属し、全長およそ150メートル、およそ6500トンと巡視船としては世界最大級で、後方の格納庫にヘリコプターを2機搭載できます。
巡視船の船内には急な階段など移動に不便な場所もあるということですが、宮内庁は、できるだけ両陛下の負担が少なくなるようにしていきたいとしています。

 

生き残った元兵士の思いは

 激戦地のペリリュー島で生き残った元日本兵の中には、今回の両陛下の訪問で多くの人に島での戦いについて知ってもらえると期待する人もいます。
福岡県筑後市に住む元海軍兵士の土田喜代一さん(95)は、ペリリュー島で最後まで戦って生還した34人の1人です。悲惨な戦闘を伝えることが生き残った自分の役割だと考え、講演会などでペリリュー島の戦いについて語り続けています。
今回の両陛下の訪問は、島での戦いについて多くの人に知ってもらうきっかけになると考えています。土田さんは「生きているかぎり、ペリリュー島の戦闘を子々孫々に至るまで語る気持ちでいたので、両陛下の訪問は非常にうれしくて、どうお礼を言っていいか分かりません」と話していました。
土田さんは3日前、両陛下に皇居に招かれ、戦争当時のことなどを話しました。天皇陛下からは「本当に長いこと大変ご苦労さまでした」とことばをかけられたということです。
これまで、戦没者の慰霊などのため13回ペリリュー島を訪れてきた土田さんは、95歳になり、もう行くことはないと考えていました。しかし、両陛下が戦友たちを慰霊する場面にどうしても立ち会いたいと、来月、再び島に向かうことにしました。
土田さんは「足も悪くなったけれども陛下が訪問されるなら行かなければならないと思った。骨になった戦友たちも喜ぶと思うので、それを想像しただけでもうれしいのです」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150325/k10010026901000.html

 

  記事の紹介終わりです。

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