二十二世紀への備忘録

管理人の「坂東蝦夷(ばんどうえみし)」です。二十二世紀に残しておきたいことを記していきます。 

初出張

2017年01月08日 22時35分29秒 | 雑感(その他)
今年は四日から、客先からのメールが届くようになりました。
なので、この日から仕事始めといってよいと思います。

ただし、メールの量は少なめなので、事実上は開店休業。

でも明日から、また出張の生活が続くことになります。


仕事については、数値目標はありますが、とくに今年の目標は、掲げておりません。
もう、どのようなポリシーで、仕事を行っていくかは、とっくに決めてあるので。
今更、決める必要がないと考えております。


ってなワケで、明日から本格的に動くことになります。

なんか、雨が降ってますね。
この時期にしては珍しい。


画像:霜の朝 宮城県 1月上旬

もっと寒くなると冬らしいのに。


予定と年数

2017年01月07日 23時18分37秒 | 雑感(植物)
年末から、正月の三日にかけて、とてもバタバタと動いておりました。
クリスマス明けからの、大掃除、消防活動。
正月の帰省と、挨拶周りと初詣。

四日以降にようやく自分の時間が取れるようになりました。

なので、久しぶりに今後の活動に向けての準備に、ある作業を再開しました。
それは、主に資料を見ながら、PCに覚書を入力する作業をすることです。

初めにこの作業に手を付けたのが、六年前の2011年の今頃。
この六年間の間に、PC内に様々なファイルを作りました。

しかし、この年月の間にPCの故障やPCの買い替えなどで散逸してしまったものもあり、それを再び見つけるのに時間がかかりました。


六年か…。
今まで何をやっていたのだろう…。

実はこの作業、大きく動くのが、繁忙期の晩秋に訪れます。
なので、二年前を境に、一旦中断しました。
長期戦略に切り替えたのです。

六年前から二年前にかけて、短期決戦を目指し相当ムリをしました。
家族から飽きられるくらいに。
ただ、ムリをしても結論がなかなか出ないので、それならばペースを落とそうと考えたのが、二年前。
その後は、資料には時々目を通すものの、PCへの入力は休んでおりました。

んで今回、入力を再開したら、上記の話。

2017年という年を改めて実感して、六年はさすがに長いなと感じているところです。

人生八十年としての六年は、長いと感じます。
オラの人生設計のなかで、これからの十年の間に、ある結果を出さないと、豊かな老年を迎えられないと考えてます。
そのための努力が必要です。

サラリーマンであったなら、あまり考えなかったことかもしれませんが、職種や企業によっては、ある日突然訪れるかもしれないことを、個人事業主として、毎日にように考えているのが、オラの立場です。

…。

新年なので、時間があるうちに、自分を律するために改めて書いた次第です。
硬い話ですがお許しください。

それにしても、つまらないブログになったなあ…。


画像:はこべら 宮城県 一月上旬
本日一月七日は、七草がゆを食べる日でした。
それに合わせて、庭の日当たりの良い所で開花している、はこべら(ハコベ)を載せます。

んでは、また。

年賀状

2017年01月06日 14時19分01秒 | 雑感(風景)
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いします

新年も6日になりました。年末まで残り359日となりました。
長いような短いような…。

今年のお正月、年賀状を元旦に届けることができませんでした。
おそらくは二日には、手元に届いたのではないかと思います。(個人宅には。法人には今日あたり)

そんな年賀状、様々な意味があります個人的には、常にお世話になっている方への年頭のご挨拶。
ご無沙汰している人へは、無事に過ごしているかの確認。
基本的にはリスペクトの気持ちを忘れずに、年賀状を出しております。

そして、出した枚数+で年賀状も届きます。
ここ数年は、人生で最も多い枚数の年賀状のやり取りをしていると、思います。

中には、ほとんど年賀状のみのやり取りの人もおりますが、元気であることが確認できるのは、とても嬉しいことです。

そんな中、とても気になっていた人からの年賀状。
そのメッセージから、その後も元気にしていることを確認できて、とっても安心しました。

以前と変わらぬお付き合いができればと、思います。


さて、また投稿します。

では。


画像:酉年2017年



被災地に倉庫を

2016年04月27日 21時15分29秒 | 雑感
アクセスの記録を見ていると、熊本を中心とする群発地震が発生した14日以降に、数値が増えているのが、見られました。
こんな過疎blogであっても、災害について、それなりの期待があるものかと思うと、もっと頑張らなければならないと、思いました。
そこで書いてみたいと思います。

表題。「被災地に倉庫が欲しいです」

これは、震災後に瓦礫を片付ける仕事をしていた時に痛感しました。
「仮設住宅に置けないから、処分してほしい」と、自宅を失った方々からの要望に応えて処分をしたものの、本当に良いものか、片付けながら葛藤がありました。その中には、数々の思い出の品や、商売道具と思われる物、まだ使えそうな玩具、等々…。
中には、遺影写真までありました。ご家族によると、仮設では大きな仏壇が置けないので、代わりの小さな写真があるから良いとのことでした。

瓦礫の仮置き場には、様々なものが搬入されました。もう使えない物も確かにありましたが、使えそうな物もかなりありました。
皮肉だなと、特に感じたのは、高台で、津波には遭わなかったものの、屋根瓦が落ち、ブルーシートを屋根に張って、注文した瓦の完成や、大工さんを待つ一方で、津波に遭ったものの、屋根部分が残った家の屋根瓦は、仮置き場に搬入されていたことです。
破損を免れた、サッシや窓ガラスも搬入されました。

大量廃棄大量購入といった原理が、あの当時あったように感じます。あの搬入された物を上手に回すことができなかったものかと悔いが残ります。

その対策として、大事な物を保管する倉庫があればと、思います。

今回の地震の被災地では、これから仮設住宅の話が出てくると思います。
被害の状況からみて、数か月後になりそうです。余震が収まることとか、住宅を設置するための整地とか。
その数カ月の間に、大事な物が、保管場所が無いという理由で、処分されてしまうのは、被災者にとってあまりにも負担が大きいと思います。
防犯上の問題もありますし、この負担は、さらに日数を経て、住宅を再建する際にも、効いてくると思います。
金銭的な問題もありますし、精神的な問題もあります。

再建した住宅に住み始めました。落ち着き始めてふと思い出す大事な物。それは、あの時に処分してしまった。もう取り戻せない。
大震災の被災地では、今、こういう精神的なダメージが顕れてきています。
おそらく、あまり注目されていない問題です。
この対策のため、是非ご一考を。

この一文が、広まれば良いと思います。

避難者の把握と、テントの確保

2016年04月19日 09時03分14秒 | 雑感
直下型地震の揺れで、家屋の倒壊の危険があり、避難所の建物の中に避難できないとのこと。
これは、東日本大震災では、あまり経験したことのないものでした。
確か、2011年4月11日の福島県の南部で発生した誘発地震は、直下型地震だったと記憶してます。

避難すべき建物が使えない、あるいは使うのが怖いというのは、深刻です。
大震災の時に、仮設住宅が作られるまでに、かなりの数のテントを使用されていたと記憶してます。
個人の物ではなく、どこかの機関からの配給品だと記憶してます。
これを活用できれば、プライバシー、エコノミークラス症候群、倒壊の恐怖ストレスを軽減できると思いますが、いかがでしょう。

あと、報道で気になるのは、行政が避難者と避難場所をどれだけ把握しているのかが分かりません。
食料、飲料水が届かないとのことですが、指定避難所、自主的な避難所、早急に把握して欲しいと思います。

気になるのは、報道と実際の被災地とのギャップです。
大震災のときもありました。報道されている以上に深刻だったり、軽かったり。

ある報道では、SNSが役に立っていると、報道されていますが、確かに人が助かったりしております。
しかし、それも一部ではデマの温床になっている面もあります。
さらに、拡散希望で拡散された情報が、流動的な内容であるために、既に変更になった情報が、いつまでも流れていて、混乱を招く場合もあります。
この場合の拡散をするにも、流動的な内容かを考えて、広める必要があると思います。


こうして書いていても、あまり画期的なアイデアが書けません。
震災の時にこうだったというのが、伝わってくる情報と照らし合わせると、相違点がけっこうあるので。

また考えがまとまったら、書いてみます。