二十二世紀への備忘録

管理人の「坂東蝦夷(ばんどうえみし)」です。二十二世紀に残しておきたいことを記していきます。 

2013-12-31 18:03:52

2013年12月31日 18時03分52秒 | 雑感
今年も大晦日、無事に年越しを迎えられそうです。

ありがたいです。

今年は特に投稿記事が少ないのにかかわらず、沢山の方々に来ていただきました。

本当にありがとうございます。

来年はもう少し頻度を上げるようにします。

今日は携帯からの投稿になりましたが、どうにか有言実行できたと思います。

良い年になることを祈ってます。

それではでは。

加筆修正

2013年12月30日 19時57分14秒 | 雑感
前回の投稿は、本当に骨が折れました。

でっかいテーマを、ブログで許容できる文字数で納めるという行為はつらいですね~。

言葉足らずであると誤解を生みやすいし、既に誤解を生んでいるかもね。

なので、ちょくちょく編集して、加筆修正しました。

大掃除で忙しいのになにやってんだろう??


ブログは、短い言葉で物事の真意を伝える訓練にはなっているようです。
でもツィッターでは短すぎるし、そこまで自分を発信する気持ちはありません。


今日は、この辺で投稿を終わらせますが、前回の記事がまた変わっていたりして??

画像も休みます。

明日も投稿できるよう時間を作ろうと思います。

生き物を取り巻く環境(国内向け)

2013年12月29日 11時00分40秒 | 雑感(風景)
気が付けば冬至は過ぎるし、クリスマスもピークを越えてしまった。
っていうか、日本ではもはやクリスマスは終わったこと‥。これは何度か取り上げたねえ。

さてこのところヘビーな話題に着目して書いていて、正直言って荷が重くなっていました。
なかなか暇も無かったし、「何も考えたくない!!」て日もありました。

でも、取り上げた以上は一つの区切りを作らなければいけないべね。

ってなわけで色々と書いてみたけれど、文章だけが長くなって、訳が分からなくなってしまったので、一旦削除しました。
ここは箇条書きで書いた方が伝わりやすいと思ったのでざっと書いてみました。

ここに書くのは日本における生き物を取り巻く環境ですが、国外でも通じるものがあるかもしれません。
では書いてみましょう。


1.行政は生き物に対して非情である
 自然保護団体の台頭により、開発事業の中止あるいは延期に追い込まれた数々の苦い経験から、貴重な生き物の情報に神経質になっている。また情報を隠蔽している。

2.日本の分類に携わっている学者とか研究者、及びその学会は概ね「内向き」である
 マスメディアなどに話題性になりそうな新種以外は、専門誌でしか取り上げられない。あとは後述。

3.分類学そのものにもはや価値はない
 例えば、新種、亜種、変種が発表されても、人間の生活にほとんど影響がない。それまで未知であったマイナーな種は今更分類されても、何の影響も及ぼさない。学問というより趣味レベル?

4.かつて、生き物を分類することはとても大事なことであった
 自然の一部、または自然と密接に関わっている時代や地域では、「食べられるか?食べられないか?」「利用できるか?できないか?」などの分類が、生きていくことにとても大事な知識であった。

5.分類学が役に立つこともあった
 未知の地域の開発、薬品の開発、有害な生き物の駆除などを行うのに、まずはその対象の種類であるか否かが重要視される。また、珍奇、絢爛な生き物は、コレクションとして珍重されたことから、その対象の種を知ることは大事だったりする。でも趣味レベルで、生活に直接役に立たっていないけれど。

6.実は図鑑に載っていない種類が沢山ある
 分類された種を世間の目に触れさせるために「図鑑」があるが、図鑑にも載っていない種類(分類群)は沢山ある。これらは、世間にとってほとんど知られていない学会誌や専門誌に記載されていて、これらの情報を知る機会がほとんど無い。仮に公表されても大した話題にはならない。

7.生き物情報を管理する国立的な機関がない
 生き物を種として記載する方法は、ある決められたルール「命名規約」に沿って記載されて、初めて種として公表されるが、これらを行っている機関は、各分類群の学会が管理、公表しているに過ぎず、それを総括、網羅する機関(国立であれば良いのだけれど)が無い。したがってしっかり生き物の名前を調べようとした場合、6.7.の理由から、一般の人が調べられるのに、とても高いハードルがある。また専門の学者先生に頼むのにもネットワークが必要である。

8.もはや生き物を支配している
 日本の原生的な自然は、行政のお慈悲で残されているだけで、その慈悲次第ではどのようにでもできる。また、絶滅しそうな種についても同様である。でも絶滅されると非難が大きいから、とりあえずの管理を行政が行っている。

9.「御用学者」「御用調査員」が存在する
 その行政のお慈悲と事業とをうまく調整するために、行政の意向に反映するような調整を行う学識研究者や、調査員が存在する。

10.全て経済的価値が優先する
 「人間の生活が不便であると、生き物が繁栄する」とオラは考えている。でも人の生活が不便では、時代に合わず、競争に負け、貧しい国になるという考えに繋がる。だから、その反対をやれば、人や国が繁栄する。でもそれは当然に他の生き物にとって脅威であるから、行政はお慈悲で保護を行う(→8.を参照してください)。なお、原生的な自然は、自然公園や世界遺産などの経済的価値に繋がることもあるが、それ以外の自然は便利の名の下、常に改変される可能性がある。

11.PR不足
 前回の記事で書いたけれど、生き物を調べることに携わる人達は、概ねPR不足だと考える。色んなからくりや意向が抵抗になっているのかもしれないけれど、ここにも生き物がいますよとしたところで、(1)この形態はこうだから名前はこれで、(2)こういう生態をして、(3)こういうところにいます、(4)これまでこういうところで見つかっている といった情報が、あまりにも少なく、「その道に」入らないと、なかなか伝わってこない。というのが問題なんだと思う。分類に関わる人物は、その対象の生き物の形質の相違を求めるばかりではなく、世間にどのように伝えるかとか、伝わっているかをもう少し考える必要があると思う。

12.少しずつPRしているものもある
 11.の反面、毎年何冊もの図鑑が発売されている。高額の図鑑をまとめた廉価版が出たり、今まで注目されない生き物の図鑑(網羅されているのではなく細かいジャンルで)も発売されている。これらも商業ベースに乗らないものも沢山あると思いますが、やはり世間の目に触れさせる機会を増やす、草の根運動は必要であると考える。

13.分類学は「正しいこと」を求める学問ではなく、「深める」学問である
 実は、生き物はこうしている間でも進化している。例えば薬品の耐性がついた虫や細菌のように。また、小さな生き物や人が入り込みにくい場所の生き物は、新発見が当然に遅れる。また、過去にある種として記載された種が、後に調べたら同じ種であったといったこともある。
 生き物を正しく分ける(分類する)ということは出来ないんじゃないかとオラは思っている。


まだなんか書き忘れているような気がするけれど、年末の忙しい時期なので、ちょっと思い出せません。
これを書いていると、生き物を調べるとか保護につなげるとかという行為は、「なんか面倒で大変、しかも人間の生活に直接関係が無いのなら、いなくなってしまうのもしょうがないのでは??」という考え方が出てくるのも致し方ないと思います。

でも、オラは考えてることがあります。生き物を調べたりすることには、価値があると。
これを14番目に書きます。

14.現在における分類学の意義は「道徳心を学ぶためにある」

は?
と思う人も多いかと思いますが、この考えに至るまで数年かかりました。
異論、反論もあるとは思いますが、一介のオッサンの考えていることなので、勘弁してください。



画像:松島の夜景 11月中旬
 先日行われた松島のライトアップの時に撮影したものです。この海岸線は経済的価値が高く、自然に対する調和を行政がとてもよく考えています。