雑記zaki

日々の雑記

イズムで世界は救えるか&たすくまの根本

2021-11-19 00:31:00 | 日記
最近はフェミニズムが何かと話題ですが、それに限らず◯◯イズムで世界は救えるのかということを最近考えています。
つまりこれが正しいというなんらかの「イズム」を見つけることによってそのイズムを広く浸透させていく。その方法は、SNS全盛のこの時代特によく使われていると思う。

が、僕は最近ではあまりそう思わなくなったしその他の話には乗らなくなった。
特にここ数日、タスクシュートなんだ結局はと思ってからは特にそうで、何か行動を始める時終わる時それをただ記録しているだけなのだが、現実に対する自分のアプローチが変わっていることがわかる。できないことはできないし、やりたくないことはやれないのだ。やりたくないけどやらなきゃいけないことをどう工夫して進めるか。現実としてはっきりと掴めるようになってきた。
そうやって考えてみるとなんらかの「イズム」に従うよりかはむしろ個々の具体的なものを進めていくことこそが結局は、「イズム」までいかずとももなんらかの体系を持ち始める。それをやっていくだけでいいんじゃないか?と思っている。

だから僕らはなんらかの正しい「イズム」にこだわるよりもむしろ、個別具体的な人の役に立つことが重要なのだと思う。そうやってなんとなく全体が体系だっていくんだ。

バランスホイールをNotionで取り入れてみる

2021-11-16 00:48:00 | 日記
ゴールリストを目下作成中です。
その中でもマインドの教科書という本で読んだバランスホイールという考え方を採用しています。
この本に書かれている通りにタグを作り、ゴールリストを作成しております。

二兎追うもの一兎も得ずという言葉もありますが、この本の中ではゴールは複数持つのが良いとされています。
また、職業とファイナンスを分けるというのもとても重要です。
どうしても職業=金稼ぎになってしまう昨今ですが、別に稼げるかどうかではなく、社会的にどう役割を果たすのかという視点で決めるべきだという発想はとても僕の中では重要な考えになっています。
というのも、金は持ってるけど世の中になんらいい機能を果たしていない人は今の時代大勢います。
職業は職業として社会に貢献をし、お金稼ぎはお金稼ぎでやればいいのだということです。
多くの人はここの辻褄を合わせようと苦労するのではないでしょうか。この本はそこを見事にクリアしています。
この切り分けによってかなり視野が広がりました。

バランスホイールには教育とかセカンドキャリア、家族や芸術、精神性などいろんなジャンルがあります(だからバランスなのです)
お金稼ぎのゴールだけではなく、それ以外のこともバランスよく考えていきます。
一見するとこれはあれもこれも求めてどっちつかずになるような気がしてしまいますが、違います。
重要なことは、自分が普段考えないようなことまで考えてみることで発想の転換をはかることです。
例えば僕なんかは芸術のゴールなんて考えたこともないし、芸術のゴールってなんだ?って思います。別に自分で何か描いたりもしないし、自己のアーティスティックな側面など想像もしたことない。
僕だけでなくほとんどの人がそうだと思います。それをあえて考えてみることによって普段とは違う思考回路が生まれるわけです。
普段考えないようなことを考えることによって新しい発想新しいゴールを生み出す手がかりになります。
それはちょうど、暗闇の中でいろんな場所にたいまつが灯ることによって全体として明るくなるようなイメージです。
それら一つ一つのたいまつはかけ離れた場所にあってもその光の数が多ければ多いほどこっちまで光が届く。そうすれば暗闇を手探りに歩き回るよりもよっぽど良い。

自己啓発系の本を死ぬほど読んでそして捨ててきた、僕としては最も理に適っていて信頼できる本はこのマインドの教科書だと思います。
理屈で納得したい人向けですね。この本はスピリチュアルは含みません。

メガネの修理に3週間ほどかかりますと言われてから既に3週間以上経っているのに連絡がない

2021-11-14 00:09:00 | 日記
裸眼で過ごしていますが早く戻ってきて欲しいものです。

ところで、たすくまとiCalは同期できて、色分けされて便利なんですけど色の数が少ないんですよね〜。

プロジェクトの管理もちゃんとしておきたいなぁ。もっと包括的なバランス考えて。
今仕事とか運動とか結構単純なプロジェクト分けにしてるんですが、もうちょいなんかちゃんとやりたいなと思います。

タスクシュートを長続きさせるには記録を役立てようと思わず記録すること

2021-11-12 00:18:00 | 日記
連続でタスクシュートについて書いております。
佐々木正悟さんのnoteを見てて記録を妨げるものってたくさんあるんだなぁと思わされる。

心理的側面で言うと、記録を取りそれを役立てようというメンタリティがそもそも良くないのだな。
タスクシュートの元々の目的は、タスクの開始時間と終わりの時間を記録すること、それに尽きる。その記録をどうしようとか考える必要もない。

挫折する時、記録が漏れる時というのは気が付いたら別のことをしていたという場合が多い。
例えば夕飯を食べて気がついたらソファーに座ってテレビを見ていたなんてことは往々にして起こるわけです。夕飯の記録が止まっておらず今も記録し続けている。
夕飯の記録を止めてテレビを見るというタスクを開始すべきところを、そうできない。

これの対処法を考えていたのですが、むしろ夕飯の次はテレビみたいなことよりもタスクとタスクの切れ目の方が重要な気がしているんですよ。
僕らって絶えず何かをしてるはずなんですよね。何もしてない時というのが無いはずなんですよ。
絶対に人間は今何かをしてるはずなんです。
ただ座っていたって座るということをしていてまた何かしら考えたりしているわけです。
今日一日何もしなかったって言う人だって寝転がってスマホいじったりトイレに行ったり着替えたりは絶対にしてるはずなんです。
今まさにスマホをいじってるのをやめてトイレに行くというその瞬間はあるはず。
その切れ目を意識する、今まさに夕食からテレビを見るという行動に移る瞬間があるはず。

僕は以前タスクシュートは長期計画が苦手でボトムアップ型のタスク管理であり、トップダウンのものが必要。例えばニートがただ一日中スマホいじってたって記録をいくらとったところで何も変わらないと書いた記憶がある。
しかし、これは今では違うと感じている。
そういう人でも、タスクシュートで記録を取れば変革が訪れる可能性はある。
スマホをいじるというタスクをもっと細かくとってみるということである。
いくらスマホもいじっていたのは確かでも、ずっと同じサイトや動画を見てるわけではないはずです。
必ずYouTubeみたりSNS見たりアプリゲームをしたりAmazonで何か見たりしているわけです。
ただスマホをいじってた10時間という記録があるよりもYouTube2時間みたいな細かい記録を取ることで自分の1日を掴むことができる。
たしかに自分が見ると決めて見ているという意識が自分の人生の少ない一部分をコントローラブルなものにする。
YouTubeを見ると宣言して見て、ゲームをすると宣言してゲームをする。これは自分の行動が必然で、そのようになるしかなかった、ということを示している。
なんだか本当にはやることがあったのに、違うことをしていたという意識が、自分の選択に対する自信を失わせる。
サボるにしてもサボることを選んだという意識が大事なんだ。
スクリーンタイムではこれはダメだろうなと思います。受動的すぎるからです。

結局は、絶対に人間は何かしてるんだからそれを記録しさえすればいい。ニートだろうと社会人だろうと学生であろうと、記録する内容が違うだけでやることは同じです。

なぜ記録をするのが嫌なのか、タスクシュートに挫折するタイミングとは

2021-11-10 23:36:00 | 日記
タスクシュートはやったことの記録であってtodoリストとも違う、計画的なものでもない。
今日これやるぞとタスクを登録して始めるというよりかは今なにをしているのか?何をするのか?に主眼があります。

ところで、タスクシュートに挫折するとはどういうことなのか考えていました。
おそらくですが理想が高いということが一つ挙げられると思います。
自分の生活はこうであるべきだという理想が高すぎるのではないか?ということです。
そうなると、記録はしたくないものがほとんどになってしまいます。
例えばスマホをいじるにしても、テレビを見るにしても、理想的で完璧な生活の中にはこんなもの含まれてはならないわけですよ、だから心理的にこの時間を計りたくない。だからやりたくなくなる。
僕自身もそうでした。こんな生活記録するのは恥ずかしい。みたいな。
そこをやめて、現実を直視するようになるとこれ意外と快適なんですよね。
サボるにしても記録しているという安心感があります。今サボっている、そのサボることを自分で選んでいるという感覚が唯一無二の安心感を与えてくれます。

もう一つ挫折する時、記録が漏れる時というのはマルチタスクをしている時です。
僕はマルチタスクにそこまで否定的じゃありません。タスクシュート界隈ではマルチタスクはダメだという流派がほとんどだと思いますがww
人間がマルチタスクに向かないできないというのならいずれにしろなにをしている時もシングルタスクのはずです。例えばラジオ聴きながら勉強なんてできないという人はいるかもしれないですが、もし人間がマルチタスクに向かないのであれば、結局ラジオを聴いているか勉強しているかのどっちかになります。ラジオを聴きながら勉強が進んだのであれば、それは勉強に集中していてラジオは聞いていなかった(聞いていたけど意識には上がらなかった)ということです。もちろん時々ラジオに集中したのかもしれませんが。
なのでメインで考えればいいんだと思うんです。
そのタスクが失敗かどうかは主にマルチタスクによってメインのタスクがブレるかどうかによります。
さっきの例で言うのならラジオ聴きながら勉強してたら気がついたらラジオを聞いてるだけになって1ページも進まなかった、こう言う場合明らかにタスクが失敗しています。このままいくといつからいつまで勉強していたのかさえ曖昧になってしまいます。

シングルタスクであることの方が明らかに望ましいのは確かです。ですが、多くの場合シングルタスクばかりではないと思うのです。
作業はマルチで進めることだってできます。あくまでなにがメインかといのを意識する必要があると言うことです。

僕がこのことに気がついたのは、お風呂の時間でした。お風呂に入ってる時間を記録しているわけですが、実際にはお風呂でスマートフォンをいじってるわけです。お風呂の時間というよりはスマートフォンをいじってるのがお風呂の中というだけで、お風呂に入るというタスクを実行しているとはとても言えません。
このようなマルチタスクはダメな例で、メインのタスクが食われちゃってるわけです。

挫折しないためには、刻々と記録すること、マルチタスクになるときはメインのタスクがなんなのか意識すること(できる限りシングルタスクにする)が必要だと思いました。