雑記zaki

日々の雑記

タスクシュート(たすくま)極

2022-01-07 19:39:00 | 日記
結局はタスクシュート(たすくま)ということで、いかにこのアプリを極めるかということに焦点を当てて今年はやっていこうと思う。

そして今年の僕のテーマとしては絶対他力というのを一つ掲げておく。たすくまもまさにその一部である。アプリに任せるということだ。
なぜこのようになったのかというと、こうしようああしよう、こうするべきだこうなることが望ましいと言ったような目論見は尽く人生をよくしないと感じたからである。従って僕はあらゆる企図を捨てあらゆるものごとに全面降伏することを誓った。これから先、なんらかの目標のためにあーだこーだ手を替え品を替え苦闘することはやめたということである。
ただしそれは努力を捨てるということではない。
然るべき時に然るべきことをする、それ以上でも以下でもない。
ただし、私を優先させないということである。この私はあれこれと考え色んな手を尽くしてあらゆることを成し遂げようとする。それがうまくいかないと落胆し、うまくいくと喜んで調子に乗る。
しようとしているという状態では、しようと思ったけどできなかった、あるいはしようと思って実際にして徒労感を味わうかの2択になる。
然るべきことを然るべき時にするというのはその時それをする以外に他のことはできないのであって、達成も失敗もない。

キリスト意識を鏡として、という本を読み終えた。買う前にこの本の翻訳者のことを特別調べたわけでもなかったが、後書きの後に経歴が載っていた。この方東大理学部生物学科人類学専攻卒業、同大学院人文系研究科比較文学文化専攻となっている。こういう本の訳者としてはかなり珍しいかも、理系出身の方だし。
この本にメソッドはない。あーしろこーしろと書かれている訳ではない。だが、非常に得るものがあった。特に今の僕には役に立った。
この本はキリスト教はこうである、という紋切り型の本ではないので、一般的な日本人にも普通に読める。ただし、その人がどの程度の精神状態かによってどう読めるかは変わる。従って僕がいい本だと思えても、他人が同じようにいい本だと思えるかどうかは自信がない。

結局去年も、ああしようこうしようと色々と企図し、結果的にできたことは少なかった。それは、僕が表面的な考えに基づいて誤った判断をし続けたからだということだ。
そのこうすればうまくいくに違いない、という思い込みや考えから離れるべきだったのだ。
これはとても怖いことだが。

もう一つ役に立ったのはググって出てきた宮台真司のキリスト教論、断片しか読んでないけどなるほどと思えた。自身がクリスチャンとなった経緯も併せて書いてあったが、僕が疑問とするところを端的についていてよかった。僕自身キリスト教徒になるかどうかはまったくわからない話だが。

キリスト教についての本はこれからもしばしば読んでいこうと思う。
読んでいる途中はもっと早く読むべきだったと思ったが、今は思わない。きっとこのタイミングがベストだったのだろう。


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