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これが戦争!!=見殺しにされた兵士たち  

2014年10月17日 | 政治・社会
 数年前のNHKスぺシャルをみました。隠された玉砕の真相!というもので、大本営発表いかに嘘だったかを。記録や証言をもとに明らかにしたものでした。そうだったのか!と思う事実が分かりました。 
 戦後育ちの私は歴史の一コマとして、「アッツ島守備隊玉砕」と知っているだけで、無謀な突撃をしたものだ、命じた隊長の非道さをなじるぐらいでした。

 太平洋戦争中の1943年(昭和18)5月、アリューシャン列島西端の島、アッツ島の日本軍は山崎隊長以下2638名はアメリカ軍の攻撃により全滅しました。
 同30日、ラジオで大本営は「山崎隊長は弾薬、増援などを求めることなく、自ら玉砕を決定して敢行。笑って悠久の大義についた。真に荘厳で皇軍の神髄発揮の聖地となった。」旨の大本営発表をしました。
 それをうけ、一斉に新聞などのマスコミも玉砕を伝え、その行動をたたえたのでした。玉砕の先駆けとして、以後すべての報道や国民の声として「玉砕」が当然視されるように浸透させられていったのです。
 ところが、この大本営発表がウソであることが参議院に残る資料や証言記録などであきらかになりました。
 ウソと、分かった事実とは・・・・。
①実は、山崎隊長は弾薬も食料もない中、何度も増員、弾薬などを求めていた!しかし大本営は支援の方針を転換し、見捨てることに決定していた。

②自ら玉砕を決定したというが、それはウソで実は玉砕命令が届いていた。それは、「・・・、最後には 玉砕し、皇軍の軍人精神発揮を望む。」というものであった。

③「生きて虜囚の辱めを受けるな」との戦陣訓があり、怪我して歩けない兵は自決させら  れ、重傷の兵は射殺されたという生き残った兵士の証言と参謀の証言。

④全員玉砕ではなく、27人捕虜となっている。その中の元兵も、肩に傷を負ったら、自決するか、突撃するかと迫られ、突撃して捕虜になったと話している。

⑤大本営の大将は、海軍は永野、陸軍は杉山であり、その一員の富岡氏は死の直前に当時について「負傷兵は敗残兵である、支援していたら海軍の兵力がへる、捨てろという。死ぬのは当然で、戦争を優先させルのは当然だ。」旨の発言記録をのこしていた。

⑥大本営内では、当初できるだけ犠牲者数を小さく見せる方針だったが、次第に隠し切れなくなり、方針を転換し「玉砕」を前面に出すことにする。大本営の八萩少将は「兵の死を戦意高揚につなげ、疑惑を抱かせないようにする。」ことをあからさまにしている。(昭和18年2月にはガダルカナル島でも、3万人のうち、2万人が犠牲になっている。)

⑦その方針転換により、山崎部隊の玉砕兵は「軍神」として祭る慰霊祭を国を挙げて行い、沿道には遺骨を持った遺族の行列と、それを称える大勢の人々が動員され、メデイアも大きく伝えた。玉砕だから当然すべての遺骨が入っているわけではないから、遺骨の箱には砂が入っているのもあったという。

⑧このアッツ島の玉砕発表と、慰霊祭のあと、レコード会社は「アッツ島戦勇士顕彰の国民歌」を(山田耕筰作曲、指揮。伊藤久男歌)はやらせ、すべてのメディアは、大本営の意向に沿い兵士だけではなく一般国民をも一億総玉砕を唱えるように導いていった。

⑨奇跡的に生き残った兵は、箝口令をしかれ、憲兵にみはられた。他の部隊の兵と接触を禁じられ、実情を話すのを禁じられたのである。
生き残った人の中には死んだことになって写真が本に掲載されている例もある。

⑩このアッツ島の玉砕以前にも、ニューギニア島では2000人が手りゅう弾で突撃などして全滅しているが、これなども部隊切り捨てで、とにかく死んで当たり前という戦陣訓が最優先の大本営であり、無謀なことをさせる無能な参謀たちの集団が戦争の指揮をとっていたのだ。

        (2013・8・12NHKスペシャルを見てまとめてみました。)

****
 戦争の現実はこのようなもので、最高責任者たる天皇も含め、戦争をさせる大本営などの幹部は兵士のことなどは眼中にない人の集団でした。一人一人の命はまったく無視され、負傷者には自決や突撃をさせるなどの残酷なことを外国兵がする以前に日本の軍隊の中で当然視されていたのです。今までも、沖縄戦での日本兵が県民に対してしたことや、いろいろな小説などを通して知っているつもりでした。
 しかし、証言や資料が明らかになってみると改めて戦争が人間を変えてしまうことや、極限まで残酷になってしまうことが分かります。(人間的に優しい天皇であった、優しい父親であったという大将の話などはいくらも出ていますが、戦争を遂行する組織の中では違った人間になるのだということ)
 集団自衛権行使で戦争をやろうという人や、その際には一番の犠牲者になるであろう若い人に知ってほしいことです。****


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4 コメント

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Unknown (木漏れ日)
2014-10-18 08:33:08
アッツ島の玉砕は、当時戦況不利の最大で最初の玉砕。思い出すのは軍歌のフレーズ「~山崎大佐指揮をとる~」この部分だけは今も忘れない
当時の、悲しかったこととして蘇りました。 何と理由づけようが戦争は、殺し合いです。
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貴重な体験者の声 (マーちゃん)
2014-10-18 20:21:05
さっそくありがとうございます。こんなフレーズを70年以上たってもおぼえていらっしゃるとはやはり強烈な印象だったと同時に、国中にあふれてんでしょうね。そのころの雰囲気は本を読んでもなかなか伝わってこないので、補ってもらえるとうれしいのですが・・・。ご自身のブログでもこの投稿欄でも結構ですから。
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アッツ島に思う (木漏れ日)
2014-10-21 16:02:52
昭和18年の重大な出来事といえば、
山本五十六連合艦隊司令長官の戦死。
大黒柱を失った日本人のショックは
大きかった。時を待たずして悲劇が
つづいた。
「アッツ島玉砕」のニュース
実際は、応援の要望をしたが見放され
山崎大佐率いる2千数百の兵士は二週間の戦いの末、玉砕した悲劇。
当時の軍歌「血戦勇士顕彰国民歌」と
いう題名。 血戦とは驚きました。決戦と思っていたので。。。当時はよく
耳にしましたので、一部分ですが記憶に残っています。地獄までもっていくことにします。




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歌の名前 (マーちゃん)
2014-10-23 22:11:01
本当に決戦ではなく、血戦ですね。驚く名前ですね。今、ユーチューブで聞けました。これもびっくりです。歌詞がいかにでたらめに作られたものかがわかりました。歌でも大本営ですから。
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