牛は、農耕を牛や馬に頼っていた時代にはなくてはならない家畜でした。我が家では、
黒牛は何代にもわたって育てていました。
牛にブラシをかけたり、洗ったりする牛の世話は私がよくやっていました。牛はブラシをかけると気持ちよさそうに静かにしているのです。
中学生になった頃には、手綱をつけて広い畦道に連れ出して、草を食べさせたり走らせたりしていました。私はよく牛を走らせてその牛に飛び乗って遊んだものです。馬と違って牛の背中は真ん中の骨がごつごつ出ていますから、安定して乗るのが難しいうえ、局部がいたくなるほどですが、身軽だった頃ですから、すごい勢いで走らせては遊びました。
また、牛は決して後戻りはしません。馬は後ろに足を上げてけりますから、怪我をしたりした話はよく聞きましたが、牛の後ろは安全です。そのかわり、頑固?で気に入らなければ決して動きません。根競べです。
こうして育てた牛は、牛耕(馬は馬耕といった)用として、田起こしの時は活躍しました。兄が牛耕用の田起し機を持って、わたしは牛の轡をもって田の中を歩かせるのです。牛はよだれを流しながらもよく働きました。馬と違ってゆっくりでしたが大切な家畜でした。
また、牛小屋にしいた藁は堆肥になるので貴重でした。この藁をフォークでかき集め、外に出して堆肥作りをすることもやりました。当時堆肥作りは大切な仕事で、このような藁や草、尿をかけて腐らせてつくりました。畑を耕す時に予め敷いておくといい肥料になるのです。
この牛もしばらくすると、大きくなるうえ、年をとるので業者に引き取られて行き、代わりに幼い牛が来ました。「ドナドナ」の世界です。ただし当時は牛の涙には気付きませんでしたが・・・・。
荷物の運搬にも貢献していました.荷物を積んだ荷車を引いて幹線道路をゆっくりと移動,時には歩き乍らの生理現象も躊躇する事無く披露していました。雨が降ると原型を崩して広がってゆく.たれも片付ける事も無く,日常の自然な光景でした。
家の隣りの家屋で牛を飼っていました。
強烈な臭いが記憶に残っています。
以前は馬も飼っていたそうです。
老いてゆき、労働に適さなくなった牛は売られていきます。
それは厳しい自然での中で生きてゆく人々にとって、必要なことなのだと思いますが、私には体験がないのです。
体験がなく、想像だけの世界なのです。
ジョーン・バエズの「ドーナドーナ」を思い出しました。
なんとなく貧しい家の子どもが仔牛を売る歌だと思って
いましたが、彼女の歌うソプラノの済んだ声は世界中の
人々の心をつかんだのです。
今日のWOWOWでハンナ・アーレントの映画が放映されています。
ナチスドイツのホロコーストに携わったアイヒマンが描かれています。
普通の人であっても、状況によっては大きな罪をおかすのだと示唆しています。
家の隣りの家屋で牛を飼っていました。
強烈な臭いが記憶に残っています。
以前は馬も飼っていたそうです。
老いてゆき、労働に適さなくなった牛は売られていきます。
それは厳しい自然での中で生きてゆく人々にとって、必要なことなのだと思いますが、私には体験がないのです。
体験がなく、想像だけの世界なのです。
ジョーン・バエズの「ドーナドーナ」を思い出しました。
なんとなく貧しい家の子どもが仔牛を売る歌だと思って
いましたが、彼女の歌うソプラノの済んだ声は世界中の
人々の心をつかんだのです。
今日のWOWOWでハンナ・アーレントの映画が放映されています。
ナチスドイツのホロコーストに携わったアイヒマンが描かれています。
普通の人であっても、状況によっては大きな罪をおかすのだと示唆しています。
当時住んでいた家は、玄関を入ると土間があり、右手には牛をつなぐ部屋があり、牛も大切な一員でした。
その後、牛は飼わなくなり、その部屋は薪置き場になりました。
そういえば、田舎の用語?をわすれてしまっています。牛のあっぱなんてはじめてです。糞(ふん)なんていわなかった。クソッタレとか、馬ふんとか、単にクソとか言っていたような気がします。道端の馬ふんは誰も片づけなくて、キンバエ(くそばえ?)がたかっていたりする生々しい光景も。臭いは逃げられません。座間などの都会?で豚などが飼えなくなったのは一番にこの臭いと言われますから。