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牛の世話も子どもの仕事だった - 故郷の話⑱ 

2015年01月26日 | 日記・思い出

牛は、農耕を牛や馬に頼っていた時代にはなくてはならない家畜でした。我が家では、
黒牛は何代にもわたって育てていました。
牛にブラシをかけたり、洗ったりする牛の世話は私がよくやっていました。牛はブラシをかけると気持ちよさそうに静かにしているのです。

 中学生になった頃には、手綱をつけて広い畦道に連れ出して、草を食べさせたり走らせたりしていました。私はよく牛を走らせてその牛に飛び乗って遊んだものです。馬と違って牛の背中は真ん中の骨がごつごつ出ていますから、安定して乗るのが難しいうえ、局部がいたくなるほどですが、身軽だった頃ですから、すごい勢いで走らせては遊びました。

 また、牛は決して後戻りはしません。馬は後ろに足を上げてけりますから、怪我をしたりした話はよく聞きましたが、牛の後ろは安全です。そのかわり、頑固?で気に入らなければ決して動きません。根競べです。
 
 
 こうして育てた牛は、牛耕(馬は馬耕といった)用として、田起こしの時は活躍しました。兄が牛耕用の田起し機を持って、わたしは牛の轡をもって田の中を歩かせるのです。牛はよだれを流しながらもよく働きました。馬と違ってゆっくりでしたが大切な家畜でした。
 
 また、牛小屋にしいた藁は堆肥になるので貴重でした。この藁をフォークでかき集め、外に出して堆肥作りをすることもやりました。当時堆肥作りは大切な仕事で、このような藁や草、尿をかけて腐らせてつくりました。畑を耕す時に予め敷いておくといい肥料になるのです。

 この牛もしばらくすると、大きくなるうえ、年をとるので業者に引き取られて行き、代わりに幼い牛が来ました。「ドナドナ」の世界です。ただし当時は牛の涙には気付きませんでしたが・・・・。


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5 コメント

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農耕用 (木漏れ日)
2015-01-27 06:58:22
その昔、田んぼや畑を農耕機具をつけた牛が,農地を行ったり来たりして働いている姿を良く見ました,今で思えば、のんびりとした、時を忘れる様な光景でした。騒音も無く排気ガスもなくエコの世界。
荷物の運搬にも貢献していました.荷物を積んだ荷車を引いて幹線道路をゆっくりと移動,時には歩き乍らの生理現象も躊躇する事無く披露していました。雨が降ると原型を崩して広がってゆく.たれも片付ける事も無く,日常の自然な光景でした。
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ジョーン・バエズ (独子)
2015-01-27 20:55:11
毎年、盆になると車を走らせ妻の実家で夏休みを過ごしました。
家の隣りの家屋で牛を飼っていました。
強烈な臭いが記憶に残っています。
以前は馬も飼っていたそうです。
老いてゆき、労働に適さなくなった牛は売られていきます。
それは厳しい自然での中で生きてゆく人々にとって、必要なことなのだと思いますが、私には体験がないのです。
体験がなく、想像だけの世界なのです。
ジョーン・バエズの「ドーナドーナ」を思い出しました。
なんとなく貧しい家の子どもが仔牛を売る歌だと思って
いましたが、彼女の歌うソプラノの済んだ声は世界中の
人々の心をつかんだのです。
今日のWOWOWでハンナ・アーレントの映画が放映されています。
ナチスドイツのホロコーストに携わったアイヒマンが描かれています。
普通の人であっても、状況によっては大きな罪をおかすのだと示唆しています。


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ジョーン・バエズ (独子)
2015-01-27 20:56:03
毎年、盆になると車を走らせ妻の実家で夏休みを過ごしました。
家の隣りの家屋で牛を飼っていました。
強烈な臭いが記憶に残っています。
以前は馬も飼っていたそうです。
老いてゆき、労働に適さなくなった牛は売られていきます。
それは厳しい自然での中で生きてゆく人々にとって、必要なことなのだと思いますが、私には体験がないのです。
体験がなく、想像だけの世界なのです。
ジョーン・バエズの「ドーナドーナ」を思い出しました。
なんとなく貧しい家の子どもが仔牛を売る歌だと思って
いましたが、彼女の歌うソプラノの済んだ声は世界中の
人々の心をつかんだのです。
今日のWOWOWでハンナ・アーレントの映画が放映されています。
ナチスドイツのホロコーストに携わったアイヒマンが描かれています。
普通の人であっても、状況によっては大きな罪をおかすのだと示唆しています。


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ある情景2 (まるさん)
2015-01-27 21:10:35
 私がまだ低学年だった頃のことだと思います。家の上にある田んぼを祖父が、牛にムチを打ち、鼻息荒く鋤をつけた牛が田を耕している姿が目に浮かびます。当時はまだ道路も舗装されてなく、道のあちこちに牛のあっぱ(ふん)が落ちていて、誤って踏んでしまったことが結構たくさん経験したことを思い出しました。今ではふんは落ちてませんね。・・・・・一昨年ロンドンに行ったとき、馬のふんが落ちていましたが・・・・話が変わってしまいました。
 当時住んでいた家は、玄関を入ると土間があり、右手には牛をつなぐ部屋があり、牛も大切な一員でした。
 その後、牛は飼わなくなり、その部屋は薪置き場になりました。
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昔の田舎の光景 (マーちゃん)
2015-01-29 22:05:13
コメントありがとうございます。それぞれの思い出を楽しませていただきました。
そういえば、田舎の用語?をわすれてしまっています。牛のあっぱなんてはじめてです。糞(ふん)なんていわなかった。クソッタレとか、馬ふんとか、単にクソとか言っていたような気がします。道端の馬ふんは誰も片づけなくて、キンバエ(くそばえ?)がたかっていたりする生々しい光景も。臭いは逃げられません。座間などの都会?で豚などが飼えなくなったのは一番にこの臭いと言われますから。
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