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復興急いで!  6月初旬の東北『宮城・石巻』に行って

2011年07月14日 | 日記・思い出
 地震や津波で破壊されている故郷を見るのはつらい。6月初旬に石巻に帰りました。知人の協力で集めた350余冊の子ども用の本を用意して届けるための帰郷でした。
姉と車の通れるところを選んで通りました。以下は6月初旬の状況の一部です。
 そこで見たのは、
 家の中を水が抜け、壊された家財・吹き飛んだ窓や扉、道にまで流された船。
造船場や関連工場の多かった中洲では、まともに津波を受け全て流されていて、残るのは柱や土台のみで壊滅状態です。瓦礫さえ残さない津波の威力に驚きます。写真の奥にある車は水没したもので使用不可です。

 市内の渡波町では地盤沈下(平均70センチほどという)が激しく、朝夕2度の満潮時に道路が冠水し、子どもたちは大変な思いで通学しているという。人々は潮位表をもとに潮の干満を調べて生活しているというが、下水が噴出すなど新たな問題も起きています。  
 ほとんど人通りもなく救援の車とわずかの車ばかりの門脇町方面。両脇は片づけられ車が通れるようになったが、電気は不通なので信号はないところが多く、大きな交差点は他県から来ている警官が整理していました。この町では私の小学校の頃の恩師が亡くなり、同級生夫婦も亡くなっています。

 日和山にある母校の高校は授業が始まっていますが、一部はまだ避難所になっていて、支援の車や自衛隊の車両が多く、励ましの横断幕もありました。
 
 当初、石巻は市域が広く余りの被害で通信、交通が途絶え報道されませんでした。6月5日現在、石巻市の死者・不明者は5795人、避難者は7800人。全壊家屋は3万にもなり、未だ電気・水道が通らない所もあります。
 この記録で伝えられないことの一つは臭いです。大変な臭いでした。水産加工関係の工場の被災が多く冷凍施設の破壊のために海辺の町はこの異臭も問題になり始め、人手によって片づけているという。

 被害の少なかった親戚の家に宿泊したが、印象的だったのは何度も聞く「全国から助けに来てくれてありがたいことだ。」ということでした。若者を中心に全国からのボランテイアの人々の姿もよく見かけました。壊滅した南浜町・湊町がよく見える日和山の地には花がたむけられ、感謝の横断幕が張ってありました。合掌。
 

 復興がいまだ遅々として進まぬという声を聞くにつけ、猛暑の中で避難している人々のことや支援に頑張る人々の思いが政治に早く届いてほしいと思います。



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1 コメント

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Unknown (土屋 仁)
2011-07-15 23:35:42
民間の支援が、各地で無報酬で活躍している報道に
感動しています。 その一方で、 瓦礫の撤去は遅々
として進まず、縦割り行政の弊害があると聞く。

一時でも早く、元の生活が出来るように、政府、国会
議員は、やるべきことを やってほしい!
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