いろいろな子どもたちが登場してきましたが、子どもに問題があるときにはその多くは親や教師にも多くの問題があったといえるかと思います。
もちろん自分で判断できる年齢になればまた別ですが・・・・。
(24)「腹痛を訴うる子の今朝も食事摂らぬとうつむきて話す」
小さな子はいろいろな要因で腹痛になります。お腹がすいてすいて、その挙句に苦痛という子もいました。昼ごろになると腹痛になる子がいて、聞くと、お母さんが起きてくれなかったから、今朝は食べないでき来たと、健気に頑張ろうとします。何回か手立てをとりましたが、今でもこのような子がいるのだろうなあと、その頃のことを思いだします。(2005年頃)
(25)学期末礼言いに来る子のあり叱りしこと多き子なれど
終業の挨拶に来る子どもらの小さな両手にぎりしめたり
落ち着かなくてよく注意した子ですが、学期の終わりにはちゃんと挨拶に来る子もいました。そんな時には改めて見直しますし、自分も反省させられます。(2005年頃)
(26)学校に行きたいという子の一言で自殺をとどまりしとう親の居り
母子だけの生活と経済的に苦しいことが重なり、こんなことも考えたのよと新学期なのに語る若い親もいました。この時は吹っ切れて明るく健気に話してくれたのでほっとしました。格差社会の進行で今でも自殺の多い日本では、経済的に立ち行かなくなって自死する人も多いのではと思います。最近の鉄道の人身事故が多いのにも気になります。
(1980年代)
(27)喧嘩の子に髪つかまれて泣きし子が今朝はその手をにぎっておりぬ
いろいろな理由で髪をつかんだり、けったりするということもよくありました。子どもの世界といえど、社会の一員ですから、親や社会、学校のさまざまな期待や圧力にさらされています。そんな子が昨日は泣いていたのに今朝はもう仲直りしています。後を引かない子どもに拍手です。
(28)子どもらの目はひたむきに無農薬栽培語る青年に向く
高学年の授業で地域の農家を見学しました。今でこそ当たり前の無農薬栽培、有機栽培ですがまだ少ないころでした。後継者不足もいわれる中、この農業青年は熱心に無農薬栽培について語りました。聞く子どもたちも真剣でした。その青年が次のような事実を話してくれたときは驚くばかりでした。
「たちまちに視力低下と若き農農薬被害汗ばみ語る」
この青年が無農薬に取り組んだわけは、なんと自分が農薬被害者だったからでした。視力が低下し始めてびっくりして切り替えたということでした。親はまだその気になれず農薬を使ってつくり、自分は別な畑で無農薬で作っている実情を話してくれたのでした。
「若き農虫食いあとの野菜見せ無農薬の意義語りぬ」
虫食いの野菜を見せて普通の野菜との違いをはなしてくれました。真っ直ぐなキュウリ、虫も寄りつかない野菜ばかり求めてはいけないことがよくわかったのでした。この学習の後、新聞を作ったり、お礼を書いたりしましたが、この農薬被害の件が一番印象に残ったようでした。
(2000年頃)
(29)「今終わる一つのこと」と歌いたる卒業の子の泪ぬぐわず
卒業は子どもにとって大きな節目。もちろん親や学校にとっても大きな行事です。
いろいろな出来事を思い出しながら、明るく巣立っていく子、泣きながら巣立っていく子とさまざまです。そんな中にあの子がと思う子が涙一杯のまま卒業ということもありました。(2000年頃)
子どもとかかわって詠ってきた短歌の子ども編はひとまず閉じます。次回からは教師編です。
暖かく見守りながら、教壇に立つと言うより、教壇から降り,同じ目線でつきあう。そんな人柄の「人気の先生」とおもいます。