浦沢直樹大先生の最新作ですね。
PLUTOも終了し、今はこの作品だけの筈ですから
期待大で読んでおります。
今んトコ舞台は終戦直後の日本。
ケヴィン・ヤマガタという日系アメリカ人漫画家が
今んトコの主人公。
彼がアメリカで描いていたBILLY BATというアメコミを発端に、
終戦直後の日本における不可解な事件に
そのBILLY BATの図柄や漫画が絡んできて、
その渦中にケヴィンが巻き込まれていくという
浦沢大先生御得意のミステリーなのであります。
当時の粋な日本人代表である白洲次郎さんも登場しており、
もっとクローズアップされると嬉しいなぁなんて期待してます。
2巻ではケヴィンが、
「アメリカに戻って予言書(になってしまう?)とも言える
マンガを描くことで謀略に立ち向かう」
という決意をしたところで、
何故かイエス・キリストの時代に話が飛びます。
飛んだ先の時代の主人公はなんとイスカリオテのユダなのです。
あの裏切り者の代名詞、ユダです。
北斗の拳でも南斗六聖拳の一人、
南斗紅鶴拳の伝承者、妖星のユダ、
裏切りの星の由来ともなりましたね。
新約聖書の中に於いては、4つある福音書の中で、
有名な"最後の晩餐"でイエスが弟子である12使徒に言うんですね。
「この中に裏切り者が居る。私がパンを浸して渡した者だ」
そう言ってユダにワインを浸したパンを渡して、
「しようとしている事を、ただちにしなさい」
とけし掛けるシーンがあるんですね。
そんでユダはイエスをユダヤ教の司祭たちに引き渡すんですが、
その際に「誰がイエスか?」という問いに対して、
ユダはイエスに接吻をして見せるんですね。
「こいつです」ってな感じで。
結果イエスは捕えられ、ゴルゴダの丘で処刑されてしまいます。
そしてユダは裏切り者代表としての烙印が押されてしまいます。
ユダは聖書の中では自殺したみたいですね、その後。
ちなみに福音書ってのはイエスの生涯を綴った、
有難い物語のようです。私は教徒でないのでそうでもないですが。
新約聖書の中には福音書が
自分が知ってるだけで4つ綴じられているとか。
つまり全く同じ題材の物語を細部を少しずつ変えて4つ。
新約聖書ってのは複数の「アリガタイ」と認定された書物を
単にファイリングしただけのもんなんですね。
そもそも三位一体で神や精霊とも同格同一の筈のイエスの生涯を
何故アレンジを換えて複数残したのかが疑問っすね。
おそらくは時代毎に民衆に受けやすい、
信者を得やすいアレンジにしたんでしょうね。
んで話をBILLY BATに戻しますが、
ユダは幼少からBILLY BATの様な幻像が見えていて、
独り言のようにして話が出来ていたという設定でした。
ほんでイエス・キリストに出会うのですが、
イエスに正に「必要だから」と裏切りを指示されて、
その通りに実行したという解釈で描かれています。
この解釈はおそらく、自分が以前に読んだ
「ユダの福音書」から来ていますね!
つまりユダは裏切り者ではなく、
イエスに指示されて実行した忠実な、
唯一正しくイエスの教えを理解していた聖者だってやつです。
自分もユダの福音書を読みまして、
その中身については既存のキリスト教に於けるユダの扱いより、
ユダの福音書の方が真実に近いのではないかと感じていたので、
「さすが浦沢大先生はわかってらっしゃる」
なんて勝手に嬉しくなってしまいました。
聖書にも書かれている通り、
ユダはイエスの指示通りに動いてますから、
やっぱりその解釈が自然なんではないでしょうか?
そしてイエスは民衆の罪を代わりに背負って処刑され、
結果、永遠の存在に、つまりは神になったのですから。
BILLY BATではユダ編が終わるとまた現代(少し前か)に戻り、
黒人差別をテーマにした話になります。
教会前で黒人の花嫁姿の女性を拾ったタクシー運転手が主人公で、
駅まで送った後に、今度は白人エリートの花婿を乗せ、
ハッピーエンドになるという話でした。
タクシーのバックミラーに掛けたBILLY BATのマスコットが
タクシー運転手と話すというところで、
BILLY BATは複数の人間に見えることがわかります。
その後は戦国時代の忍者の里が舞台になっていました。
忍者編(勝手に名付けました)はまだ2巻では途中でしたが、
いつ戦後のケヴィンに戻るのか?まったくわかりませぬ。
今は浦沢大先生御得意の伏線張り段階で、
これをどう収拾するのかが、毎度の浦沢作品のテーマになりますね。
今回はどういったオチにするのか?
楽しみはここにつきますね。
PLUTOも終了し、今はこの作品だけの筈ですから
期待大で読んでおります。
今んトコ舞台は終戦直後の日本。
ケヴィン・ヤマガタという日系アメリカ人漫画家が
今んトコの主人公。
彼がアメリカで描いていたBILLY BATというアメコミを発端に、
終戦直後の日本における不可解な事件に
そのBILLY BATの図柄や漫画が絡んできて、
その渦中にケヴィンが巻き込まれていくという
浦沢大先生御得意のミステリーなのであります。
当時の粋な日本人代表である白洲次郎さんも登場しており、
もっとクローズアップされると嬉しいなぁなんて期待してます。
2巻ではケヴィンが、
「アメリカに戻って予言書(になってしまう?)とも言える
マンガを描くことで謀略に立ち向かう」
という決意をしたところで、
何故かイエス・キリストの時代に話が飛びます。
飛んだ先の時代の主人公はなんとイスカリオテのユダなのです。
あの裏切り者の代名詞、ユダです。
北斗の拳でも南斗六聖拳の一人、
南斗紅鶴拳の伝承者、妖星のユダ、
裏切りの星の由来ともなりましたね。
新約聖書の中に於いては、4つある福音書の中で、
有名な"最後の晩餐"でイエスが弟子である12使徒に言うんですね。
「この中に裏切り者が居る。私がパンを浸して渡した者だ」
そう言ってユダにワインを浸したパンを渡して、
「しようとしている事を、ただちにしなさい」
とけし掛けるシーンがあるんですね。
そんでユダはイエスをユダヤ教の司祭たちに引き渡すんですが、
その際に「誰がイエスか?」という問いに対して、
ユダはイエスに接吻をして見せるんですね。
「こいつです」ってな感じで。
結果イエスは捕えられ、ゴルゴダの丘で処刑されてしまいます。
そしてユダは裏切り者代表としての烙印が押されてしまいます。
ユダは聖書の中では自殺したみたいですね、その後。
ちなみに福音書ってのはイエスの生涯を綴った、
有難い物語のようです。私は教徒でないのでそうでもないですが。
新約聖書の中には福音書が
自分が知ってるだけで4つ綴じられているとか。
つまり全く同じ題材の物語を細部を少しずつ変えて4つ。
新約聖書ってのは複数の「アリガタイ」と認定された書物を
単にファイリングしただけのもんなんですね。
そもそも三位一体で神や精霊とも同格同一の筈のイエスの生涯を
何故アレンジを換えて複数残したのかが疑問っすね。
おそらくは時代毎に民衆に受けやすい、
信者を得やすいアレンジにしたんでしょうね。
んで話をBILLY BATに戻しますが、
ユダは幼少からBILLY BATの様な幻像が見えていて、
独り言のようにして話が出来ていたという設定でした。
ほんでイエス・キリストに出会うのですが、
イエスに正に「必要だから」と裏切りを指示されて、
その通りに実行したという解釈で描かれています。
この解釈はおそらく、自分が以前に読んだ
「ユダの福音書」から来ていますね!
つまりユダは裏切り者ではなく、
イエスに指示されて実行した忠実な、
唯一正しくイエスの教えを理解していた聖者だってやつです。
自分もユダの福音書を読みまして、
その中身については既存のキリスト教に於けるユダの扱いより、
ユダの福音書の方が真実に近いのではないかと感じていたので、
「さすが浦沢大先生はわかってらっしゃる」
なんて勝手に嬉しくなってしまいました。
聖書にも書かれている通り、
ユダはイエスの指示通りに動いてますから、
やっぱりその解釈が自然なんではないでしょうか?
そしてイエスは民衆の罪を代わりに背負って処刑され、
結果、永遠の存在に、つまりは神になったのですから。
BILLY BATではユダ編が終わるとまた現代(少し前か)に戻り、
黒人差別をテーマにした話になります。
教会前で黒人の花嫁姿の女性を拾ったタクシー運転手が主人公で、
駅まで送った後に、今度は白人エリートの花婿を乗せ、
ハッピーエンドになるという話でした。
タクシーのバックミラーに掛けたBILLY BATのマスコットが
タクシー運転手と話すというところで、
BILLY BATは複数の人間に見えることがわかります。
その後は戦国時代の忍者の里が舞台になっていました。
忍者編(勝手に名付けました)はまだ2巻では途中でしたが、
いつ戦後のケヴィンに戻るのか?まったくわかりませぬ。
今は浦沢大先生御得意の伏線張り段階で、
これをどう収拾するのかが、毎度の浦沢作品のテーマになりますね。
今回はどういったオチにするのか?
楽しみはここにつきますね。