☆待ってるよ☆

待ち望んだ我が子誕生、その日までの記録です。

出産体験 雑記②

2006年12月31日 | ベビー誕生
今年も残り僅かです。
このブログを始めて1年以上が経ち、色んな思いの詰まった大事なページとなりました。

今年の春に妊娠判明し、途中前置胎盤かも???と、ドッキリすることはありましたが、
比較的…というか、とにかく順調そのものの妊娠生活を送り、
年末には無事出産することが出来ました。

私を支えてくれた皆様に、本当に感謝の気持ちでいっぱいの1年です




さて、入院中の事をすこし。 私がお産をしたのは公立総合病院。
昨年度の分娩取扱い件数は約360件と、1日に1人未満のペースだったようです。
それが今年は、やはり出生数が増えているのと
産科を取り扱う産婦人科が減ってる影響で、
私が入院した時点でも新生児室に赤ちゃんがテンコ盛り状態でした


私が出産した日は、明け方に1人と夕方に私が産んで2人だけでしたが、
その前3日間はお産が多く、産後入院のベッドは満床で、
私のベッドは「産前or婦人科疾病入院」の病室でした。



分娩室から戻ってゆっくりスズ夫と話をしようにも、部屋中に響くNSTの音。。。
早産などの理由で管理入院をしている方々の傍らで、
出産の喜びやら感動やらを大声で話すほど私もデリカシーのない人間ではないので…
お産当日の夜は、出産の疲れと興奮で寝ようにも眠れず、でも身体は疲れて…
それと、子宮収縮が良かったのか?生理痛のような痛みで眠れず。
「鎮痛剤出すので、我慢しなくていい」と助産師さんに言われていたので、
アッサリとナースコールを押し、薬をもらって眠りました



翌日、母乳指導です。この頃から少しずつオッパイが張り始めました。
でもまだ全然しーちゃんが飲めるほどは出ません。
妊娠中から、吸引器でオッパイ鍛錬してましたが、左乳の乳首がやはりイマイチ。
右は上手にくわえられても、左が上手に出来ないので、しばらく(3日間)は、
乳に吸引器(オッパイにゴム製の乳首状のカバーをかぶせる)を使って授乳しました。



初日、授乳前後の体重増加は僅か4グラム 「あーあ、4グラムです」とガックリする私に、
助産師さんは「出るだけスゴイスゴイこの調子で頑張って」と、
励ましてくれました。



授乳前後に赤ちゃんの体重を測り、母乳をどれくらい飲んだかを記録するのですが…。
いや、とっても大事な事とは分かっているのですが、授乳後の測定では、
せっかくウトウト眠っていた しーちゃんが目を覚ましてしまう事も多く、
この後にミルクを飲ませるなら良いんですが、
母乳だけで寝かしつけまでもっていきたい場合には計測はかなりネックでした


2日目に、退院した人が数人出てベッドが空いたため、私も産後病棟に移れました。
そして、母子同室がスタートしました
入院中のしーちゃんは とにかくよく眠る子で、周りの子が火のついたように泣いても、
全く動じず。スヤスヤとかわいい寝息をたてていました。
なので、病院が定めている授乳時間になってもなかなか目を覚まさないので、
いつも他の子達と授乳時間が微妙にズレていました。
でも、だいたい2~3時間おきに飲めていたので問題ないのでしょう



母子同室2日目の夜中、乳首につけてた吸引器を試しに外してくわえさせてみたところ、
しーちゃんは上手にくわえてくれました吸引器卒業です
そして、この日以降母乳の出も良くなり、
ミルクを足さずに何とか寝かしつけまでいけるようになりました


1回に与える量の目安として「日齢×10+10(だっけ?)」と言われたのですが、
最初は20ccくらいしか出ていなかった母乳も、
回を重ねるごとに50cc~80cc出るようになりました



と同時に、猛烈な乳首の痛み、乳房の張りと格闘する事になりました
母乳がせっせと作られ始めてきて、これまで見たことないほどの巨乳となり、
乳首は、しーちゃんが一生懸命吸うので、小さな赤い腫れが見られるようになりました。

助産師さんに診てもらい、乳房の方は冷やすくらいしか対処出来ない
(この時期に搾っちゃうと、余計沢山作られちゃうので、適量製造までの間は我慢)
乳首はザーネという軟膏を処方され、授乳後は軟膏を塗って乳首を休ませてあげる。
(と言っても、最大3時間しか休めないのですが)

とにかく、この二つの痛みは寝ててもついてまわるので、寝不足+乳の痛みで、ヘロヘロ。
これに会陰や帝王切開の傷が痛いママさんはもっと大変なのだろうなぁ…と思いました





さて、予定日だった12月12日ですが。
私が出産した7日以降、お産はポツポツでした。一日1件くらい。
それが…12日はスゴイ事になっていて、特に午後~夜にかけてお産が集中。
私の病室はナースステーションの目の前だったのですが、助産師さん達の慌しい動きに
タダ事ではないと感じました。
非番の産科医も呼び出された感じでバタバタと到着し、
昨日の夜中からいましたよね???っていう助産師さん達も帰れず、
「私は分娩室入るから!」「私はカイザー(帝王切開?)に行くから!」と声が飛び交い。


蓋を開けてみたら、この日一日で5人の新しい命が誕生し、
しかも、揃いも揃って「超」のつく難産だったようです

このうちのお一人は、原因不明で胎児の心拍が急激に落ちてしまい緊急帝王切開。
とりあげた時には仮死状態だったそうですが、無事蘇生したようです
助産師さん達の会話からその事を知り、「あぁ~、良かったね」と、
オッパイをほおばる しーちゃんとお友達の誕生を喜びました


そんなわけで、私も予定日ピッタリに産気づいていたら放置されていたでしょう…
私の分娩にはものすごい人数が立ち会ってくれたと書きましたが、
きっとそんな状況でもなく、
「コイツぁ、何も問題なし。もうしばらく放っておいても大丈夫だろっ」と放置され、
もしかしたら陣痛室で産まれちゃってたかもしれないね、なんてスズ夫と話していました




そして12月13日。
前日の退院診察で、数本抜糸して(予想外にイタイ)子宮内の様子を見て問題なし。
予定通り、生後6日目に退院しました。

しーちゃんを初めてチャイルドシートに乗せ(お腹空いてたから号泣)久しぶりの我が家へ。
しーちゃんは一気に変わった環境でも、何が何だかサッパリって顔してました。
(当たり前か。)



入院費用は約42万円。
公立総合病院で、平日昼間の出産、入院日数7日間(分娩日当日を含む)だったので、
40万円超えないと思ってたら、オーバーしたのでちょっと意外。。。
入院が夜中だったから???うーん…。


でも、助産師さんはとにかく皆さん丁寧親切で、とても安心して過ごせました。
まだまだ2人目なんて考えられないけど、もし授かる事が出来たなら、
またこの病院を選ぶだろうな…と思う入院生活でした



マタニティブルー

2006年12月20日 | ベビー誕生
しーちゃんの誕生から13日目。
本日は私の31歳の誕生日です。オメデトウ。


ずっと待ちに待ったベビーの誕生、
こんな私にももれなくマタニティブルーはやってきました。
待ち望んでいた分、しーちゃんはすーごくかわいいし、
これと言って苦労はないと思うけど、何だか無性に泣きたかったり。
ホルモンの急激な変化ってすごいのですね…。


一番の理由はスズ夫にすごい負担をかけちゃってる事だと思います…。

中間決算で忙しくて、12月半ばまでは23時近くまで仕事して、
その後、買い物して帰って来て、洗濯したり洗い物したり、お米研いでくれたり。
あと、引越の契約も全部してもらっちゃったし…。
(2月に少し広い賃貸に引っ越す予定です。)


その後、19時には帰れるようになってから、沐浴も頑張ってくれています。


そんな姿を見てると、私が嫌がらずに産後は義実家にお世話になっておけば、
スズ夫にこんな苦労はかけずに済んだのに…って思うと涙がブワっと出ちゃうのです。

(退院日に義両親と4人で食事しただけですごい疲れたから、
やっぱ義実家里帰りも無理だったのですが。)



スズ夫は、私の精神安定が一番なんだから、俺のことは気にしなくていい、
って言ってくれて、その優しさが余計に泣けてくる…。


そして、どれだけ可愛くても、毎日引きこもりで同じ事の繰り返し、
寝不足の日々、張りに張って眠れないほどのオッパイ。
何だか、いつこの状況から脱却できるのか言いようのない不安に襲われます。
いやきっと、脱却する日なんてもうすぐそこなのでしょう。
でも、今の私にはまだそう思えないんです。。。



みんな色んなマタニティブルーを乗り越えて母になっていくのよね、
私だけじゃないっ!と思って、泣きたい時は思いっきり泣いています。
スズ夫には沢山心配も負担も掛けてしまったけど、元気復活したら恩返しするからね



クリスマス・年末年始を越せば、1月4日には しーちゃんも生後1ヵ月。
少しはお散歩とかにも出れるようになるし、
長い年末年始休みをスズ夫とまったり過ごして、
少しずつ気持ちが上向いていくと良いです

出産体験 雑記

2006年12月18日 | ベビー誕生
忘れないうちに、出産の時のお話などをまとめておきたいと思います。

ご報告の通り、破水から始まったお産でした。
陣痛がつくのか、それがまず第一の疑問ってくらい平穏な始まりでした。
11月はじめに出産した友人が、微弱陣痛で促進剤使用しましたが、
彼女には副作用がきつく、何度も嘔吐を繰り返し辛かったそうです。


そんな話を聞いてただけに、出来れば自然に陣痛ついてくれるといいなぁ、
と漠然と思いながら陣痛室のベッドに横になりました。
助産師さんがNSTの測定をしてくれて
「まだまだですから、ご主人一旦お帰りになったら?」
それが深夜2時くらいの出来事でした。

それから程なくして「えっ???これって…張りって言うんだっけ???」
というくらいの強烈な痛みがやってくるように。。。
一人っきりの陣痛室、心細くてナースコールを押しました。

再度NST測定「あー、陣痛ついたみたいねでも、まだまだよ。」
陣痛…キタ…痛いよぅ…


その後、何度もトイレに行き襲い掛かる陣痛の波にもがいていたところ、
早朝5時頃、隣のベッドに妊婦さんがやってきました。



「ひっひっふーーーーうんっ



ものすごい大絶叫で、とても呼吸法とは呼べません
正直、いつまでこの人と隣同士で痛みに耐えなきゃいけないんだろう…
と、ウンザリするほどの大絶叫でした。


しかし、予想を反し僅か20分程度で分娩室へ行ってしまい、
分娩室入ったかと思ったら30分くらいで元気な産声が
2人目妊婦さんで、ギリギリまで自宅に居て病院に駆けつけたようです。

(彼女は、病室でも私の隣のベッドのHさんで、あの絶叫とは結びつきもしない、
とても穏やかなママさんでした)


その後、まだまだもがき苦しんでる私のところに助産師さんがきて
「驚いたでしょ?でも、最後の痛みはあんな感じよ~( ̄ー ̄)ニヤリ」
と、脅して去って行きました


7時過ぎ、スズ夫が洗濯などを終えて再度病院へ来てくれました。
私の実家にも、スズ夫の実家にも産まれるまでは連絡しないでおこう、
と話していたので、この時点で私の入院を知る人はいませんでした。


どんどん強くなる痛みに、立って壁を押してみたり、壁にもたれかかったり、
色々してみました。じっと寝てるのは辛いかと思いきや、
自分なりのベストポジションを発見できれば、それが一番楽だったかも。


最後の方は、ずっと右向きで横になったままで、痛みがくればベッドの柵にしがみつき、
痛みと痛みの間は静かに眠ってたそうです。もう、殆ど記憶にありません

痛みがくると、ずーっと横で声を掛けてくれたスズ夫。
手を握ったり、身体をさすったりしてくれた事はしっかり覚えています
そして、「ひかない痛みはない」「お腹の胎児ちゃんも頑張ってる」
この二つだけを念じるように必死に痛みに耐えました。




お昼の回診ではまだ子宮口の開きは4cm。
「まだまだですねー、でも今が一番キツイ時だから頑張って
と、女医さんに優しく励まされながらも、「その時」はまだ先かと思うと、
一体いつこの苦しみから解放されるのか…気が遠くなりました。

いよいよ「いきみたい」という感覚に襲われ始め、でもそれは回診から僅か2時間後のこと。
自分でも「まだまだなんだよね…でも…勝手にお腹に力が入っちゃって、
思いっきりいきみたい
スズ夫にナースコールしてもらって、いきみたがってる事を伝えてもらいました。


助産師さんがすぐにきてくれて
「あらー、一気に進みましたね、もう8cmまできてる
今から分娩室の準備しますから、そうしたら入ってもらいましょう。」


それからどのくらいの時間、最後のもがきを陣痛室でしていたのか分かりません。
スズ夫曰く「分娩室の準備って何分かかるんだと思うくらい長く感じた。」
だそうで、目の前で必死に「いきみ」をこらえてる私は見てられなかったそうです。


そして、ようやく分娩台へ。


助産師さんによるオシモの消毒・ほんの少し剃毛・足カバーをセットされ準備完了。
女医さんによる点滴の針刺し。これがいきむ時にレバーを握って状態を起こすためか
肘下に針を刺すんですね…だからなかなか刺さらない
この点滴待ちの間がすっごくすっごく長く感じて、
この間に何回も「ぐぅぅぅぅーーー」と叫び声をあげていたと思います


そして、気がつけばスズ夫が枕元にいてくれてタオルで汗を拭いてくれていました。
後から聞いた話では、「じゃ、準備できたらご主人呼びますから、待っててください。」
と言われたものの、陣痛室でかなり待たされて「俺…忘れられた?」と不安だったそうです。
とにかく「待ってる間」というのは、すごーくすごーく長く感じるものなのですね。




いよいよ分娩開始


助産師さんの「吸ってー吐いてー、吸ってー、吐いてー、吸ってーー、
はい息止めてっ!声出さない!いきんでっ!」
にうまく乗っかれたのか、なかなか順調に進んだようです。
いきみ始めたら、痛いとか痛くないとかそういう感覚はもうなくて、
ただ「いよいよ最後の大仕事の時がきたんだ」っていうそれだけでした。
胎児ちゃんの頭がもう出てるのか、会陰は裂けてるのか、
もうそんな事もよく分かりませんでした。
ただただ、ひたすらお腹の子を無事にこの世に産み出す事だけを考えていました。



「はいっ!もういきまないで!!!短く呼吸して!!!ハッハッハッハッ」


と言われた時、「あぁ、頭が出たんだ本当にあと少しなんだ」
と、思ったのはよく覚えています。
それからほどなくして、周囲の「うわぁぁぁ」という声と同時に、
しーちゃんの元気な産声を聞くことが出来ました



破水から14時間、陣痛から10時間、分娩台に上がってから僅か15分の事でした。



産まれてすぐに しーちゃんは私の胸元にやってきました。
やっと会えた、ずーっとずーっと待ってたよ☆という思いが込み上げてきて、
ボロボロと涙がこぼれました。もちろん直接は触れないけど、
助産師さんとスズ夫と私と しーちゃんと4人で記念撮影してくれました。


産まれたてのしーちゃんは、まだ白い胎脂で覆われていて一生懸命泣くばかり。
目も開けていないし、正直「少し小さいかな…大丈夫かな…」と思いました。
それくらい、産まれたての赤ちゃんは元気だけどか弱く見え、
親心なのか?早くも色々心配しはじめてしまいました。。。
その後、しーちゃんも私も処置のためスズ夫は一旦分娩室の外に。


私の後陣痛もすぐにやってきて(ほとんど痛みなし)胎盤もスルスルと出たようです。
見せてもらった胎盤は、想像を遥かに超える色をしていましたが
今日まで、しーちゃんに栄養を届けてくれていた胎盤に大感謝です


会陰はほんの少しだけ裂けたようで、女医さんが丁寧に縫ってくれました。
その間も色んな話を助産師さん達として、楽しく分娩後を過ごす事が出来ました。



そうそう、私は眼鏡を外して(スズ夫に持っててもらって)いたのですが、
0.1ない私の視力をもってしても、すんごい人数が私の足元にいる事だけは分かりました。
でも、とにかく必死なのでそんな事を気に掛けてられなかったのですが、
娩出後、よくよく見たらドクター3人も付き添ってくれ、助産師さんは5~6人くらいいて、
更に看護学校の実習生さんも2人に、その先生(助産師さん)1人。


何でこんなにいるの???????????
と、ビックリしましたが、皆さん口を揃えて「いやー、早いお産でしたね。」
「一人目とは思えないほど早かったわね~」「いきむの上手だったわよ~」
と、褒めて?くれたし、しーちゃんの誕生を多くの人に見守ってもらえたのは嬉しいし、
看護学校の学生さんは、自分の事のように号泣して感動してくれていたし、
とにかくヨカッタヨカッタです。


スズ夫はこの間何をしていたかと言うと、コッソリ泣いてたのはご報告済みですが
他にも大仕事をしてくれていたのです

以前、私が何の気なしに「胎児ちゃんが生まれた日の空を写真に撮っておきたいなぁ」
と言った事があるんです。明確な理由はありません。
ただ何となく思いつきで言ってみたんです。確か…妊娠中期だったかなぁ。

スズ夫はその私の言葉を覚えていてくれて、病院の窓から見える空を、
写真に収めておいてくれたのです。私がそれに気付いたのは、翌日。
眠ってるしーちゃんを写真に撮ろうとデジカメを出した時でした。

私のほんの些細な一言を覚えていてくれたスズ夫。
冬空だけど、お昼に産まれてきたから、まだ明るい空がしっかりそこには写っていました。
それを見たとき、また涙がボタボタと落ちました。


しーちゃん、とっても素敵なお父さんのもとに生まれてきて良かったね。
きっときっと、しーちゃんの事も沢山愛してくれるよ








次は、体力的に余裕があったら入院生活の事などを書きたいと思います。



退院しました

2006年12月13日 | ベビー誕生
生後6日目


本日、無事退院しました


これまでの「乳頭鍛錬」の賜物か、母乳は絶好調で出ています
2日目から母子同室で最初はミルクを足しましたが、4日目からは完全母乳
ただ、まだ母乳量調整が出来ないお乳なので、張って張って仕方なく、
マッサージや体操やら、あと乳首も痛いので軟膏塗って頑張っています

母乳絶好調のお陰で子宮の回復も早く、もうすっかりペチャンコ。
体重も、結局7kg増で臨んだ出産でしたが、退院日時点でもう1kg増まで減りました。
退院診察で抜糸をしてもらい、オシモの痛みはもう殆どなし。
とにかく、寝不足を除けば身体はとても快調です。

ただ、私のように楽に体動かせる人の方がスイスイ動いちゃうので危険だと、
助産師さんに釘を刺されました
とにかく自宅に帰った後は何もせず、母乳を出す事に専念し ぐうたらと過ごします

スズ夫の全面的サポートあってのことです。
本当にありがとう




☆待ってたよ☆

2006年12月07日 | 妊娠10ヵ月
39週2日



12月7日 午後2時45分
我が家に長女 しーちゃんが誕生しました。
身長49㌢、体重2,820㌘


無事出産にこぎつけたのも、皆様の温かいお心づかいのお陰です。
本当にありがとうございました



12月6日0時前、お風呂から上がり既に布団の中。
8日にボーナスが出たら何を食べに行こうか~と真剣に話し合っていたところ、
「尿漏れ???」というくらいの少量破水。区別がつかなかったので、病院へ。

歩いてるだけで「ジュルン」と何かが出る感じがして、病院に着く頃には自分でも
「破水かな…」と思いました。

診察の結果、というか助産師さんと先生は、流れ出る液体を見ただけで
「あー、破水だねはい、入院。」


あぁぁぁぁぁ・・・・私の焼肉が…←ボーナス出たら叙々苑で決着しかけてた。


6日の0時過ぎ時点では子宮口2㌢の開きで、陣痛がくる気配全くなし。
7日一日待って良い陣痛がつかなければ、8日に促進剤使用という事でした。

入院から4時間が経過した頃、猛烈な腹痛が。
キタキターと思っても、破水してるので動き回れずなかなか進まない


陣痛の痛さは、言葉じゃ言い表せないものでしたが、
「終わらない痛み(陣痛)はない」「自分だけじゃなくて胎児ちゃんも頑張ってる
と、自分に言い聞かせ、スズ夫に全面的にサポートしてもらいながら
10時間陣痛と格闘しました。
最後はいきみたくていきみたくて仕方なく(勝手にお腹に力が入ってしまう)
でもいきんじゃいけないというのは分かってたので、それをこらえるのに必死でした
(私にはテニスボールは全く役に立ちませんでした)


そして、7日の14時30分前にやっと分娩台へ。


腹筋イメトレが功を奏したようで、いきみ上手と褒められ(おだてられ??)
僅か5回程度のいきみで、15分で出産しました

少しだけ切れて縫いましたが出血量も少なく、
初産の割に全体を通して安産だったようです


もう、対面した時は涙涙
スズ夫なんて、まだ頭も出てないのに泣いてたらしく

産後の処置があるんでいったん分娩室から出て陣痛室で待ってた時も、
部屋の片隅で目を真っ赤にして泣いてたのを助産師さんに目撃され、
皆さん達から「絵に描いたようにいいパパだね」と言われました。

羊水が減って居心地悪かっただろうに、ずーっと元気に心音響かせてたしーちゃんと、
ずっと付き添ってくれたスズ夫と、3人で乗り越えたお産でした


これから子育て生活が始まりますが、産みの苦しみと昨日の感動を忘れずに
マイペースでやっていきたいと思います



取り急ぎご報告まで


検診(38週3日)

2006年12月01日 | 妊娠10ヵ月
38週3日


指の負傷から5日が経ち、包帯グルグルからガーゼだけに昇格しました
完治には程遠いものの、少しずつ良くなっているようです。
スズ夫にはこの5日間、毎日晩ご飯を作ってもらい食器洗いをしてもらい…
本当に本当に感謝感謝感謝です(*- -)(*_ _)



一昨日は小春日和の一日でしたが、猛烈な腰痛により一日中動けず。
立ち上がってトイレに行くのも一苦労という感じで、すり足で動かないと


「はうぅぅぅぅぅっ(((((((/;_;)/!!」


「ひぃぃぃぃぃぃぃぃっ(((((((/;_;)/ !!」


声が条件反射で出てしまいます

昨日も一日中寝ててだいぶ良くなったので、
今日は自力(電車+徒歩)で検診に行く事が出来ました





本日の検診結果です



・体重    64.80kg (妊娠前 +7.3kg 1週間前比 +0.25kg)

・血圧    115/70

・子宮底長  32cm (1週間前比 ±0cm)

・腹囲    89cm (1週間前比 +2cm)

・浮腫    マイナス

・尿蛋白   マイナス

・尿糖    マイナス


でした。


胎児ちゃんの推定体重は、2,810g1週間前比91g増加
標準よりほんの少し小さめですが、先生は「ちょうど良い大きさだね
と、いつも言ってくれるので気にしてません。。。
というか、このデカい夫婦から産まれてくる子供だから、
きっと大きく育つであろうと思うと、妙に確信しています

ここ数日、腰の痛みでロクに外出出来なかったので私の体重は心配だったのですが、
何とか250gの増加に留めることが出来ました


甘い物やお煎餅なども「かなり」食べてしまったので、糖や蛋白も心配でしたが、
いずれもマイナスで安心しました。


急激に出てきた食欲と、足の付け根・腰の痛みから「いよいよ下がってきた」と、
ちょっとドキドキでしたが、内診の結果


「うーん、先週の状態とあまり変わってないね。もう少し先かな。」


そうですかーーーー



そりゃ、全然身体動かせてないし当然っちゃ当然なんですけど
でも、上記のお産の兆候に加えて、胎動の位置も何だか下がった気がするし、
これまで「ドスドス」「ボコッ」っていう「暴れん坊系」から
「グニョーン」「モニューン」っていう「アンニュイ系」な胎動(どんな胎動?(゜Д゜;)?)に変化が。
だから、ちょっとは兆候が見られるのかなーなんて思っていました。




指の怪我の事を考えれば、予定日付近で産まれて欲しいのですが、
この腰の痛みから早く解放されたいと思うと、産まれて欲しいかも。。。



子宮口をグリグリグリっと刺激して内診終了。。。痛かった


今日は一切待ち時間なしで診察終了でした



今日の夜は、結婚式をしたホテルで誕生日ディナーです
すんごい腰が痛いにも関わらず、ホテルから招待状が届いたその日に、
ものすごい勢いで予約しちゃいました
恐るべし、食に対する飽くなき執念