ちょっと日記サボッてしまいました。
その間に、地域役員の懇親会があったり(その前にさつま芋の苗植えがあったり…。(^^;;)、
男子バリボーがどんどん勝ってオリンピックの切符を手にしたり(植田監督が喜びのあまり派手にうつぶせに寝たり(笑))、
サッカーはオマーン戦でまさかの引き分けだったり(でも猛暑の中で頑張った)…。
そして、秋葉原で信じられない事件が起きてしまいました。
なぜ?
世の中がいやになったからって、無関係の罪もない人たちを次々と…!
今日職場でも当然、この話題が出ました。
ある先生がおそろしいことを言われました。
「あのニュースを最初に見たとき、ふとある男の子を思い浮かべてしまった」と。
成績優秀で人の目をじっと見て質問をしてくる真面目な男の子なんだそうです。
でも、人とのコミュニケーションがうまくとれない。
普段おとなしいのに、急にキレることがある。
すると別の年配の男の先生がこう言いました。
「前の学校でもそういう子がクラスにいましたよ。
ちょっと隣の子の肩が触れただけで激昂して、机をひっくり返したり…」
やはり普段はおとなしいのだと。
そしてこうも言われました。
「これからそういう子がどんどん増えてくると思いますよ」
なぜなんだろう?
何かがいびつに歪んでいるとしか思えない。
小さい頃、親の愛情を充分感じられずに育ったのかもしれない。
現に、男の先生が担任していたこの男の子は、父親から暴力を受けていたという幼児体験を持っているらしい。
挫折や閉塞感、今の若い人たちはハンパじゃないと思います。
経済が停滞し、将来に夢を持ちにくい世の中。
子どもの頃から競争ばかりで、しかも「勝つ」のはほんの一握り。
金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」が、とっても虚しく聞こえます。
今回の事件の犯人は、仕事を解雇されたと勘違いしたらしい。
自分の生活がうまくいかないのはみんな人が自分を理解しないせい。
自分なんて居なくなっても誰も困らない。
…などと掲示板に書き込んでいたらしい。
愛されたという記憶さえあれば。
誰か一人だけでも、悩みを相談できる友だちがいれば。
弱い心をそのまま預けられる信頼できる大人がいれば。
たまたまこの前観てきた映画『アフタースクール』で、主演の大泉洋のセリフにこんなのがありました。
『お前がつまらないのは、お前のせいだ』
学校がつまらないと言ってグレてゆく生徒たちに、そして、そのまま大人になりチンピラみたいになってしまった佐々木蔵之助演じる“同級生”に、教師である主人公はそう言うのです。
何かがうまくいかないことを人のせいにして、人を恨み、妬み、憎んでいく若者が、やけになってこんな事件を次々と起こしています。
でもそうじゃない。
たとえうまく行かないことがあっても、誰のせいでもない。
でも、自分のせいでもないかもしれない。
うまくいかないこともある。
うまくいくことのほうが珍しい。
勝つことだけが生きる目的じゃない。
犯人はなぜ、もう少し想像力を働かせることができなかったのか…と思います。
自分が危害を加えたそれぞれの人の人生に。
その人たちの家族や友人の気持ちに。
自分の親の気持ちにも。
彼には「自分」しかいなかったのでしょう。
彼の世界には他の誰も存在しなかったのでしょう。
孤独すぎる男の、自分勝手な行動は、だからと言って許されるものではない。
なんの罪もない、将来のある若い人たちが犠牲になったことに、深い悲しみをおぼえます。
こうやってつらつらと思いのままに書きながら、私もまた、出口のない暗い感覚をおぼえています。
少なくとも思うのは、学校や家庭で、もっと豊かな情操を養うような環境を作っていかなければいけないのではないか…ということ、
そして、一部の成功者の陰で報われない思いばかりする人が生まれないような社会の仕組みを…と、それだけです。
その間に、地域役員の懇親会があったり(その前にさつま芋の苗植えがあったり…。(^^;;)、
男子バリボーがどんどん勝ってオリンピックの切符を手にしたり(植田監督が喜びのあまり派手にうつぶせに寝たり(笑))、
サッカーはオマーン戦でまさかの引き分けだったり(でも猛暑の中で頑張った)…。
そして、秋葉原で信じられない事件が起きてしまいました。
なぜ?
世の中がいやになったからって、無関係の罪もない人たちを次々と…!
今日職場でも当然、この話題が出ました。
ある先生がおそろしいことを言われました。
「あのニュースを最初に見たとき、ふとある男の子を思い浮かべてしまった」と。
成績優秀で人の目をじっと見て質問をしてくる真面目な男の子なんだそうです。
でも、人とのコミュニケーションがうまくとれない。
普段おとなしいのに、急にキレることがある。
すると別の年配の男の先生がこう言いました。
「前の学校でもそういう子がクラスにいましたよ。
ちょっと隣の子の肩が触れただけで激昂して、机をひっくり返したり…」
やはり普段はおとなしいのだと。
そしてこうも言われました。
「これからそういう子がどんどん増えてくると思いますよ」
なぜなんだろう?
何かがいびつに歪んでいるとしか思えない。
小さい頃、親の愛情を充分感じられずに育ったのかもしれない。
現に、男の先生が担任していたこの男の子は、父親から暴力を受けていたという幼児体験を持っているらしい。
挫折や閉塞感、今の若い人たちはハンパじゃないと思います。
経済が停滞し、将来に夢を持ちにくい世の中。
子どもの頃から競争ばかりで、しかも「勝つ」のはほんの一握り。
金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」が、とっても虚しく聞こえます。
今回の事件の犯人は、仕事を解雇されたと勘違いしたらしい。
自分の生活がうまくいかないのはみんな人が自分を理解しないせい。
自分なんて居なくなっても誰も困らない。
…などと掲示板に書き込んでいたらしい。
愛されたという記憶さえあれば。
誰か一人だけでも、悩みを相談できる友だちがいれば。
弱い心をそのまま預けられる信頼できる大人がいれば。
たまたまこの前観てきた映画『アフタースクール』で、主演の大泉洋のセリフにこんなのがありました。
『お前がつまらないのは、お前のせいだ』
学校がつまらないと言ってグレてゆく生徒たちに、そして、そのまま大人になりチンピラみたいになってしまった佐々木蔵之助演じる“同級生”に、教師である主人公はそう言うのです。
何かがうまくいかないことを人のせいにして、人を恨み、妬み、憎んでいく若者が、やけになってこんな事件を次々と起こしています。
でもそうじゃない。
たとえうまく行かないことがあっても、誰のせいでもない。
でも、自分のせいでもないかもしれない。
うまくいかないこともある。
うまくいくことのほうが珍しい。
勝つことだけが生きる目的じゃない。
犯人はなぜ、もう少し想像力を働かせることができなかったのか…と思います。
自分が危害を加えたそれぞれの人の人生に。
その人たちの家族や友人の気持ちに。
自分の親の気持ちにも。
彼には「自分」しかいなかったのでしょう。
彼の世界には他の誰も存在しなかったのでしょう。
孤独すぎる男の、自分勝手な行動は、だからと言って許されるものではない。
なんの罪もない、将来のある若い人たちが犠牲になったことに、深い悲しみをおぼえます。
こうやってつらつらと思いのままに書きながら、私もまた、出口のない暗い感覚をおぼえています。
少なくとも思うのは、学校や家庭で、もっと豊かな情操を養うような環境を作っていかなければいけないのではないか…ということ、
そして、一部の成功者の陰で報われない思いばかりする人が生まれないような社会の仕組みを…と、それだけです。