* D i a r y * 

気の向くままに、日々雑感や映画・本の感想などを書いています。
基本的にアホな日常ですが、レビューはそこそこマジメです。

四十九日の法要を終え…

2009-03-31 23:34:43 | わたくしごと
29日に、母の49日の法要を無事済ませました。
49日までは、人の魂はこの世に留まっているけれど、この日を過ぎるといよいよ「あの世」へと修行の旅に出るのだそうです。
この1週間ほどちょっと寒さが戻ってきましたが、ちょうど桜が良い頃合となり、
そういう意味では、満開の花に送られて、母は最高の旅立ちをしたと思います。

今日までうちに泊まっていた妹一家も、今日千葉の自宅に帰っていきました。
なんかちょっとハイテンションな数日だったので、少し気抜けしたような感じ。

明日から、またボチボチ書いていきます。
とりあえず、今年の桜など。^^


こちらは桜の下でひなたぼっこするマルス。

寒さ逆戻り!

2009-03-27 23:17:15 | つぶやき
先週のぽかぽか陽気とはうって変わって、今週はとても寒い~~~!
庭の桜、突然花が咲き出した…と思ったのですが、ちょっと止まってます(笑)。

あさっては母の49日の法要があるため、春休みを利用して明日また妹と甥っ子が千葉からやってきます。
うちに泊まっている間に、ちょうど満開を迎えるかも。^^

いよいよ年度末、仕事も忙しく、慌しくあっという間に一日が過ぎてしまう。
私の今の嘱託職員の任期も31日で終わりです。

4月からは、同じ仕事を「臨時職員」という、言わば時給制のパートのような形でやらねばならず、時間も8時間から5時間に減ります。
こういうご時勢なので、それでも仕事があるだけ良いのかもしれないけど…忙しい時期を5時間で乗り切れるのだろうか?と不安もたっぷり。
でも割り切って、時間を有効に使おうと思います。

おくりびと/映画

2009-03-22 23:51:10 | 映画感想
母の月命日の翌日にDVDが届き、この連休にゆっくりと観ることができました。
観て良かった、とても良かった。
みんなに観てもらいたい映画、身近な人を亡くした経験のある人には特に。

* * * * * * * * 以下、感想 * * * * * * * *

小林大悟は、所属するオーケストラが解散したため妻と共に山形の田舎に帰り、たまたま見た求人広告を頼りに就職先を求めてある事務所に行った。
そこは「納棺師」を募集していた小さな会社だった。
激しく抵抗を感じながらも、断りきれずに仕事を始める大悟。
しかし、妻には言い出せぬまま月日が過ぎていった…。

思っていたよりずっと軽快なタッチで観やすい映画でした。
前半など、何度も声を出して笑ってしまったほど。

けれど、話が進むにつれてしんとした気持ちになりました。
納棺という日本独特の「儀式」には、ひとつひとつに意味があり、死者を悼む気持ちが込められています。
それはつい最近自分自身実感したことでもあり、とてもよく分かりました。

美しい納棺師の所作には、「形」の美ももちろんありますが、どこまでも死者へのいたわりと尊敬の気持ちが感じられました。
人はどんな一生を送ろうと、どんな亡くなり方をしようと、その「生」を尊敬され、お疲れ様でした、という優しい気持ちで送り出してもらうべきもの。

しかし主人公も、そしてその妻も、最初はとてもそんなことを理解できない。
次第に分かりかけていく大悟に比べ、妻の美香の「汚らわしい」と思う気持ちは、いわゆる「世間」の死に対する大方の見方なのかも…と思いました。

「汚らわしい」とまでは言わなくても、死には常に暗いイメージがつきまとうし、忌むべきもの、出来るならかかわりたくないもの…というのが普通でしょう。

でも、身近な人の死を通し、また丁寧な納棺師の所作を見て、そうではないのだということが美香と同じように観ている者にもだんだん分かってくるような作り方になっています。

生前には喧嘩をしたり、憎んだり、うらんだり…様々な感情を抱いていても、その人があちらへ逝く時には、おくる者たちは皆、感謝とねぎらいの気持ちを持ってお別れを言う、そのためのお手伝いが納棺師の仕事なのです。

まさに膝を打ちたくなるほど私の実感とピタッと合ったセリフがありました。
火葬場のおじいさんのポツンと呟くような言葉です。
死と生はさほど離れているものではないのだ、自分はあちらの世界に行く人を送り出す門番のようなものだ…と、そんな言葉。

最後の旅は、自分では何ひとつアレンジできません。
そうであればあるほど、まわりの人間は生前のその人の生き様を思いながら、精一杯美しく化粧を施し、心を込めて送り出してあげるべきなのだ、と思います。

見事アカデミー賞の外国作品賞を取った作品。
日本独特の儀式の面白さがウケたということもあるでしょうが、国境を越え、人が誰でも持っている「死」への畏敬の念に共感が集まったのだと思います。
つまりそれは「生」への畏敬の念でもあるのだけれど。

余貴美子さんの役柄、父親とのエピソード、細部に泣かせる仕掛けがあり、本当に心があたたかくなりました。
良い映画です。

次男の春♪

2009-03-18 22:55:35 | 子どもネタ
今日は、次男に春がやってきた日。
公立高校の合格発表の日でした。
なんとか合格できました~!(^^)v

私立は2月に一応受かっていたのだけど、第一志望は今日の高校だったので
やはり喜びもひとしおです。
実は、2年前長男がダメだったのもこの高校。
そして私の母校でもある…といういわくつき。

2年前は掲示板の前でUターンして(苦笑)、それ以上入れなかった!
今日は午後からの説明会を聞くために体育館に入れました。

とは言え私が卒業してからすごい年月…。
ちょうど校舎を改築して、間もなく完成というタイミングなので、ガラッと
変わってしまっていて、懐かしさはほとんど感じず。
ただ、校歌や校章や校訓は懐かしかったなぁ。

今年次男の同級生はとてもすごくて、11人中10人が合格。
みんな抱き合うようにして喜んでいました。

…が、残念ながらダメだった子もいるのです。
長男の時に、その辛さは味わっているので気持ちはとってもよく分かる。
しばらくはひきずってしまうものです。

でも、これはまだ通過点にすぎない。
自分を受け入れてくれた学校が行くべき学校、そこでいかに頑張るか!…が
次の勝負につながると思います。
長男も悔しさをバネにして、本当に頑張ってくれているし、今では自分の学校に
誇りを持っています。
落ちた子たちにも、是非、気落ちせず頑張って、と言いたい。

さて次男、おばあちゃんを亡くすという哀しい出来事も乗り越え、本当の意味で
春が来ました。

…が、明日は早速テスト!
春休みの宿題もたんまり出され、そうそう浮かれてばかりもいられないようで。^^

1ヶ月

2009-03-17 22:02:48 | わたくしごと
今日は母の最初の月命日。初月忌とも言うらしい。
つまり亡くなってちょうど1ヶ月経ったということです。

早かったような長かったような、なんとも言えない感じです。
時間が止まってしまったように感じる一方で、仏教上の様々な決め事をこなしていく時間は、どんどん流れてゆく気もしました。

止まった時間の外側を、もう一つの時間が無為に流れる…こんな交錯するような不思議な感覚は初めてでした。

とは言え、仕事も家事もいつも通りにしなければいけないわけで、そういう風に感じるのはふっと1人の時間が出来たときくらい。
あとはいつものようにドタドタ・バタバタ…とズッコケながらの日々でしたが。^^

不思議な出来事はまだ色々とあったので、書いて残しておきたいと思うのだけど、また後日。
今日は勤め先の小学校の(というか、このあたりの小学校は全部)卒業式。
それこそ忙しくてちと疲れが~~~!

でも良いお天気で良い卒業式でした。
うちの桜、また少し咲いていました。

卒業式用に先生が持ってこられたこぶしの枝、余ったので昨日もらって帰ってきたのだけど、あまりの暖かさに蕾が一斉に開いてすごい!

気がつけば…

2009-03-16 21:26:30 | わたくしごと
今日はポカポカと暖かい一日でした。
仕事から帰って、マルスを小屋からウッドデッキに連れてきてやり、ふと見ると…。

おお、なんと!
我が家の桜、花をつけていました。
一番桜です♪
他の枝には、ふっくら膨らんだ蕾もひとつ。

春がもうすぐそこです。^^

卒業式

2009-03-13 22:44:26 | 子どもネタ
福岡は、今日はとても変な天気!
『春2番』(?)が吹いて雨も降り、お世辞にも良いお天気ではありませんでした。
そんな中、次男たち中学3年生の卒業式がありました。

今までこんな心のこもった式を見たことがない…というくらい、素晴しい式でした。

卒業証書授与が終わり、校長先生や来賓の方の祝辞、祝電披露など、ひと通りのことが終わり…。
まずは在校生による先輩への呼びかけ。
続いて3年生による呼びかけと合唱。(えへへ、ここでなんと、我が子が代表で指揮をしました。ノリノリで気持ち良さそうでした♪)

それから卒業式実行委員の子を中心に、子どもたちが自分たちで考えた方法で先生へのお礼の言葉。
…クラス順に立ち上がり、一斉に先生の座っていらっしゃるほうを向いて、担任の先生にお礼を述べていくのです。
言葉を少しずつ分担してひとりひとり、時にはみんなで声を揃えて。

次男の担任は、たしか去年の春ここにも書いたけれど、とても子どもに人気のある男の先生。
型破りで小さなことにこだわらない、でも細やかに1人1人のことを考えていてくれる先生。
「ぼちぼち行こうよ」と、どんな子のことも大らかに見守って。

『○○先生は、この中学校の中で一番の変わり者でした!』という言葉で始まった挨拶だったけれど、挨拶の文章が進んでいくにつれ、中には声を詰まらせる子たちもいて(実は次男も)、彼らがどれだけ先生を慕っていたかが伝わってきました。

しめくくりは、先生がずっと言い続けてきた言葉『人を人として大切にすること』をこれからも胸に生きていきます!というものでした。ジ~~~ン。

他のクラスも、それぞれに先生の個性に合わせてよく考えられた挨拶でした。
先生方もニコニコ、そしてたびたび目頭を押さえられ…。
先生という仕事はとても大変だと思うけれど、こういう大きな喜びや達成感が何ものにも変えられないのだろうな~。

さて、担任のN先生は今まで3年生を何度も送り出してこられたけれど、卒業式で一度も泣いたことがないのだって。
それで、クラスみんなでこっそりと相談して、「自分たちのクラスが始めてN先生を泣かせたクラスになろう!」と、サプライズで歌のプレゼントをしたのです。

合唱コンクールで見事最優秀賞をとった自由曲を、音楽室でもう一度。
そして一人一人から花を渡して…。^^

でもね、先生はやっぱり泣きませんでした。
始終ニコニコしてました。

教室に戻ってからも、いつもと変わらない調子で卒業証書をあらためて1人ずつ渡し、1年前のこのクラスの出会いの頃から話をされました。
正直な話、個性のかたまりのようなクラスで、先生はすごく苦労もされたようですが、「ホント退屈しませんでした。面白かった~」と。

そして「君たちのことが本当は心配で、まだ卒業させられないような子もいっぱいおる。けど、もう時間切れです」と。
切ない言葉でした。

卒業証書の重みについても話されました。
最後はやっぱり「人を人として大切にする」・・・このことを繰り返されました。

あっさりしていて、穏やかで、「絶対学年で一番“号泣”してしまう」と心配していた次男も教室ではにこやかでした。

先生の話された中で一番心に残ったこと。
「みんなはこれからどんどん中学生活のことを忘れていく、きっとほとんど忘れてしまう、でも最後に何かは覚えている。」
「その、最後の残ったほんの少しのことが、『教育』だと思う」という言葉。

先生は、年度の初めに学年会議で「本当に個性豊かな学年なので、とにかく『やさしい子』に育てよう、そうじゃないと大変なことになる」と提案されたとか。
そして、差別に関する記事と子どもの作文を引用したプリントを親にも子にも配り感想を書かされました。
(自分がなんと書いたのかも忘れてしまったけれど…。)

彼らの心にやさしさの芽が芽生えた瞬間だったかもしれません。
本当に、色んな子たちがいて学級も常に何かが起こっていたようだったけれど、今日の子どもたちを見ていたら、先生との関係も友だち同士の関係も、素敵なものを築けたんだろうな~と思えました。

良い出会いの出来た3年間でした。^^

5年後には先生とお酒を飲みに行くみたいです。ちょっとついて行きたい…かも(笑)。

母からのメッセージ(2)

2009-03-11 23:07:08 | わたくしごと
先日の日記に書いたことは、もしかしたら本人たちの思い込み?…と思えなくもないと思います。

でも、もっとリアルに体験した人たちがいます。
次男とグッ○です。

お通夜の夜って、弔問のお客様が大体帰られたあとも、祭壇のある部屋に母を一人にしておくことはできません。
(しばらくしたら控え室に連れて帰るのだけど、それまでの間)

家族は交代で母に付き添います。
長男が部屋を出て、次男が入れ替わりに入っていこうとしたとき…。

足を踏み入れた時、ふと温度がガラッと変わったそうです。
急に暖かくなったのだって。
「あれ?」と思って思わず立ち止まったとき、母の声が聞こえたそうです。
「楽しかった」…って。

正確にいうと聞こえたというより、前頭葉のあたりに「母の言葉」として浮かんだ感じらしいです。

そして、また別のひととき。
次男はグッ○と一緒に斎場で母の棺の横に立ちながら、静かに流れる曲を聴いていたそうです。
(生前母が気に入っていた平原綾香の「ノクターン」などです)

次男が母の顔を見て「みんな『安らかに眠っているみたい』というけど、オレにはそんな風には見えないよ」と言ったそうです。
ちょうど顔のところだけ覗き窓のように開けられた部分にポトリと涙を落として。

次男があわてて零した涙を手で拭いていると、今度はグッ○に聞こえてきたそうです。
「○○ちゃん、泣いてくれてうれしいけど、哀しまなくてもいいから」
「誰でも通る道だから泣かないで」
それも母の言葉として浮かんだそう…。

2人がそれらのことを知らせてくれたのはもっとあとになって、火葬が済んでからのことでした。

チョコレートや最中の要求(?)といい、聞こえたのは父や妹や私ではありません。
私たちだって母の声を聞きたい。
でも、関係が近すぎて聞こえないのかもしれないな…なんて思ったりもします。

それともこれから聞こえることがあるのかも。
私には、今までそういう経験が一度もないので、ずっと無理かもしれません。

こんなことになるのなら、留守電によく入っていた母のメッセージを消去しなければ良かった…と思います。
「いよかんが沢山届いたから、取りにおいで~」とか、そんな些細なメッセージなのでしたが。

母からのメッセージ(1)

2009-03-08 23:30:28 | わたくしごと
母のお通夜以降、つまり母が亡くなってから、近しい者たちはそれぞれに母からのメッセージを受け取っていました。

お棺には、沢山の美しい花を入れて送り出しますが、そのほかに生前母が好きだったものを入れてよいと言われました。

私と妹はお通夜やお葬式の合間をぬって、母が好きだったスカーフと帽子を選びました。(本や貴金属はダメと言われ…。)

お通夜のお客様が皆さん帰られたあとだったか、とにかく夜、義弟(妹のダンナさん)が突然言いました。
「チョコレート!」
「お義母さんがチョコレートも入れてって言ってます」

母は甘いものが大好きで、いつもチョコやら飴やらガムやらクッキーやら…やたらと色々と買い込んでいました。
義弟も食べることが大好きな人で、たまに母と一緒にどこかに出かけることがあると、みやげ物屋の試食コーナーなどで、2人して食べて回っていたそうで。

それで義弟にメッセージを伝えたのでしょうね、一番分かってくれると思って。

翌朝、妹と2人で急いで実家に戻り、母がお取り寄せしていたであろう「六花亭」のホワイトチョコレートを探し出してお棺に入れました。

そしてその次は甥っ子(妹の息子=3年生)が言うのです。
「おばあちゃんが『最中』って言ってる!」(笑)

そう、葬儀屋さんが用意してくれていたお客様用のちょっとしたお菓子の中に、最中もありました。
すかさずそれを一つ頂戴してお棺の中へ…。

なんとかこれで母も安心したようで、これ以上リクエストはありませんでした。

嘘のような本当の話です♪

でも母からのメッセージはまだまだ続きます。
それはまた今度…。

長男、帰宅!

2009-03-07 23:19:07 | 子どもネタ
母にまつわることは、おいおい書いていくことにして今日は別の話題を。

実は3/2から修学旅行に行っていた長男が帰ってきました。
彼の高校は志賀高原と東京というコース。
そう、スキーがメインの修学旅行です!

彼が小3の時、家族で一度だけニセコでスキーをしたことがあるのですが、やはり
子どもの時に身体で覚えたことって身についているみたい。
すぐに勘を取り戻して随分滑れたようです。^^
上級コースまで行ったようで、かなり楽しんできました。

東京は班別自由行動ということで、事前にみんなで行きたい所を話し合って、コースを考えていたようです。
長男たちは、渋谷・原宿、浅草、夜の東京タワーだって。

東京タワーに登って見た大都会の明るい夜景が綺麗だったそうです。
タワーの携帯ストラップ、お土産に買ってきてくれました。


あとは、私のリクエストの「雷おこし」と、「東京ばな奈」「お煎餅」など、定番の物を色々と…。^^
雪焼けした元気な顔と、「楽しかった」という言葉だけで充分でしたけど♪

今日はWBCも韓国にコールド勝ちだったし、気分の良い日です。

不思議なこと(続き)

2009-03-04 22:59:01 | わたくしごと
車の中で「チリン」とリン(鐘)の音がしたのは昨日書いたけれど、その前にも
もう一つとっても不思議なことが…。

そう、母の遺骨やお位牌、仏具を実家からうちに移動させようと、妹とせっせと準備をしていた時のことです。
箱に一つずつ片付けて、それまで仏具を置いていた借り物のテーブルを畳もうとしたときです。

そのテーブルには、お線香立て、蝋燭立て、リン、リンの棒、マッチの燃えかす入れしか置いていなかったのです。
それらを全て箱にしまいテーブルの上をふと見ると、中央付近が濡れている!
あれ、蝋燭の蝋がこぼれたのかな?と手で触ってみると、蝋などではなくて完全にさらさらのお水。
透明でにおいもない本当にきれいな水でした。
水がこぼれるような物は何もなかったはずなのに…。
妹と2人で頭をひねりました。
そしてやっぱりここでも「あ、おかーさんの仕業だ!」ということに。^^

それから車の中で、例の「チリン」です。
随分イタズラの好きな母でしょう(笑)。

<補記>
実家には、実は今まで仏壇がありませんでした。
父も母も、それぞれの実家(鹿児島と埼玉)を出て新しい世帯を作っているので、今回初めて仏壇を置く必要が出てきたわけです。
(もちろん、祖父母にお線香をあげるため、簡単な仏壇(神棚?)は箪笥の一部を利用してしつらえてはいたのですが…)

それで、とりあえず火葬から戻った母のために、葬儀屋さんから仏具一式をお借りして、にわか仕立てのお仏壇を作ってもらったのでした。
(今って便利です~~~)

せっかく作ってもらったお仏壇を、父をうちに泊めるためとは言え、さっさと片付けて私の家に移動させるなんて…と、妹も私も若干の良心の呵責はありました。
…が、父を一人にしたくない!という想いがあり、また、そういうことに母は全くこだわらないタイプの人間だったのでいざ断行!

翌朝、葬儀屋さんが父の家に来るということになったので、朝は大慌てで戻って、何食わぬ顔をして元に戻しておきました。
あ~あ、ハラハラした~。

そして余談ですが、今日、父と2人で仏壇を注文してきました。
マンション用の小さいけれど品のある、立派なものです。
これで母も落ち着けると思います。

お仏壇の種類も色々とあり、仏具のデザインも素材も様々。
そして一つ一つに意味があり、とても興味深いものでした。
父もほっと一安心というところです。^^

不思議な出来事はまだあります。またそのうちに。(さらに小出し…。^^)

ありがとうございます♪

2009-03-03 23:09:58 | わたくしごと
先日の日記を書いてから、色んな方にコメントやメールなどで励ましのお言葉をいただきました。
本当にありがたいことだと思っています。

急なことにもかかわらず、数人の友人が受付を快く引き受けてくれたし、沢山の方々に弔問にも来ていただきました。
今日も思いがけない遠方の友人からお手紙とお香典が届きました。

結婚してからほとんど専業主婦だった母、しかも父が会社を退職してから随分長い年月が経ちました。
にもかかわらず、本当に多くの方に別れを惜しんでいただけて、母は幸せ者です。

病気の出ない時は、明るく社交的で世話好き、人の心にまっすぐ飛び込んでいくような性格の母は、娘の私が思っていた以上に人から好かれていたようです。
お茶目でユーモアがあり、笑うことが大好きでした。

実は亡くなってから不思議なことが幾つかありました。
葬儀を終えた日、父を一人にするのが可哀想で、母の遺骨やお位牌を一式持ってみんなでうちに来たのですが(そんなことして世間では顰蹙かもしれないけど)、その移動の車の中で、突然「チリン!」と鐘の音が…!

お仏壇でお線香をあげる時に鳴らすあの鐘(『リン』というらしい)です。

車の振動で音が出たのかと思ったのですが、仏具を持っていた父が一番最初に「なんだ?今の音は…」と。
父の手元のリンは揺れもぶつかりもしていなかったのです。

それですぐにみんな納得しました。
「おかーさーん!」というわけです。
一緒に移動してるよ、と知らせてくれたのかもしれません。
イタズラして笑っている母を思い浮かべました。

ほかにも色々とあるのですが、小出しにします(笑)。
今回思ったのは、『魂はそばにいる』ということです。
肉体は亡くなっても、その人はそばにいるのです。
私の中で、死は以前よりずっと近くて、怖くないものになりました。