日付は変わってしまいましたが、
今日は特別な日でした。
私の住む地域は、
東日本大震災の被災地域ではありましたが、
内陸の方であったため、
津波による被害はありませんでした。
私自身と、
身近な人に特に大きな被害はなく、
大変な被害を被った方々を思うと、
被災者と名乗るのははばかられますが、
あの日、
私がどうしていたかを話すことくらいなら、
記事にしてもいいかなと考えました。
最近のネペンテス栽培記では、
あまり私生活について書きませんでしたが、
あの日という形で、
4年前の3月11日を書き記しておこうと思います。
4年前のあの日、
風邪で寝込んでいた私は、
大きな揺れを感じ、
驚いて外に飛び出しました。
下から突き上げるような振動の中、
目の前で見た光景は衝撃的なものでした。
山が、波打っている。
私の家のすぐ裏は山になっており、
そこから見えるいつもの景色は、
私自身の揺れと大地の揺れで、
文字通り山が動いて波打っているように見えました。
こんなに長く大きな揺れが続くのは、
もちろん生まれて始めてで、
被害はどうなるかと心配しましたが、
私の家も含めた近所で何かおきた様子もなく、
風邪が悪化しそうになった私は部屋に戻り、
そのまま眠りにつきました。
異変に気づいたのは、
目が覚めた時でした。
やけに暗いなと思ったことを、
今でもはっきりと憶えています。
陽が沈み、
夜になりかけていたので、
暗いのは当たり前なのですが、
それにしてはやけに暗いのです。
今はわかるのですが、
そのとき、
町全体が停電していたため、
家電のわずかな光もなくて暗かったのですが、
私は、
電気を点けないとこんなに暗いものだったか、
違和感を感じたのです。
休みの日とはいえ、
会社からまったく電話が来ないのも珍しいなと思いました。
あまり話しに出ることはありませんが、
大地震が来る前に、
何度か大きな地震が立て続けに起きていたので、
私はまだ、
深刻な状況になっているとは思ってなかったのです。
大きな地震で凄いなとは感じましたが、
これまで大きな被害はなかったので、
ニュースで少し流れて終わりだろうと思っていたのです。
携帯を手に取ると、
電波がなく、
不通状態。
家の電気をつけようとしてもつかず、
また落ちたかと、
ブレーカーを見に行きましたが異常なし。
そして、
いつも帰ってくる時間なのに、
親が帰ってきません。
テレビも見れません。
お腹が空いたので、
母ちゃんはまだかなと、
一人で家で座って過ごしていました。
のん気だと思うでしょうが、
何も情報がないと、
人ってそんなもんなんです。
深刻な事態なんて思いもしなかったんです。
さすがに我慢できなくなって、
具合が悪い中、
着替えて外に出ました。
コンビニで何か食べるもの買って、
公衆電話から会社に電話してみようと考えたのです。
地震で何かトラブルは起きてないか、
その程度の認識でした。
外に出ると、
星が本当にきれいでした。
まだそんなに遅い時間じゃないはずなのに、
こんなに星が見えるものかと思いました。
そして、
裏道を歩き、
コンビニに到着して、
初めて異常事態に気づきました。
無数の車でごった返す駐車場。
真っ暗な店内。
懐中電灯片手に歩き回る人々。
品物が消えた陳列棚に、
電卓で会計をする店員。
驚きで、
とても並ぶ気になれなかった私は、
急いで家に帰りました。
さすがに気づきました。
星が沢山見えたのは、
町全体が停電して、
真っ暗闇であるからだと。
家に戻り、
どうなってるかとテレビを見ようと思っても、
電気がないので見れません。
もどかしくなった私は、
車に飛び乗り、
一旦会社に行こうと考えました。
携帯もつながらないので、
まったく状況がわかりません。
そして道路に出て、
大変なことになってると改めて認識しました。
消えた信号機、
渋滞する車、
走り回る緊急車両、
とても走れる状況ではありませんでした。
片側二車線の道路を、
信号機なしでこの渋滞の中、
どう突っ切ればいいのか。
頭痛と吐き気で運転が怖くなった私は、
家に引き返し、
どうしようかと考えました。
電波がないため、
携帯のネットも見れません。
携帯のテレビもつながりません。
なんだ、
何が起きてるんだと思ったとき、
そういえば、
車にカーナビがついてたとようやく思い出しました。
ナビのテレビならうつるかも。
焦るとそんな単純なことも忘れてしまうようです。
車に戻った私は再びエンジンをかけ、
ナビのテレビをつけました。
そしてそこで初めて、
この大地震の引き起こした惨状を知ることになるのです。
それからは、
ただ復興を見守る日々でした。
自分に出来ることは特になく、
こんな状態でも、
みんな仕事するんだなと、
どこか他人事だったように思います。
復旧しない電気、
供給が絶たれたガソリン、
車の変わりに、
自転車で出社しても、
ただイスに座ってるだけの毎日。
こういうとき、
何か人のために出来る人間になりたいと思いましたが、
何も出来ずに一日を過ごしていました。
あれから4年、
何も変化がないまま今日を迎えることになってしまいました。
ただまぁ、
いま思うことは、
結局、
自分に出来ることを、
ただやっていくしかないということです。
それが周りにどう影響するかで価値が変わり、
昨日まで積み重ねてきたことで、
今日なにが出来るか、
それを日々見つめなおし、
行動していくしかないってことです。
大震災の年、
実は私、
ネペンテスを買っているんです。
そのとき、
ネペンテスのコレクションを増やしていこうかなと、
漠然と思ったことが、
このネペンテス栽培記につながっていることを思うと、
何か感慨深いものがあります。
何かあったとき、
人の力になれる男になりたいと思う気持ちは、
今も変わっていません。
何にも出来ない無力でちっぽけな自分と、
ネペンテスが出会ったところで、
何かが変わるとは誰も思わないでしょう。
私以外は。
まだ何も結果を残していませんが、
この栽培記を通じて、
ネペンテスや、
はたまたネペンテス以外で、
何か偉業を成し遂げられたら、
これほど嬉しいことはありません。
三日も続かない私が、
ここまで続けてきたのだから、
どうせならまだまだ続けてやろうと思っています。
こんな小さな決意が、
この世の中にどう影響していくのか、
なんとなく自分を見つめ返す日となった一日でした。
今日は特別な日でした。
私の住む地域は、
東日本大震災の被災地域ではありましたが、
内陸の方であったため、
津波による被害はありませんでした。
私自身と、
身近な人に特に大きな被害はなく、
大変な被害を被った方々を思うと、
被災者と名乗るのははばかられますが、
あの日、
私がどうしていたかを話すことくらいなら、
記事にしてもいいかなと考えました。
最近のネペンテス栽培記では、
あまり私生活について書きませんでしたが、
あの日という形で、
4年前の3月11日を書き記しておこうと思います。
4年前のあの日、
風邪で寝込んでいた私は、
大きな揺れを感じ、
驚いて外に飛び出しました。
下から突き上げるような振動の中、
目の前で見た光景は衝撃的なものでした。
山が、波打っている。
私の家のすぐ裏は山になっており、
そこから見えるいつもの景色は、
私自身の揺れと大地の揺れで、
文字通り山が動いて波打っているように見えました。
こんなに長く大きな揺れが続くのは、
もちろん生まれて始めてで、
被害はどうなるかと心配しましたが、
私の家も含めた近所で何かおきた様子もなく、
風邪が悪化しそうになった私は部屋に戻り、
そのまま眠りにつきました。
異変に気づいたのは、
目が覚めた時でした。
やけに暗いなと思ったことを、
今でもはっきりと憶えています。
陽が沈み、
夜になりかけていたので、
暗いのは当たり前なのですが、
それにしてはやけに暗いのです。
今はわかるのですが、
そのとき、
町全体が停電していたため、
家電のわずかな光もなくて暗かったのですが、
私は、
電気を点けないとこんなに暗いものだったか、
違和感を感じたのです。
休みの日とはいえ、
会社からまったく電話が来ないのも珍しいなと思いました。
あまり話しに出ることはありませんが、
大地震が来る前に、
何度か大きな地震が立て続けに起きていたので、
私はまだ、
深刻な状況になっているとは思ってなかったのです。
大きな地震で凄いなとは感じましたが、
これまで大きな被害はなかったので、
ニュースで少し流れて終わりだろうと思っていたのです。
携帯を手に取ると、
電波がなく、
不通状態。
家の電気をつけようとしてもつかず、
また落ちたかと、
ブレーカーを見に行きましたが異常なし。
そして、
いつも帰ってくる時間なのに、
親が帰ってきません。
テレビも見れません。
お腹が空いたので、
母ちゃんはまだかなと、
一人で家で座って過ごしていました。
のん気だと思うでしょうが、
何も情報がないと、
人ってそんなもんなんです。
深刻な事態なんて思いもしなかったんです。
さすがに我慢できなくなって、
具合が悪い中、
着替えて外に出ました。
コンビニで何か食べるもの買って、
公衆電話から会社に電話してみようと考えたのです。
地震で何かトラブルは起きてないか、
その程度の認識でした。
外に出ると、
星が本当にきれいでした。
まだそんなに遅い時間じゃないはずなのに、
こんなに星が見えるものかと思いました。
そして、
裏道を歩き、
コンビニに到着して、
初めて異常事態に気づきました。
無数の車でごった返す駐車場。
真っ暗な店内。
懐中電灯片手に歩き回る人々。
品物が消えた陳列棚に、
電卓で会計をする店員。
驚きで、
とても並ぶ気になれなかった私は、
急いで家に帰りました。
さすがに気づきました。
星が沢山見えたのは、
町全体が停電して、
真っ暗闇であるからだと。
家に戻り、
どうなってるかとテレビを見ようと思っても、
電気がないので見れません。
もどかしくなった私は、
車に飛び乗り、
一旦会社に行こうと考えました。
携帯もつながらないので、
まったく状況がわかりません。
そして道路に出て、
大変なことになってると改めて認識しました。
消えた信号機、
渋滞する車、
走り回る緊急車両、
とても走れる状況ではありませんでした。
片側二車線の道路を、
信号機なしでこの渋滞の中、
どう突っ切ればいいのか。
頭痛と吐き気で運転が怖くなった私は、
家に引き返し、
どうしようかと考えました。
電波がないため、
携帯のネットも見れません。
携帯のテレビもつながりません。
なんだ、
何が起きてるんだと思ったとき、
そういえば、
車にカーナビがついてたとようやく思い出しました。
ナビのテレビならうつるかも。
焦るとそんな単純なことも忘れてしまうようです。
車に戻った私は再びエンジンをかけ、
ナビのテレビをつけました。
そしてそこで初めて、
この大地震の引き起こした惨状を知ることになるのです。
それからは、
ただ復興を見守る日々でした。
自分に出来ることは特になく、
こんな状態でも、
みんな仕事するんだなと、
どこか他人事だったように思います。
復旧しない電気、
供給が絶たれたガソリン、
車の変わりに、
自転車で出社しても、
ただイスに座ってるだけの毎日。
こういうとき、
何か人のために出来る人間になりたいと思いましたが、
何も出来ずに一日を過ごしていました。
あれから4年、
何も変化がないまま今日を迎えることになってしまいました。
ただまぁ、
いま思うことは、
結局、
自分に出来ることを、
ただやっていくしかないということです。
それが周りにどう影響するかで価値が変わり、
昨日まで積み重ねてきたことで、
今日なにが出来るか、
それを日々見つめなおし、
行動していくしかないってことです。
大震災の年、
実は私、
ネペンテスを買っているんです。
そのとき、
ネペンテスのコレクションを増やしていこうかなと、
漠然と思ったことが、
このネペンテス栽培記につながっていることを思うと、
何か感慨深いものがあります。
何かあったとき、
人の力になれる男になりたいと思う気持ちは、
今も変わっていません。
何にも出来ない無力でちっぽけな自分と、
ネペンテスが出会ったところで、
何かが変わるとは誰も思わないでしょう。
私以外は。
まだ何も結果を残していませんが、
この栽培記を通じて、
ネペンテスや、
はたまたネペンテス以外で、
何か偉業を成し遂げられたら、
これほど嬉しいことはありません。
三日も続かない私が、
ここまで続けてきたのだから、
どうせならまだまだ続けてやろうと思っています。
こんな小さな決意が、
この世の中にどう影響していくのか、
なんとなく自分を見つめ返す日となった一日でした。
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