悠の食虫植物 ネペンテス普及委員会 (和名 ウツボカヅラを世に広める会)

食虫植物のネペンテスを広めていくためのブログ。

ネペンテス栽培記 131 あれから4年

2015年03月12日 01時15分29秒 | 悠のネペンテス栽培記
日付は変わってしまいましたが、

今日は特別な日でした。


私の住む地域は、

東日本大震災の被災地域ではありましたが、

内陸の方であったため、

津波による被害はありませんでした。


私自身と、

身近な人に特に大きな被害はなく、

大変な被害を被った方々を思うと、

被災者と名乗るのははばかられますが、

あの日、

私がどうしていたかを話すことくらいなら、

記事にしてもいいかなと考えました。




最近のネペンテス栽培記では、

あまり私生活について書きませんでしたが、

あの日という形で、

4年前の3月11日を書き記しておこうと思います。





4年前のあの日、

風邪で寝込んでいた私は、

大きな揺れを感じ、

驚いて外に飛び出しました。





下から突き上げるような振動の中、

目の前で見た光景は衝撃的なものでした。






山が、波打っている。






私の家のすぐ裏は山になっており、

そこから見えるいつもの景色は、

私自身の揺れと大地の揺れで、

文字通り山が動いて波打っているように見えました。



こんなに長く大きな揺れが続くのは、

もちろん生まれて始めてで、

被害はどうなるかと心配しましたが、

私の家も含めた近所で何かおきた様子もなく、

風邪が悪化しそうになった私は部屋に戻り、

そのまま眠りにつきました。



異変に気づいたのは、

目が覚めた時でした。


やけに暗いなと思ったことを、

今でもはっきりと憶えています。


陽が沈み、

夜になりかけていたので、

暗いのは当たり前なのですが、

それにしてはやけに暗いのです。



今はわかるのですが、

そのとき、

町全体が停電していたため、

家電のわずかな光もなくて暗かったのですが、

私は、

電気を点けないとこんなに暗いものだったか、

違和感を感じたのです。



休みの日とはいえ、

会社からまったく電話が来ないのも珍しいなと思いました。



あまり話しに出ることはありませんが、

大地震が来る前に、

何度か大きな地震が立て続けに起きていたので、

私はまだ、

深刻な状況になっているとは思ってなかったのです。


大きな地震で凄いなとは感じましたが、

これまで大きな被害はなかったので、

ニュースで少し流れて終わりだろうと思っていたのです。



携帯を手に取ると、

電波がなく、

不通状態。



家の電気をつけようとしてもつかず、

また落ちたかと、

ブレーカーを見に行きましたが異常なし。


そして、

いつも帰ってくる時間なのに、

親が帰ってきません。



テレビも見れません。


お腹が空いたので、

母ちゃんはまだかなと、

一人で家で座って過ごしていました。



のん気だと思うでしょうが、

何も情報がないと、

人ってそんなもんなんです。


深刻な事態なんて思いもしなかったんです。


さすがに我慢できなくなって、

具合が悪い中、

着替えて外に出ました。



コンビニで何か食べるもの買って、

公衆電話から会社に電話してみようと考えたのです。

地震で何かトラブルは起きてないか、

その程度の認識でした。




外に出ると、

星が本当にきれいでした。


まだそんなに遅い時間じゃないはずなのに、

こんなに星が見えるものかと思いました。


そして、

裏道を歩き、

コンビニに到着して、

初めて異常事態に気づきました。



無数の車でごった返す駐車場。

真っ暗な店内。

懐中電灯片手に歩き回る人々。

品物が消えた陳列棚に、

電卓で会計をする店員。



驚きで、

とても並ぶ気になれなかった私は、

急いで家に帰りました。


さすがに気づきました。


星が沢山見えたのは、

町全体が停電して、

真っ暗闇であるからだと。



家に戻り、

どうなってるかとテレビを見ようと思っても、

電気がないので見れません。



もどかしくなった私は、

車に飛び乗り、

一旦会社に行こうと考えました。


携帯もつながらないので、

まったく状況がわかりません。



そして道路に出て、

大変なことになってると改めて認識しました。



消えた信号機、

渋滞する車、

走り回る緊急車両、

とても走れる状況ではありませんでした。



片側二車線の道路を、

信号機なしでこの渋滞の中、

どう突っ切ればいいのか。


頭痛と吐き気で運転が怖くなった私は、

家に引き返し、

どうしようかと考えました。


電波がないため、

携帯のネットも見れません。

携帯のテレビもつながりません。



なんだ、

何が起きてるんだと思ったとき、

そういえば、

車にカーナビがついてたとようやく思い出しました。

ナビのテレビならうつるかも。



焦るとそんな単純なことも忘れてしまうようです。

車に戻った私は再びエンジンをかけ、

ナビのテレビをつけました。


そしてそこで初めて、

この大地震の引き起こした惨状を知ることになるのです。





それからは、

ただ復興を見守る日々でした。


自分に出来ることは特になく、

こんな状態でも、

みんな仕事するんだなと、

どこか他人事だったように思います。



復旧しない電気、

供給が絶たれたガソリン、

車の変わりに、

自転車で出社しても、

ただイスに座ってるだけの毎日。




こういうとき、

何か人のために出来る人間になりたいと思いましたが、

何も出来ずに一日を過ごしていました。



あれから4年、

何も変化がないまま今日を迎えることになってしまいました。






ただまぁ、

いま思うことは、

結局、

自分に出来ることを、

ただやっていくしかないということです。


それが周りにどう影響するかで価値が変わり、

昨日まで積み重ねてきたことで、

今日なにが出来るか、

それを日々見つめなおし、

行動していくしかないってことです。



大震災の年、

実は私、

ネペンテスを買っているんです。


そのとき、

ネペンテスのコレクションを増やしていこうかなと、

漠然と思ったことが、

このネペンテス栽培記につながっていることを思うと、

何か感慨深いものがあります。



何かあったとき、

人の力になれる男になりたいと思う気持ちは、

今も変わっていません。



何にも出来ない無力でちっぽけな自分と、

ネペンテスが出会ったところで、

何かが変わるとは誰も思わないでしょう。


私以外は。



まだ何も結果を残していませんが、

この栽培記を通じて、

ネペンテスや、

はたまたネペンテス以外で、

何か偉業を成し遂げられたら、

これほど嬉しいことはありません。



三日も続かない私が、

ここまで続けてきたのだから、

どうせならまだまだ続けてやろうと思っています。



こんな小さな決意が、

この世の中にどう影響していくのか、

なんとなく自分を見つめ返す日となった一日でした。




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