悠の食虫植物 ネペンテス普及委員会 (和名 ウツボカヅラを世に広める会)

食虫植物のネペンテスを広めていくためのブログ。

大富豪計画書 12 取り合えずいったんまとめ その1

2020年01月16日 01時56分19秒 | 悠々自適に思うがままに

あけましてー、






おめでとうございまーす!!!






ことよろことよろ。


えー、
いつの間にか年末も過ぎ、
気づいたら年も明けて、
明けましてと言うのも遅いくらい日が開いてしまいましたが、
元気でおりました。

あけおめとかことよろとか、
日本古来から伝わるおめでたい言葉なのに、
略して軽く言うのはいかがなものか、
というご意見もあるでしょうが、
ことよろという言い方自体は、
若干の表現の違いはあれど、
言葉としては、
江戸時代からある略語らしいんですよ。

じゃあいいか。


いつもでしたら、
年明けの投稿は、
この変なテンションのまま、
二日もおぼえてないような抱負を、
ペラペラと得意げに語るところだった気がするのですが、
今年はまだ年が明けてるという実感もないまま、
1月の中旬になってしまいましたので、
はたしてこれから何をしていけばいいのか、
今年どころか今後の方向性の目処もついていない今日この頃、
いかがお過ごしでしょうか。


お久しぶりです、
悠です。


え~、
また近況だけで終わりそうなので、
最近の状況はちょっと端折りますが、
まぁ元気でやっておりました。

全然元気じゃない時の方が多かった気がしますが、
逆に元気だった瞬間はと聞かれると、
ちょっとパッと出てこないので、
普段からそんな感じで、
いつも通りだという仮定をすると、
いつも通りならじゃあ元気だったんだと、
まぁそういう状態なわけですね。


で、
話しを進めまして、
このブログ、
ネペンテスのためのブログじゃないですか。

いったいいつまで、
ブログタイトルとは関係のない、
こんな無意味なコーナーを続けているんだよと、
全方位から呆れられ、
見放されつつあるのは、
重々承知してはいるんですよ。

一応は、
このコーナー自体が幾つかある伏線の一つで、
最終的にネペンテス普及委員会の本題にドーンと乗っかって、
すべて回収していく計画だったのですが、
いかんせんね、
私自身がですよ、
人生において、
計画通りいったことは一回もなく、
そもそも、
計画通りにやるということ自体、
してこなかったわけで。

開始した当初から、
こりゃ企画ですらない、
ただの妄想だわと思っていたのですが、
まぁただ、
寄り道をしたことによって、
気づいたことも多々あるわけで。

私ね、
ネットで見たツィート集の中に、
ちょっと好きなやり取りがありまして。

旅行って何がいいのか、
というお題でやり取りをしているのですが、
自由とか知らないところに行くとか、
色々な人に出会えて話せるとか自分探しとか、
住んでいた地域や日本では味わえない景色とか経験とか、
準備とか発見とか、
行ったことない場所に行くこと自体が単純に楽しくて新しいことが学べるとか、
色々と参考になる意見もある中、
お金や時間の無駄とか、
ただ疲れるだけでそもそも全然楽しくないとか、
目的もなしに行くこと自体が無意味とか、
そういうマイナス要素での反論も多く、
精神的に病んでるから旅行以外でも楽しめていないとか、
第一、
人生そのものがうまくいってないから、
旅行の何がいいのかが理解できないんだとか、
そういうネガティブな意見やせめるような反論が増えてきた中で、
「旅行って、自分の家の良さを再確認するために行くんだろ」
という返しがありまして。

まぁちょっと笑いを誘う感じなのかもしれませんが、
要はそういうことなのかもなと、
ちょっと思っちゃったわけですよ。

旅行という議題とは離れますが、
自分の現状を知るには、
いったん自分とはまったく関係ないところに行って、
そこでの常識を受け入れ理解して、
戻ってから改めていまの現状を見ることで、
良い悪いは抜きにして、
行く前とはちょっと違う視点ができる、
ということもあるかもな、
ということです。

まさに井の中の蛙ですが、
知らないままが1番いいのか、
大海を知ることによって、
幸せにつながるのか、
それはもう人それぞれかもしれません。

でも私が日本人らしいなと思ったところは、
「井の中の蛙、大海を知らず」
一見すると、
傲慢を戒めるための教訓であり、
無知の恥と危険性を説くための中国で生まれたこのことわざに、
ある言葉を足したことです。

そう、
「されど空の青さを知る」
ですね。

ただの負け惜しみにしか聞こえず、
論破を回避するための屁理屈と捉えられそうではありますが、
言葉の意味を無意味に読みたがる私にとっては、
確かに井戸は狭くて暗いですが、
自分の知らない大きな世界が外に広がっていることは知っていますし、
そういう世界に対して、
どう出るべきかもちゃんと日々考えていますよという、
日本人ならではのアンサーな気がしてならないんですよね。

そして、
他の人が色々なものに目移りしている中、
私はその一点だけをずっと見ていましたという生き方の比喩。




まぁ、
人生に正解なんてあれば誰も苦労しないですし、
決まっているんだったら誰もやらないわけで。

答えになっているわけではありませんが、
現状に疑問しか持っていない私は、
取り合えず、
井戸の中の水から顔を出してみることにしたわけです。

水から出ると、
空の青がよりハッキリと見える。

そうなると、
今でも十分に見えるのに、
もっと近くで見たくなる。

水から出るのは思ったよりきつく、
井戸の壁を登っていくのは途方もなく大変そうで、
登っている間に下の水が残っているかもわかりませんが、
上にある青の意味がなんなのか、
どうしても知りたくなってしまいました。

こう書くとなんか詩的で自分に酔ってる感じですが、
要は偉そうなことは言うけど行動しない、
行動しない割には結果について偉そうに語る、
語る割には責任も実績もない、
もうどうしようもない奴なんですよ私は。

だから、
はたから見ると、
やっぱりそうとうおかしい奴で、
頭がわいてるようにしか見えないこの富豪計画も、
私の中ではある考えのもとに、
決意を持ってやっているわけです。

それを人は頭のおかしい奴と言うわけで。


本当の意味での良い人なんて世の中にはいないわけで、
いるのはただの迎合主義で何もしない人なだけか、
(自分にとって都合がいいかどうでも)いい人か、
そのどちらかでしかない。


だから、
家族的な意味でのパートナーか、
ビジネス的な意味でのパートナー以外で、
いい人と評価されたら、
それはもう無価値という評価だと思った方がいい。

いい人と言われたら、
邪魔じゃないだけで、
いてもいなくても本当にどうでもいい人、
と思われてると思った方がいいです。

随分と乱暴な論理じゃないかと思われるでしょうが、
私が言いたいのは、
「いい人の定義」ではなく、
必要だと思われる人、
一緒にいたいと思われる人、
いてくれて良かったと思われる人、
そうい人になれるよう、
日々行動して、
結果を出し、
実績を積み上げていこう、
ということです。

そして、
誰かにとって必要な人は、
他の誰かにとって、
不利益な人になる可能性がある、
ということです。

これはもうどうしようない、
生存競争の原理ですね。

決まってる枠がうまっているのなら、
力づくでも空けてもらうしかない。

そうなると、
迎合主義者の何もしない「いい人」は、
すぐ争いを想像して退いてしまうか、
一度失敗するとただただ後悔してしまうかですが、
何度かやってみると、
実際には違う展開になることが多いんですね。

ならもう一つ上の枠を懸けて勝負だ、
とか、
枠を増やすためにいったん手を組もう、
とか、
少年漫画みたいな熱い展開になることが、
意外と小さいことでもちょこちょこ起こるんですよ。

だから、
結果がどうしても出ない時は、
力を入れるところが違かったり、
焦って空回りして要所に力が入ってなかったりと、
単純なことが本当に多いんですね。

もしくは、
ただ現実を受け入れるのが怖くて、
やっているふりだけして逃げ回っていたか。

私は完全に逃げ回っていました。

だから今があると理解しています。

そして今後もそうだと思っています。

このままだったら、
ですが。


おっと、
もうこんな時間。


久々なんで、
ベラベラ書いてしまいました。


ではでは、
また次回、
お会いしましょう。



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