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遊名人壱實

まさかのものがまさかなものを作る意外性の面白さに溺れ狂っています。今後手遊びの作品を紹介したいと思います。

一年を振り返る

2015年12月31日 | 回想記
 今年も大晦日を迎え、今、除夜の鐘を聞きながら今年最終のNO58号の更新をしています。 
 昨年12月29日、≪おばけ灯籠いまばり≫でブログデビュー、一年を迎えた。それも私には力も知恵も全く無し、全て
同級生の師匠のお蔭なのです。でなきゃこの歳では無り、む理、絶対に!。私がやっと《ハイ、ハイ》し始めたのは2月
《御朱印をいただきました》から、それも当然、師匠に聞きながら悪戦苦闘。よくぞこの頭の強くない私を、気を長~く、
諦めず、ご教授賜りありがとう。
 写真は初更新の手作り写真集《いまばり》と、中表紙を飾った第一灯我が庭のあかりのともる石庭結のおばけ灯籠です。
        

     闇一灯おばけ灯籠辻あかり

 3月初め、師匠からメール《知ってますか、一位になっていますョ》と、何のことやら、で連絡、趣味人ランキングで
一位になっているとのことで≪まさか≫で、ブログを開いて≪ビックリ≫以来、当然ランキングが気になり始めた。多くの
人が見てくれていると思うと、シャイな私にとってはプレッシャーも半端じゃない。でも、自分なりに一生懸命努力し
頑張ったつもり、5月末、NO26号《石庭結に花菖蒲が咲いた》を更新、この頃からやっと一人立ちって感じかな。週一、
それもなぜか木曜日、定期的な更新を心掛けた。
 写真は、石庭結に咲いた花菖蒲、後方は咲き始めた紫陽花 すみだの花火。
        

     花菖蒲朝露キラリ結の庭

 計算したわけでも、最初から目論んだわけでもないが、定期更新日はまさかの大晦日。年の終わりは、一年を回想し、
深い反省の意味も込め、写経。この写経は一字7㍉のミニ版。平成8年から書き始め、平成18年4月13日第1202号を最後に
今はお休み中。(お歳なので、もう書けないと思います)ミニ写経を旅の友とし、お寺参り御朱印の旅に出た。
 四国八十八ヶ所を始め、別格二十霊場。四国、中国、西国三十三観音霊場等々、二年間で500ヶ寺の御朱印を、今では
840ヶ寺にもなった。新年を迎えるにあたり、来年の抱負ではないが、来る年への小さな幸せを願って四国霊場発願の寺
霊山寺から第4番大日寺までのミニ写経、今ではこのように四国八十八ヶ所では写経に御朱印は揃わないのですだから
私の貴重なお宝です。では、御朱印と共に一句。
        

     除夜の鐘色即是空念じつつ
         迎える年に幸多かれと


まもなく年が明けます。
 

300灯写真集と333灯、花壇

2015年12月24日 | おばけ灯籠
 世に二つとない畸形の《おばけ灯籠》達を追い求め二年、289灯から333灯までの45灯を手作りの写真集にまとめた。
私たち世代に333は馴染みのある数字、57年前、昭和の333は平成の634スカイツリー以上の賑わいだった。そう、
東京タワー誕生の年、333はタワーの高さなのです。
          
   300灯写真をまとめ感無量
       出会うおばけに期待膨らむ


 333灯、と言っても実は332灯だった。ここまで来るとそのわずか1灯がなかなか難しい、けど、どうしても年内に写真集を
仕上げたかったので333灯は後で挿入すればいいと空け、無り、む理に完成させた。
 そんなことを知ってか知らずか、その夜タイミングよく、私の趣味の良き理解者でもある≪とんちゃん≫から
『おばけ灯籠見つけたよ』と、メール。なんとまあ、身軽い、翌日半信半疑で行ってみた。というのは《おばけ》求めて何度も
通った道、傍の小高い丘の神社にも行った。だから?は拭えない。鬼原集会所の横の大きな桜の下にあった。カシャ。灯籠の
火袋には電球が見えた。翌日再び、ちょうど老々子さん三人が電動車椅子で立ち話?中、話を聞く。『じょうやさん』と言って
親しまれ、道路拡張に伴い現在地に移り、桜は移転記念に植えたと話してくれた。あかりは毎夜ともされているのだという。
 夕方6時過ぎに三度び訪れ、あかりのともるおばけ灯籠をカシャ。その写真は暗すぎでいいショットではないので、四度び
訪れたのは5時前、いいタイミングをカメラ片手にジッと待つ、5時26分にカシャ、まだ早い、二分後にカシャ。四度目の正直。
≪とんちゃん≫ありがとう。≪あかりのともるおばけ灯籠≫で写真集の最後を飾ることができたョ。
            
    三三三記念のあかりに相応しく
         写真集の最後を飾る


 隣町の友人《バーバ》から早朝に電話、こんな時間かかってくるのはいいことがないんだと思いつつ「もし、もし」案の定
「素敵な写真が手に入ったんで、これ作って」と、夕方出掛けた。見せられた写真は、落葉の庭に《ガーデンテーブル》とでも
いうのかお洒落な写真だった。家の古材の梁などで作ればいいんだが、材がない。そこでホームセンターで枕木擬きを三本買い
写真を見ながら初挑戦。チェンソーで花を植える部分を切り抜く、二本の枕木で挟み、カスガイで止める。足台に乗せて完成。
バーバは褒めちぎり大変喜んでいた。
 バーバん家は日本庭園だが可笑しくはない、いいんじゃな~い。丸太の椅子に腰を掛け、お茶しながらひとり黄昏るもよし、
みんなでワイワイガヤガヤ、おしゃべりするもよし。光景が浮かんでくる。


   庭眺め花壇テーブルお茶のとき
         お喋りやまずお日様西へ


 次号は、大晦日、早いですねえ。師匠のおかげでブログを始めることができた、理解力の乏しい私をよくぞ、ここまで気長く
付き合ってくれてありがとう。東奔西走自ら多忙を求め突っ走った充実の一年だった。

近郊探訪 6 懐かしい茶房から渓谷へ

2015年12月17日 | 紀行・詠
 晩秋、懐かしい山の茶房へ足を延ばした、二十数年ぶりかな、ギャラリーを兼ねたこの茶房はバス終点から2㎞ほどかな、
まあ車だからいいようなものだが、小さな渓谷やログハウスなどを左に、茶房は教会のような赤い屋根、紅葉のもみじと借景の
裏山が迎えてくれた。本当に懐かしい。店は建て増しをしていた。店の人も気さくな方、客はいない。ひとり席に座りると
耳には風に揺れる葉っぱの音と小鳥のさえずりだけ、静かそのもの。本当にゆっくりと贅沢な時を過ごさせていただいた。
次回は誰かさんとこのテラスの席で…
         

     雑踏を避けて静かなティタイム
          BGMは鳥のさえずり


 今日は≪ひとり懐かし≫を訪ねる日。やはり二十年余り経つかな、東温市の滑川渓谷を訪ねる。国道11号《桜三里》を右折、
どんどんどんどん、あの頃は子供の賑やかな声が聞こえた小学校も今は廃校、廃屋の目立つ家並みを更に登るとパッと空が
開けてくる。ここはこんなに山奥ながら『海上』という地区『かいじょう』ではないのは確かだが何と読むかは通りかかった
村人老子さんに聞いたんじゃが忘れた。(歳かなあ~)
 以前この地に《川魚料理店》があった、その頃は結構な賑わいでよく来たものだが、今はらしき建物が残るだけ。渓谷は
その奥にある。誰もいない、カメラを片手に歩く。岩の川床を流れる水はキラキラと輝いている、せまい木橋を渡り苔生す
岩肌を転ばないように用心しながら、カシャ。紅葉は過ぎ散る黄色い葉が急流に流されていく、カシャ。いくつも架かる
木橋毎に、いつまでも見ていたい素晴らしい景色を、カシャ。
               

        

     枯れ葉散り滑川渓谷冬じたく
       流れる水が目にまぶしくて


 山草咲き乱れる春の集落、新緑からはじまるこの渓谷の一年は、猛暑の街を逃れウオータースライダーのように豪快に岩の
川床を滑り楽しむ夏、山萌える紅葉の秋を堪能し、冬は岩肌から流れる水の無数の氷柱に心奪われる。
 川床をさらに奥へとウオーキング《奥の瀧》が待っている。四季を通じて楽しめる全長1㎞の近郊の渓谷です。おそい秋、
懐かしい地を訪ねたいい一日ではあったが、やはり一人は寂しい、みんなで賑やかな方がいい。再び(やっぱ、歳かな~)

高松紀行 牡蠣と屋島と砂絵

2015年12月10日 | 紀行・詠
 四人が出掛けるといえば雨や曇天続きだったが、この二週間は晴天で気分がいい。カキを食べに行こうという話になった、
こんなことはすぐに決まる。高松、志度湾の牟礼。行ったのは随分前だから記憶は薄い11月半ば予約。翌月8日出掛ける。
 一般道を西条まで走る、ここからは高速、久しぶりなので通り過ぎバック、するとあるではないか、醤油醸造所前に
大きい《おばけ灯籠》が、石鉄大権現と刻字。迷ってみるものだ、カシャ。予約時間を過ぎても、当然、灯籠を優先。
 席に座るなり、豪快にスコップでカキを鉄板に乗せ焼いてくれる、店員さんが付きっきりで焼けた順にそれぞれの前に
置いてくれるのでそれを食べるだけ、沢山食べた。最後の《牡蠣飯》はもう満腹状態で。私達が食べ終わった頃青年二人が
相席になった、彼は地元だという、若者が入るとテンションも上がり愉快な話で盛り上がり楽しくていい印象で終わるはず
だったのだが・・・。写真は穏やかな志度湾の牡蠣イカダと、豪快に並べられた鉄板の牡蠣
        

     焼きガキを腹いっぱいに平らげて
          余は満足じゃ満腹じゃあ


 もうこれ以上は食べれないというほど好物の牡蠣を食し、屋島観光。ここは私達団塊の世代の小学校の修学旅行のメッカ。
広い駐車場はいくら平日だとは言えパラパラと、四国84番札所屋島寺がある、お客さんのほとんどが参拝客、寂れているよう
にも見えた。四人で賑やかに歩いた。到着はさぬき百景、屋島の展望。遠くに見える瀬戸大橋をバックに四人揃って、カシャ。
私は旅の友《御朱印の寺を詠む》に屋島寺で御朱印をいただき、一句。
        

     屋島寺はさぬき百景望む地に
            並びダヌキに興味津々


 つづいて観音寺にある琴弾公園、ここはかの有名な銭形平次にゆかりがあるかどうかは全くないと思うが、寛永通宝の
デッカイ銭形砂絵がある、公園山頂から見る砂絵は圧巻だが砂絵を取り巻く松原がとてもいい。そうして《おばけ灯籠》へ
ネット調べの粟井神社に急行。早速神社入口で出迎えられた、カシャ。境内にも一対、カシャ。今回も三灯の灯籠に出会え
思いもよらぬ気持ちいい紀行になった。
        

     瀬戸内の有明の浜白砂に
           寛永通宝銭形砂絵


帰り道は急ぐこともなく観音寺から一般道を走った。本当によく遊びますネエ、は~い。


近郊探訪 5 大久野・うさぎ島

2015年12月03日 | 紀行・詠
 12月3日、合わせたわけではないのに今日は誕生日投稿です。何歳になったかな、知っていますよ、だいぶになりました。
戦時中≪地図から消された島≫として毒ガスを製造した穏やかな瀬戸内海に浮かぶ周囲4.3kmの大久野島。今では《うさぎの島》
として多くの家族連れが訪れ、うさぎと戯れ、癒され、笑い声の絶えない楽園に生まれ変わりました。
 土曜日久々の快晴、一人欠席で三人で出掛けました。大三島の盛港から船が出るので随分楽に行ける。瀬戸内の眩しく輝く
海を眺めながらしまなみ海道を走る。10時フェリーに乗る。所要時間は13分、すぐ目の前に大久野島の赤いフェリーのタワーが
見える。船内は土曜日とあって家族連れが多い。特に目についたのは孫を連れた嬉しそうな老人達。
 島に着いた途端、人に馴れた《うさぎとうさちゃん》が一斉に寄ってくる。この島は許可車以外走ることができないので港から
休暇村まではシャトルバスに乗る。なのに、一人が《うさちゃん》から離れない、「バスが出るぞ~、」でやっと。
 バスは《うさちゃん》を最優先でゆっくり走る。休暇村に着くや否や《うさちゃん》に寄っていくありさま、広い芝生の庭には
《うさちゃん》が点在、そこそこに人が群れていた。
        

     童心に返りうさぎと戯れる
        遊ぶ朗人満面の笑み

 
     島中が可愛いうさぎの楽園に
        我を忘れて時も忘れる


 レンタサイクルで島巡り、とにかくどこを見ても《うさちゃん》が目に入らないところはないといっても過言ではない。
一人黄昏ている子や観光客の持ち込んだ餌をうまそうに食べている子。凄い人を発見、ニンジンをナイフで切り与えている、
盛港の《無人市》で買ったのだと。持ち込み禁止のはずなのに?。そのニンジンをチャッカリいただいて《うさちゃん》が
群がり、喜んでいた誰かさん、そこに現れた≪四つ子ちゃん≫に、益々く・ぎ・づ・け。
        

     秋晴れにチャリを借りて島巡り
         うさぎに癒され満喫の良き日


字あまり、失礼しました。
 島内には毒ガスの貯蔵庫や発電所跡など、数々の痛ましい戦争の爪痕も今は廃墟となった。1929年から15年間毒ガスを製造、
終戦から一年を要し除染したと、記されていた。
        

     暗い過去地図から消えたこの島に
             戦時の遺産要塞巡り


 70年代、8羽のうさぎが放され、2013年の調査では700羽にまで増えたという。住む人もいない島は、環境省管理の元堅く
守られている、だから、今後も《うさぎの島》として末長く楽しむことができることは約束されている。
 また訪ねたい、そして次は泊ってみたい。≪大久野・うさぎ島≫そんな魅力のある島です。