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遊名人壱實

まさかのものがまさかなものを作る意外性の面白さに溺れ狂っています。今後手遊びの作品を紹介したいと思います。

300灯写真集と333灯、花壇

2015年12月24日 | おばけ灯籠
 世に二つとない畸形の《おばけ灯籠》達を追い求め二年、289灯から333灯までの45灯を手作りの写真集にまとめた。
私たち世代に333は馴染みのある数字、57年前、昭和の333は平成の634スカイツリー以上の賑わいだった。そう、
東京タワー誕生の年、333はタワーの高さなのです。
          
   300灯写真をまとめ感無量
       出会うおばけに期待膨らむ


 333灯、と言っても実は332灯だった。ここまで来るとそのわずか1灯がなかなか難しい、けど、どうしても年内に写真集を
仕上げたかったので333灯は後で挿入すればいいと空け、無り、む理に完成させた。
 そんなことを知ってか知らずか、その夜タイミングよく、私の趣味の良き理解者でもある≪とんちゃん≫から
『おばけ灯籠見つけたよ』と、メール。なんとまあ、身軽い、翌日半信半疑で行ってみた。というのは《おばけ》求めて何度も
通った道、傍の小高い丘の神社にも行った。だから?は拭えない。鬼原集会所の横の大きな桜の下にあった。カシャ。灯籠の
火袋には電球が見えた。翌日再び、ちょうど老々子さん三人が電動車椅子で立ち話?中、話を聞く。『じょうやさん』と言って
親しまれ、道路拡張に伴い現在地に移り、桜は移転記念に植えたと話してくれた。あかりは毎夜ともされているのだという。
 夕方6時過ぎに三度び訪れ、あかりのともるおばけ灯籠をカシャ。その写真は暗すぎでいいショットではないので、四度び
訪れたのは5時前、いいタイミングをカメラ片手にジッと待つ、5時26分にカシャ、まだ早い、二分後にカシャ。四度目の正直。
≪とんちゃん≫ありがとう。≪あかりのともるおばけ灯籠≫で写真集の最後を飾ることができたョ。
            
    三三三記念のあかりに相応しく
         写真集の最後を飾る


 隣町の友人《バーバ》から早朝に電話、こんな時間かかってくるのはいいことがないんだと思いつつ「もし、もし」案の定
「素敵な写真が手に入ったんで、これ作って」と、夕方出掛けた。見せられた写真は、落葉の庭に《ガーデンテーブル》とでも
いうのかお洒落な写真だった。家の古材の梁などで作ればいいんだが、材がない。そこでホームセンターで枕木擬きを三本買い
写真を見ながら初挑戦。チェンソーで花を植える部分を切り抜く、二本の枕木で挟み、カスガイで止める。足台に乗せて完成。
バーバは褒めちぎり大変喜んでいた。
 バーバん家は日本庭園だが可笑しくはない、いいんじゃな~い。丸太の椅子に腰を掛け、お茶しながらひとり黄昏るもよし、
みんなでワイワイガヤガヤ、おしゃべりするもよし。光景が浮かんでくる。


   庭眺め花壇テーブルお茶のとき
         お喋りやまずお日様西へ


 次号は、大晦日、早いですねえ。師匠のおかげでブログを始めることができた、理解力の乏しい私をよくぞ、ここまで気長く
付き合ってくれてありがとう。東奔西走自ら多忙を求め突っ走った充実の一年だった。

出会い灯籠

2015年10月08日 | おばけ灯籠
300灯までは積極的に求めて走った《おばけ灯籠》だったが、今では、自然に出会う灯籠に喜びを感じる。ネットでの出会い、
走りながらチラリ目に入る出会いの感動は様々、だからいいんだよ、だからやめられないんだよ。

①     ② 

①307灯8/23 里ノ下灯籠 大洲市平野、八幡浜《座敷雛の里de行灯》に行く途中気になったので先に寄った。
 ネットで調査済みだったのでスムーズに発見できた。坂を登ると今は集会所になっているが昔は仏様を祀る
 《お堂》ではなかったのかなと推測するような雰囲気だった。
②308灯8/24 太田辻灯籠 伊予市双海町、八幡浜の帰り、犬寄峠手前信号を左折、瀬戸内海伊予灘へ向け道を撮る、
 初めての道、好奇心旺盛な私、だから楽しい。集会所の敷地にあった。おそらく道路拡張のため移動したのであろうと
 推測される。この道を少し走ると木造校舎の小学校がある、テレビでよく見かける《翠小学校》だった。

③     ④ 

③309灯8/24 中村八幡神社 伊予市向井原、伊予灘を伊予市へ向かう三秋峠を下り信号を右折、すると右側に小さな
 神社がある、そこにあるではないか、竿の長い灯籠が印象に残った。
◎ 310灯から313灯は《温泉とおばけ灯籠》で、既に掲載済みです。
④314灯9/13 古屋ヶ谷辻灯籠 今治市玉川町、朝倉から玉川へ峠を越す、村人老男さんに会い尋ねると「この下に
 あるのはあるが」と云うが詳しいことは分からないという。速度を落としゆっくりと走るが判らない、軽四に会う、
 停車してもらい尋ねると、この上にあるという。見ればなかなか立派なもの、火袋は《欅》を刳り貫いたもので
 珍しい。1㍍弱の道が当時は主要道路だったとか。少し離れたところではには昨年から稲藁で作り、突然田圃に
 出現したデッカイ、イノシシの親子に度肝を抜かれ、この辺りではすっかり有名になったところがある。

⑤     ⑥  
 
⑤315灯9/18 萩原稲荷さん 松山市北条萩原、なんでこんなところに祠があるの?いつも通っている道から伸びた先の
 小さな山の上に、この灯籠の火袋を新しく作った大工さんからの情報で行ってみると確かにあったが、カッコ悪かった。
⑥316灯9/20 南方祠灯籠 東温市南方、東温市は探したのに、まだ残っているとは。それもこの道は何度も走っている
 のに、ふしぎ、不思議の連続。小石を敷き詰めた田圃の真ん中の小さな丘?にあった。竿のクネリが実にいい。
いつまで続くかな、まあしばらくはこれで遊べる、こと間違いなし。見つけたら教えて。

おばけさがし県外へ

2015年08月20日 | おばけ灯籠
 同じものが≪絶対≫にない、そんな絶対の≪おばけ灯籠≫に魅せられ1年3か月で県内300灯を達成。今は一段落し、
探すことはしなく、出会い・・・という待ちの身になった。302灯と303灯は300灯を求め港町八幡浜で出会った
《おばけ》達です。
     
302・小網代天満神社      303・松柏辻灯籠
 302・いつも行っている友人の集落にある、私も何度行っても気付くこともなかったが、私が興味を持つと友人も
感化されたのか目に入るようになったとか。アジサイの花に覆われた小さな灯籠、これでは気付かないかも。
 303・ネットで調査済みだったのですぐに発見したがイメージとは大きくかけ離れた所にあったのでびっくりした。
            
  304・戎神社        305・神宅辻灯籠          306・一宮神社
 304・県外初、徳島県の四国霊場安楽寺へ行った時、足を延ばし四国別格大山寺へお参りに行く、寺を目指し走って
いると左前方に小さな神社を発見「あった」誰も気付かない私だけに見える執念という眼力で県外第一灯をカシャ。
 305・大山寺をお参りし、帰り道、戎神社まで戻ったところを左に道をとる、すぐにあった。民家のブロック塀に
食い込むように肩身狭く立っていた。県外第二灯。
 306・7月18日、《そうめん流し》に西予市宇和町の観音水へ出かけた。その前にちょっと寄り道『苔』の素晴らしい
喫茶でお茶をして、さ~、《そうめん》に着いた。処がズラッと並んでいるではないか、長蛇の列に気後れしたのでは
なく≪待つ≫という行為が嫌いな私、当然の如く『パス』。
 空腹の身を押し、古刹、名刹の城川町『龍澤寺』に行くことにした。間もなくのところで神社の前の《おばけ》が
私の目に飛び込んだ『チラッ』皆さんは当然気付かない。何故車が止まったかもわからない。妖艶で流れるような
しなやかな竿、武骨な中台、木製で細々とした火袋にアンバランスな苔むす笠、この風雅な形が実にいい。
《幻のそうめん流し》になったが偶然に出会った素晴らしい《おばけ灯籠》は大きな収穫だった。
     

おばけさがし 達成300灯籠

2015年05月23日 | おばけ灯籠
                    
 299灯 野間辻灯籠           300灯 穴井天満神社          301灯 穴井常夜燈灯籠

10日、いつもの道を変え、見える神社を目指し石段を登るがない、車の戻り発進するとあった、299灯をカシャ。ここは今治野間、古来から多くの石塔のある地区、以前村人老男さんに聞いた時には「石塔はいっぱいあるが灯籠はない」と言われていたのでまさかだった。撮影時誰にも会えず、後日再び訪ね村人老子さんに会うことができた。老子さん曰く《じょうと》さんと呼ばれ親しまれ、祭りには傍の二本の石柱に幟旗を立てるにだとのことだった。
19日、いよいよあと1灯をもって友人の住む八幡浜へ電車で出かけた。肱川を延長に見る大洲城の天守閣は圧巻だった。松山から1時間弱八幡浜に着く、迎えに来てくれていた、さっそく車に乗り風光明媚なリアス式海岸に沿いに走る。目的地は4月《座敷雛》で有名な穴井へ300灯を求め。国道から左折、奥正面に見える。≪伊予の名石 青石≫の竿に苔生す傘、木製の火袋、記念すべき300灯に相応しい《穴井天満神社》だった。神社の宮司さんの御母堂様は友人の同級生だと、だったら私も同年だ、歳がばれたと…。灯籠の火袋には毎晩あかりを灯すのだという。こんな話に推薦してくれた友人に感謝。機会があれば火袋に灯がともるとき、もう一度訪ねたい、そしてカシャ。強く感じました。

       座敷雛里で迎えた300灯
        あかりのともる穴井天満


301灯は、穴井の港にあった。でっかい灯籠で傍の石碑には《火の願文》とあり、天正の時代から穴井の安全と豊漁を福高寺の梵鐘の音と共に願い、ともし、時を刻んできた。と記され、この穴井にはなくてはならないものだと。その後2灯をカシャ。303灯を以って本日撮り止めとした。