自転車通勤日記改め単身赴任&JOG日記

自転車通勤の記録(2005年4月~)単身赴任の記録(準備を含めて2008年6月~)ジョギングの記録(2008年10月~)

結構アクセスあるのね

2011年10月31日 | Weblog
ほんとうにしたいことをどんどんしなさい!
ほんとうにしたいことを、
どんどんしなさい!
ほかのことはしてはいけない。

「どうして、わたしは、
ほんとうにしたいことをして、
暮らしていけないんでしょうか」

わたしたちはみんな、
何度もそういう段階を通ってきている。
ほんとうに好きなことをして、
暮らしているひとは、
何が何でもそうしたいとこだわっているひとだ。
彼らはあきらめない。
決して、譲歩しない。
好きなことができない人生なんて
あってはならないて思っている。

だが、ここではべつの要素も考えなければならない。
たいていのひとがライフワークについて考えるとき、かけている要素だ。

何かで「在ること」と「行動すること」には
違いがあり、
たいていのひとは
後者に力点を置いているということだ。

「いい」とか「いけない」ということではない。
あなたが何を選ぶか、
どうすればそれが実現するかというだけだ。
あなたが平和と喜びと愛を選ぶなら、
行動を通じてでは、獲得できないだろう。

あなたが幸福と満足を選ぶなら、
行動という道を通じてでは、
手に入れられないだろう。
最高の知識、深い理解。
終わりのない共感、全面的な目覚め、
限りない充足を選ぶなら、
行動では、達成できないだろう。

言い換えれば、
あなたが発達することを
ーー魂の発達をーー選ぶなら、
身体の世間的な活動によって、
達成することはできない。

「行動すること」は身体の働きである。
「在ること」は魂の働きである。
身体はつねに何かをしている。
毎日、毎分、何かしようとしている。
身体は魂に促されて、
何かをするか、
魂に反して、何かをする。
人生の質は、このバランスによって決まる。

魂は永遠に在るものだ。
身体が何をしようとも、
魂は在るがままに存在する。

あなたが、人生とは「行動すること」だと
考えているなら、
自分を理解していない。

あなたの魂にとっては、
暮らしのために、
何をするかなどはどうでもいい。
人生が終わるとき、
あなたもどうでもいいと思うだろう。

魂にとっては、
どんな行動をするかではなく、
その間どんなふうに在るかだけが大切だ。
魂が追求しているのは、
在り方であって、
何をしているかではない。

魂は、経験しようと努めている。
経験するには、
何もしないのが
いちばんいいということも知っている。
何もせず、ただ在ることだ。

あなたが望む在り方であれば、
幸福、悲しみ、弱さ、強さ、喜び、復讐、
洞察、盲目、善、悪、男性、女性、
なんでもかまわない。

どちらも同じことをしているのに、
あるひとたちは、大金を稼ぎ、
ある人たちは、暮らしがたたない。
何処が違うと思う。

魂の関心事はただひとつ、
あなたがどこへ行くか、
ということだけだからだ。

あなたは不安と呼ばれるところへ
行こうとしているのか、
それとも、愛と呼ばれる場所か。

人生に出会うとき、
あなたはどこにいるのか__
そして、どこからきたのか。

同じような資質を持った2人なのに、
ひとりは成功し、
ひとりは失敗したという例だが、
それは、
「していること」のせいではなく、
「在り方」のせいだ。

ひとりは、
開放的で、親しみ深くて、こまやかで、
親切で、思いやりがあって、陽気で、
自信があって、仕事を楽しんでいる。

もう一方は、
閉鎖的で、よそよそしくて、冷たくて、
不親切で、陰気で、
自分がしていることを嫌っている。

さて、あなたがより高い在り方を選ぶとしょう。
あなたは、
善、慈悲、同情、理解、赦し、愛を選ぶとしよう。
そうしたら、どんな経験をするか。
それを教えよう。

存在は存在を引きつけ、経験を生む。

あなたは、
身体によって、何かを生むために、
この地上にいるのではない。
魂によって、何かを生むために、
この地上にいる。

身体は、魂の道具にすぎない。
身体を動かす動力は、あなたの精神だ。
だから、
あなたが地上にもっているのは、
魂の欲求に従って、
創造するための動力機械なのだ。

壮大な仕事が待っている。
「在り方」の厖大なメニューのなかから
選ばなければならない。
いま、この瞬間も魂はそれをしている。

在り方を選んでいて、
そして、正しい完璧な条件を創り、
その条件のなかで、
経験を創り出している。

だから、あなたに起ること、
あるいは、あなたを通して起ることで、
自分の最高の善のためにならないことは
何もない、
というのは真実だ。

魂は計画どおりの経験ができるようにと、
正しい完璧な機会にあなたを導く。
実際に何を経験するかは、
あなたしだいだ。

あなたは計画したことを経験する
かもしれないし、
べつのことを経験するかもしれない。
それは、
あなたが何を選んだかによる。

最も大きな意味で、
あなたの本質的ないのちは、
自分の望みに目覚め、
それと
喜ばしい一体化をするときを求めている。

だが、いのちは決して、
現実のあなたの意識的、
肉体的な部分に、
自分の欲求を押しつけることはない。

神は、
あなたの世俗的な成功には関心がない。
あなたが長い期間をかけて、
在り方を達成すれば、
世間的に成功しないでいるほうが
かえってむずかしいだろう、
それは事実だ。

だが、あなたは
「暮らしをたてる」ことにかかずらうべきではない。
「真のマスター」は、
暮らしを立てることではなく、
生きることを選んだひとたちだ。

ある種の在り方からは、
非常に豊で充実した、
生き甲斐のあるすばらしい人生が生まれる。
そうなったら、
世間的な財産や成功はどうでも良くなるだろう。

人生の皮肉は、
世間的な財産と成功に
関心がなくなったとたんに、
それがふんだんに
流れこんでくる道が開けるということだ。