遊童子のひとり遊び

日々の生活の中で心を休ませる時間と趣味を独り言の中で話すブログです

今日は七夕様だ

2017年08月06日 | 年中行事

お晩でがんす

当家では一月遅れの七夕祭りの日である

 

世間では八月七日を月遅れの七夕と呼んでいるが、私はそうは思っていない、これが正しい七夕の日であると思っている

旧暦の七月七日が新暦になったから、元の通りに七月七日で再考すると言う事が少し本道から外れている

何となれば太陽や月や星は人間の都合で位置を変えているわけではない

牽牛も織女も人間の都合に合わせてデイトの日を変えているわけではない、月の満ち欠けで決めた陰暦を陽暦に替えたの

はその後の人間の都合だ、たしかに狂いのない暦になったが。それを壮大な宇宙のことを一地球の人間の為に変更はでき

ない、そしてお盆も同じだ、花や植物も天候もあるいは農作業も旬の野菜のことでも、やはり八月がふさわしい

そう思っている

そんなわけで妻の不幸を考慮して今年はすべて白い紙で短冊を作った、一部鎖だけは控え目にカラーにした

 

克って葬儀はもっと厳かにしたものだ、色色な仕来りが色色な謂れを以て残っていて、其の全てが死者の尊厳を冒さない様にでき

ていたものだ、それが何時しか個人の家から葬儀を出さないで。葬儀場や斎場でするようになった

全てが商業的に都合よく省略されて、大切な死者の尊厳は無くなりその代わりにすっかり葬儀社の口車に乗りイベント化されて

必要でもない、喪中の延長や喪中はがきの投函や盛大な葬儀になってしまった

我が家も人の事は言えない、時流に流されてそれらしい葬儀になってしまったが、、、、、

我が家は極極普通の庶民なのだ、したがって喪は四十九日で明ける

克って、皇族方や大名家とか貴族家とか、或いは社寺の家とかが一年の喪に服したが、庶民はそんな悠長な事は言っていられない

速く喪明けをして働かなくては生活ができないのだ

死者は四十九日で、「生有」しょうう、という新しい生を得る、そして異界での新しい生活が始まるのだ

だから死者から見ても一年の喪などは迷惑千万なのだ

だが自分の処は一年の喪に服しなければならないほどの家系だという方は勿論喪に服したほうが良い

然し喪に服すると言う事は、潔斎沐浴をして、禁葷酒、をモットーとして、成人にあっては夜の営みも出来ない

そんなことが果たして現代人にできるだろうか、、、自分で余分なことはしなくて済むから一年の喪中を決めているのではないだ

ろうか、酒を断ち、煙草を断ち、ネギやニンニクを喰わず、肉などはもってのほか、異性との接触も断つ、、

こんなことはとても高貴の方以外にはできないと私は思う

だから我が家は位牌上げが終わったので喪明けとし、祝い事の七夕も作った

七夕の祭神は「天の長河洲之命」と言う神様で天の河からこの世の大小の川のすべての沿岸をお守りくださる神様だ

此の台風の時期に最もお願いしたくなる神様ではないかと思う

自分のところだけではなく日本の、世界の、全ての川の平穏を祈ると言う事が根底にある

天災は人間の微力ではどうにもならない、でも他人の為に祈ることはできる

そして明日は七夕の飾りを付けた儘、川に流す。そのために川で七夕の竹が悪さをしない様にすぐ折れて腐る新竹にするのだ

古人は如何にも自然に優しい、先を見据えた気配りができていた

なんでもかんでも川に捨ててしまう現代人の大いに恥ずべきところで学べきところだ

偏屈の頑固爺の独り言だ

 

そんじゃあまたはなすべえ

遊童子

 

 

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