徳を崇くする 惑に非ずや
「樊遅(はんち)従いて舞雩(ぶう)の下(もと)に遊ぶ。曰(い)わく、敢えて問う、徳を崇(たか)くし慝(とく)を脩(おさ)め惑いを弁(べん)ぜんことを、と。子 曰(のたま)わく、善いかな問いや。事を先にし得(う)るを後にするは、徳を崇くするに非(あら)ずや。其(そ)の悪を攻め、人の悪を攻むる無きは、慝を脩むるに非ずや。一朝(いつちょう)の忿(いか)りに其の身を忘れて、以て其の親に及ぼすは、惑えるに非ずや、と。」
■その意味は?
樊遅が孔子(先生)に従って舞雩壇(ぶうだん)附近へ遊覧へ出かけたときのことである。樊遅が質問した。
『この際、おたずねしますが、どのようにしますと、私めの人格を高め、心の中の悪を正しくし、迷いを分別することができましょうか。』と。
孔子(先生)はおっしゃった。
『なかなかいい質問だ。まず実行、その、報いは後、これが人格を高めることではないであろうか。〔次に〕己の悪は責め、他人の悪はとがめない。これが心中の悪を正しくすることではないだろうか。〔また〕嚇(か)っとなって怒り、我を忘れて争い禍いが親にまで及ぶ。これが迷いではないであろうか。』と。
(加地伸行全訳注「論語」より)
■感想
他者から、思いやりや真心といった、人としての優しさを求めるならば、まずは自らが実践することであろう。